今日から一人






「じゃあ、私たちはもう行くからあかねも遅れずに出るのよ」

「はあ、分かってるって。いってらっしゃい」

「「いってきます」」


 大きな荷物を持ってママとパパは玄関の先に消えていった。パタンと玄関の扉が閉まり、一瞬家の中が静まりかえる。適当に流しているニュースのキャスターの声が静かに広がっていく。家の中にはもう私一人しかいなかった。



 ママの朝ご飯を食べるのもしばらくはないだろう。そう考えると味わって食べようという気が湧いてくる。食器同士がぶつかって、高い音が響くもすぐに終わる。自分の立てた音しかしないというのはなんとも寂しく思え、私はテレビの音量を上げた。


 ゆっくりと食べていたのに、食べ終わっても時間にはまだまだ余裕があった。何して待ち合せの時間まで暇をつぶそうかなと思っているところに、ちょうどインターホンの音が聞こえた。その無機質な機械音が、今はとても嬉しかった。





「おはよう、シロちゃん!」

「おはよう」

「もう少し時間あるし、一旦家の中に入っちゃって」



 有無も言わせず、シロちゃんをリビングに上げて、座ってもらう。一人だけだった家に、シロちゃんが加わり、二人になった。そこまでゆっくりできるわけでもないけど、なんとなくこの家を一人の家のままにしておきたくなかった。



「最近急に暑くなってきたよね。麦茶飲む?」

「じゃあ、飲む」

「オッケー」



 リビングにシロちゃんを残して、キッチンに麦茶を取りに行く。お客様用のコップを探し出している途中、シロちゃんから話しかけられる。



「さっきあかねのお母さんたちに会った。どこか行くの?」

「うん、出張で……あれ? どこ行くんだっけ? 聞くの忘れてたな。——ま、まあそういうこと」

「……その間あかねは一人?」

「そうなんだよ。最低でも一ヶ月は帰ってこないらしいんだよね。だから一ヶ月は一人暮らしになるかな。——はい、麦茶」

「……ありがとう」


 コクコクと可愛らしくシロちゃんを眺めながら、遠くの時計に目をやる。そろそろ行かないと学校に遅れてしまいそうか。シロちゃんが麦茶を飲み終えるのを見届けてから、声を掛ける。


「じゃあ、そろそろ行こうか」


 しかし、シロちゃんは空のコップを持ったまま微動だにしなかった。麦茶が美味しくなかったのかな?


「シロちゃん?」

「ん? 何?」

「何って、話しかけたのに、無視するから」

「……ごめん。ちょっと考え事してた」

「そう。珍しいね。シロちゃんがそんなに考え込むなんて」

「これは非常に重要な問題。下手な判断はできない」

「そう。まあ、シロちゃんならきっとすぐ分かるよ」



 どんな問題なんだろう? きっと私には分からないようなすごい難しい問題を考えているんだろうな。そんなことを考えながらカバンを持って、私たちは外に出た。



「よしっ、じゃあ行こう」

「あかね、鍵はかけなくて大丈夫?」

「鍵? あっ、ああ、そうだね。鍵かけなきゃか」


 シロちゃんに言われて初めて気が付く。久しぶりに使う家の鍵で施錠して、しっかり鍵がかかっていることを確認する。


「これでもう大丈夫かな。じゃ、行こうか」

「まだ忘れ物がある」

「えっ、まだ何かあったっけ」


 今日は宿題とか出ていなかったはずだし、カバンも忘れてないはずなんだけど、と思っているとシロちゃんは私の方に自分の手を見せつけてくる。


「ん!」

「ん? ああ、そうだね。繋ごうか」


 差し出されたその小さな手を握ると、子どものような高い体温を感じた。昨日みたいにドギマギしちゃうかと思っていたけど、思っているほどではなかった。確かに言い知れぬ恥ずかしさはある。でも、それよりももっと安心が勝った。隣に人がいること、それが私の心を安らかにしてくれた。


 だから、普通に握った私の手を不満そうに恋人繋ぎに変えられても、何も……いや、それはまだ慣れなかった。にぎにぎと私の手を確認するようなシロちゃんの行動に結局ドキドキしてしまい、それを顔に出さないようにするので精いっぱいだった。いつの間にか、寂しさは私の頭から消えてなくなっていた。









「ふう、今日も疲れたね」


 学校も終わり、シロちゃんと二人で歩く。これで二回目だからだろうか、恋人繋ぎをしても、少し落ち着けるようになった。


「お疲れ様。今日もよく頑張った」


 シロちゃんはいつもこうやって私を肯定してくれる。弱みを吐けば、いつだって私を甘やかしてくれた。


 シロちゃんと付き合った人はきっと幸せになるだろうけど、同時にダメ人間にもなってしまう気がするな。って今は私がそうなのか。……えっ? もしかして、私がダメ人間なのはシロちゃんのせいじゃ……いやいやいや、人のせいにしちゃだめでしょ。私がダメ人間なのは自分のせいでしょ。



 シロちゃんは単純に私を助けてくれただけだ。夏休みの宿題も最終日に泣きついても、面倒を見てくれたし、受験のときだってそうだった。……あれ? 本格的に私、シロちゃんがいないと詰んでない? これはちょっと自分の生活を見直さないといけなそうだな。一人で暮らすのはちょうどいいタイミングだったかもしれない。これを機に、私も自立した人間を目指そう。





 他愛もない話をしていると、帰り道はあっという間だ。また、昔のような距離感に少しずつ戻れていることを感じる。考えてみれば、シロちゃんたちからすれば、ずっと付き合っているときもあの距離感だったんだからそれが正しいのかもしれない。恋人という言葉の響きで変に構えてしまっていたけど、また今までどおりに過ごせばいいだけだと思えば、全然苦じゃなかった。



「じゃあ、シロちゃん、また明日ね」

「……またね」


 何か含みを持たせたシロちゃんの姿を見送ってから、私は家に入る。一回、鍵がかかっていることを忘れてドアに突撃したのは内緒だ。真っ暗な部屋が少し怖くて、急いで明かりをつけて、私は自分の部屋に向かった。









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