後編

『お目覚めになられましたか』

「ええ」


 私はノロノロと身を起こした。

 緊急終了後は覚醒が遅い。


『メディカルチェックを受けることをおすすめします』

「いらないわ」

『では、休息を』

「今は少し考えたいの」

『精神的負荷の高かったシミュレーション結果を分析するのは、精神状態が落ち着いてからの方がよろしいかと存じます』

「もう、落ち着いたから大丈夫」


 私は柔らかい不織布で顔を拭った。


「ねえ。私は自己愛が強い方かしら?自分本位で自尊心が強い?」

『いいえ。あなたはむしろ自虐的なところがあり、自己肯定感が低いです。自罰的な振る舞いに及ぶ危険が高く、重要な行動においては慎重な客観的視点での評価を事前に検証することが望ましいです』

「そうね。だからあなたがいるのだったわね」

『自制心は高いですね。バイタルの安定を確認しました』

「捨てそこねたプライドだけでも、それくらいはできるわ」

『ご立派です』

「皮肉かと葛藤するのは煩わしいから今は褒めないで」

『承知しました。あなたは克己心の強い方です』

「迷う余地のない皮肉なら言っていいというわけではないのよ」

『あなたには敵いません』


 含み笑いをコイツに教えたのは誰かしら。私はやらないわ。


『先程のシミュレーションで得た知見がお有りのようですが、検証しますか?』

「ええ。さっき使ったメイヤーの人格モデルの評価値を、シミュレーション初期の頃のモデルと比較してレポートして。人物像の乖離が激しいわ。外部のネットワークから得られた噂や世間の人物評が、生成モデルにどのような影響を与えたのか数値で知りたい」


 私はコンソールを睨んで、出力結果を精査した。


「語彙や発言基準のボーダーが生育社会環境基準値に対して不自然に下がっている以外にも、ここのパラメーターが著しく下がっているわね」

『それはもともと構築されたモデルでも実測値より低かった部分です』

「どういうこと?」


 メイヤーのモデルのベースは、私自身で諸元を設定して構築した。

 外部のネットワークから得られたデータを入力して下がったのならば、"実測値"とはその低い値以下を指すべきだろう。


「"実測値"って何を指しているの?」

『あなたがこれまで会って話していたメイヤー様の人物像です』

「モデルの初期値は私が知っている彼よ。あなたはそれ以上は知らないでしょう?」

『いいえ。あの方が我が家においでくださったときの館内モニタの記録や、関係者に公開されているこれまでの校内行事の記録など、あなたのプライベートにおける記録であの方が取る行動パターンや会話の記録はございます』


 私はよくわからないという顔をしたのだろう。相手は珍しい提案をしてきた。


『私見を述べてもよろしいでしょうか』

「許可するわ」

『このシミュレーションモデルには、初期設定の時点で致命的なバイアスがかかっています。その補正がない限り正しい結果は得られないでしょう』

「バグがあるってこと?」

『ある意味そのとおりです』

「十分な自動評価試験はしたわ。メイヤーモデルは初期時点で通常行動の再現性において統計的に十分な信頼性を示したのよ」

『問題は構築したモデルではなく、あなたの方にあります』

「私が自覚していない問題点を、見つけたのね」

『そのための存在ですから』


 まったく。存在意義レゾンデートルを誇らしげにひけらかすなんて悪癖、いつの間に身につけたのかしら。事前検証のための客観的視点での自己評価機構としては個性がありすぎるわ。


