第二章 始まり

猶予の一日






 どこかで聞いたことがあるような、しかしタイトルは知らない曲を咲ちゃんが歌っていた。きっと上手いのだろうが、あまり知らないせいで、本当に上手いかどうかは分からなかった。





 結局あの後、気持ちの整理も必要だろうと、一日だけ猶予を貰った。どうせ断ることはないのだが、少しだけ時間が欲しかった。私が納得するだけの時間が。それをくれたハルちゃんたちの寛大さには、感謝しかなかった。



 ハルちゃんたちの立場で考えると、私は幼稚園のころからずっとハルちゃんたちと付き合っていたことになる。今思えば、確かに友だちにしては距離が近かったような気もするけど、それが当たり前だったせいで違和感に気付けなかった。



 でも、私からすればその事実は余りにも唐突なものだった。ずっと幼馴染だと思っていて、更に少し前からはハルちゃんたちが付き合っていると思ったら、全然違った。私の小さな脳みそはパンク寸前だったのだ。



 ハルちゃんたちと付き合うこと、それはもう決定事項だが、それは同時に幼馴染という関係の破綻を意味する。始まりは終わりと常に共にある。ハルちゃんたちがいつ私を見限ってしまうのか。私は始まる前からその終わりが怖かった。


 そんな風にうじうじと私が悩んでいたせいか、それとも私がハルちゃんたちと一緒に帰らなかったせいか分からなかったけど、トモちゃんが今日のカラオケに誘ってきたのが、事の顛末だった。


「ほら、次あかねの番だよ?」

「あっ、ごめん、ちょっとぼーっとしてた」


 咲ちゃんからマイクを受け取ると、さっき私が入れた曲が流れだした。受験前はこういうのを絶っていたから、若干古めのJ-popだった。ぼんやりと浮かんできた昔の記憶に身を委ね、私は何も考えずにただひたすらに熱唱した。歌っている間は、少しだけ不安を忘れられた気がした。





 歌い終わった瞬間にどっと疲れが私を襲った。次に歌うカナちゃんに、マイクを渡して、ソファに座り込む。はあ、大声を出しすぎた。でも、そんな肉体的な疲労とは裏腹に、精神的には満足していた。声を張り上げたおかげで、すっきりしたのだろう。



 カナちゃんの入れた曲を聞きながら、一仕事終えた感覚でいると、そんな私にトモちゃんが近づいてきた。


「で、今回は何があったんだ?」

「うぇ」

「何だ、その声? あいつらとまた何かあったんだろ?」


 うぐっ、やはりトモちゃんは鋭いな。確かにさっきまでは誰かに吐き出して楽になりたかった。けど、思いっきり歌ったおかげで、少し気分が晴れていた。そうなってくると、今度は逆にもう少しだけ現実から目を背けていたい気になった。どうせ、明日は来るんだから、今だけは。


「そ、そういえば、この曲最近よく聞くよね。誰の曲だっけ?」

「おい、話反らすな……」

「いい質問だね、あかねん。ふっふっふ、答えてあげよう」

「えっ、あ、りがとう? でも、まだ曲の途中じゃない?」


 私の指摘にも関わらず、カナちゃんはマイクを持ったまま喋り出した。当然曲は流れたままだった。


「これは現代を席巻するトップアイドル、竜宮寺ルアちゃんの新曲、“哀より青い春”だよ。今までの明るさはそのままなんだけど、ルアちゃんにしては珍しい失恋ソングとも読み取れる歌詞を感情たっぷりに歌い上げた奇跡の一曲なんだ」

「へ、へえー」

「ルアちゃんはね、アイドルなんだけど、今やもう珍しいソロで頑張ってるの。グループの力に頼らない、しっかりした良い子で、ダンスも歌も完璧なの。でもって、料理は下手なところが、いつもの完璧さとのギャップでいいんだよね!」

「そ、そうなんだー」


 思った以上に熱のこもった返事に、まのぬけた声しか出なかった。ごめんよ、カナちゃん、ホントはそんなに興味なかったんだ。心の中で謝罪していると、いつの間にか、咲ちゃんがまだまだ話したそうにしているカナちゃんを抑えていた。


「ごめんね、カナはミーハーだから」

「ミーハーじゃないし! ルアのことはずっと前から追ってたし」

「前からって、いつからなの?」

「えっと、だいたい二か月前くらい?」

「っく、絶妙にネタにし切れない期間ね」

「何を~!」


 カナちゃんたちが私たちそっちのけで、夫婦漫才を初めてしまったので、残されたトモちゃんと一緒に顔を見合わせる。


「あ~、何だ。もうそういう雰囲気じゃなくなっちまったな。……まあ、いいや。今度は逃げてるわけじゃないんだろ?」

「……うん、ちょっと時間が欲しかっただけ。また明日からは一緒」

「そうか。余計なお節介焼いちまったな」

「ううん、そんなことないよ。誘ってくれてありがとう」


 私がそう言えば、トモちゃんはへへっ、と頬をかいた。いつもの強気な彼女とは違って、可愛らしい仕草に思わずキュンとした。


「あっ、トモが照れてやんの!」

「あら、ホント。珍しいわね」


 ただ、その貴重な一瞬は、面白いことに目がない女子高生たちに目をつけられてしまったようだ。トモちゃんは先ほどまでの照れくさそうな顔から、一転目を吊り上げて怒った表情を見せる。その頬はまだ赤く照れ隠しなのは明白だった。


「き、さ、ま、ら、あ」


「あっ、やばい、トモが怒った。逃げなきゃ!」

「咲、カナを抑えろ」

「はーい」

「あっ、咲の裏切者っ!」



 ふふっ、トモちゃんにくすぐられて悲鳴を上げるカナちゃんを見ながら、自然と笑みがこぼれてしまう。聞けば三人は同じ中学校からの友だちらしく、気安さが見て取れた。


 その様子を眺めていると、なぜかハルちゃんたちのことが頭に浮かんだ。こんな時でも考えちゃうんだから、やっぱり私はハルちゃんたちとは離れられないんだろうな。そんなことを思いながら、トモちゃんたちのじゃれあいを傍観していた。

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