本棚

本間文子

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「さすがにこの子もそろそろ限界だろうと、かまってやりたくなった時こそグッと辛抱するんだよ。さらにもう一日は水をやらんことだ」


 そう言う親戚の背広の袖あたりを眺めながら、あれほど美しく花開くには、ずいぶん厳しい育ち方をするものだと、かなはぼんやり思っていた。


 長テーブルを挟んで奏の正面に座っている大叔父も、同じような感想を持ったのか曖昧な相槌を打つ。先ほどからずっと居心地悪そうで、何度か立ち上がろうとしては逡巡していることに奏は気づいている。この場から今すぐ逃げ出したいのは奏も同じだ。何より、こうしている時間を現実として受け入れたくない。


 一〇畳間にも満たない和室に置かれているのは横長のテーブルのみで、襖の向こうにいる女性スタッフがときどきお茶を淹れ替えてくれる以外は、二〇人弱の親戚だけで座っている。待ち時間は一時間強とのことだったが、奏はほぼ初めて顔を見る親戚が大半なので、どうにも居心地が悪い。ここにいる親戚のほぼ全員が教師で、そうでない人は公務員だという。全員が眼鏡をかけていて堅い雰囲気。さらに、漆黒の喪服が威圧感を漂わせている。


「栄養だってやる必要はないんだよ」


 みんなが押し黙っている中で、先ほどの親戚が再び口を開く。


「蘭は自分で栄養を蓄えるから、よほどのことがなければ手をかけなくていい。胡蝶蘭もそうだ。与えすぎると根っこから腐る。繊細な花だが、もともと岩場や日陰で木などに寄生する、着生植物だから飢えに強いんだ。そして、栄養は成長を促進する役には立つが、弱っているところを復活させることはできない。花が咲き終わったら根本から――」


 そう言いかけて、親戚は口をつぐんだ。


 ――切る。


 言いかけた言葉が、今まさに火葬されている祖母の死因を連想させたのだろう。奏が視線を外すと部屋の奥で、秋の澄んだ光を障子越しに受けながら俯いている叔母が見えた。彼女はふと顔を上げると、深い瞳で大叔父を見つめている。


 祖母の兄である大叔父は、先ほどよりさらに苦しそうな顔をしている。涙をこらえているのだろうか。目を固くつぶっていたが、不意に顔を上げた。


「まあ、その、なんだ」


 そして、テーブルに両手をつくと、意を決したように今度はゆっくり立ち上がる。


「ちょっと行ってくる」


 軽くよろけながらも立ち上がるやいなや、部屋の奥から叔母の鋭い声がした。


「誰かおじいちゃんを止めて!」。叔母は大叔父に駆け寄りながら続ける。「どうせ本屋に行くのよ!」


「時間までには戻る」と言ってその手を振り払おうとする大叔父に、叔母は「こんなときに何ですか。いつも時間なんか忘れてしまうじゃないですか」と返す。


 叔母の訴えによると、「本の重みで床が抜ける」と心配した家族が三年がかりで説得し、二階の角部屋にあった叔祖父の書斎を、やっとの思いで一階に移動してもらったのは昨年のこと。その後も根気強く説得を重ね、先月ようやく街の古本屋のご主人を家に呼び寄せて、叔祖父のコレクションの一部を売る算段を整えた。


「あの世には持っていけないからなあ」とはじめは賛同していた大叔父だが、ご主人が蔵書を手に取りながら「こんなにいい状態で希少本を保管しているなんて! お買い取りできてうれしいです」と喜んだものだから、態度を急変させた。


「すまんが、やっぱり止した! わたしが生きているうちは絶対に売らん!」  


 と、怒気を滲ませながら古本屋のご主人を追い返し、その後も杖をつきつき書店に通っては本を買い続けている。一般書店から古本屋まで。店内の椅子に腰かけては本に目を通し、毎日のように何冊も買う。そして「持ちきれない」からと電話で叔母を呼び出すのだと言う。


「ちょっとでも時間があるとすぐ本屋に行く」

「本屋くらい、いいじゃないか」

「毎回呼び出される私の身にもなってくださいよ」

「なら僕もついて行くよ」

「アナタが行ったらミイラ取りがミイラじゃない。同じ穴の貉なのに」


 大叔父と息子夫婦との軽い言い合いのようなやり取りは、いっとき収まったかと思えば一定の時間をあけては繰り返され、結局は火葬場のスタッフが呼びに来るまで続けられた。


 その間、叔母は親戚一同を縋るように見つめたし、親戚たちも口を挟んで三人をなだめた。しかし、彼らの内には「こんなときに席を外すとは何ごとか」と怒っている人はいないように感じられた。意見は「本屋くらい、いいじゃないか」「でも時間を忘れるから今は困る」の二つに集結されている。


 奏は祖父母の家にあった書斎と、天井まである数々の本棚に収められた大量の本を思い出した。もちろん、奏の家にも本専用の部屋がある。できれば家族の人数分、その部屋を持ちたいくらいだ。


 ふと、誰かのバッグからのぞいている、書店のカバーがかけられた文庫本が目に入ったとき、奏は確信した。


「ここにいる全員が、本棚と暮らしている」

 つまり、これは血なのだ。

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