「ひょっとして私の知らない間にマイナーアップデートしてる?」

『あなたの苦悩は私を成長させます。あなたの停滞は私により高度な判断を要求します』

「苦悩と停滞ね……ここ最近の私を表現するにはぴったりだわ」

『あなたは同調での慰安を好まれないので、私は別方向からのアプローチによる打開策を検討しました』

「その結論が私に問題があるって批判なの?」

『あなたは視野狭窄しておいでです』

「冷静になって視野さえ広げれば、私も問題に気づけるということね」

『ハーブティーはいかがですか?珍しいものが手に入りました』


 耐熱ガラスのポットに入った湯と、乾燥した花と葉のついた短い枝がティーテーブルに置かれた。


『シデリティスです。お湯に入れてしばらくお待ちください』

「淹れたのを出してくれればいいのに」

『実体験と経過観察は、手軽な結論にはない経験をあなたに与えてくれます』


 私は枝を摘んだ。

 干からびた植物は日頃あまり目にしない。これを丸ごと入れていいのか迷ったが、捻じくれて枝に張り付いた葉は下手に触ると粉々に砕けそうだった。


 まるで私みたいだわ。


 私は枝をポットに入れた。

 湯の中で葉と花がゆっくりと開いていく。


 私はもう一度、提示された論点を整理した。

 ポットからのぼる湯気と香りが、干からびて萎縮していた気持ちをゆっくりとほぐしていく。


 湯は徐々にほのかに緑がかった金色に染まっていった。


 耐熱グラスの小さなカップにそっと注ぐ。一口飲むと温かさが身体の芯に降りて行き、コロニーの空気とは違う香りが鼻腔に抜けた。


『天空に近い大地に咲く花だそうです』


 この花は青空に向かって咲いたのだろうか。


「地球産?」

『ご実家からです。お気に召していただけたようでしたら、邸内で栽培します』

「ここで育つの?」

『ここほど天空に近い大地はありません』


 私は笑ってしまった。

 なんてこと。笑い声すら花の香りがする。


「その冗談のセンスはメイヤーね。いやぁだ。彼の真似なんてしないで、エコー。私はナルキッソスやピグマリオン趣味はないのよ。自分を反映した対話型の自己検証人工知能に婚約者の行動パターンを付与して癒しを求めるのはごめんだわ」

『申し訳ありません。あなたの問題を解決する打開策を提示する他者視点の発想のサンプリング対象としては、あの方が一番最適でした』


 私はカップの中のお茶を揺らした。


「ありがとう、エコー・チェンバー。あなたとの対話は有意義でした。あとはを増やしてから再検証するわ」

『Happy as a lark 、モナミ』

「次回またそうやってメイヤーの口真似をしたら、オーバーホールよ」


 忍び笑いの気配がして、エコー・チェンバーのライトが消える。

 マイナーではなく、どこかの論理演算方式がメジャーアップデートしているに違いない。サイレント更新はやめて欲しい。




 私はメイヤーに「珍しい茶葉があるからお茶会をしましょう」と連絡して、アポイントメントを取った。

「今から行っても?」とは、彼にしてはせっかちな回答だ。

 私は自然公園のプライベートテラスを予約し、落ち合う時間を伝えた。今日の天気の予定は小春日和。少し小寒いかもしれないが、温かいお茶をいただくにはちょうどよいだろう。


 入浴し、今シーズン買ったのに、ろくに出かけていなかったせいでまだ着ていない服に着替える。服に合わせて髪を結い、お気に入りのアクセサリーを身につける。私の黒髪には銀が似合うという意見は今も有効だろうか?

 久しぶりにまともに向かい合うのだ。劣化したとは思われたくない。

 実測値の判定に、私自身の外見上の要因によるマイナス補正なんて入れるもんか。

 今日は自然公園だからメイクはナチュラルに寄せた。でも気分は完全フル武装。準備は万全。弱気になる隙なんて私は私に与えない。


 私は神話の受け身な乙女は嫌いだ。

 親に塔に閉じ込められて金の雨で身籠るダナエにも、卵を産むレダにもなりたくない。マリア?夫の同意なく一人で子を産んでどうする。


 気絶したくなるほどあけすけで容赦のない言葉を浴びて気づいた。

 家庭環境や世間体がどれほど強要してこようとも、私は私の生を主体で生きたい。それに世間の噂がどんなに私を冷徹な女と評そうとも、一人では生きたくはない。私は家族と心を交わし、人生を共にしたい。

 そして、叶うるならそれは彼とがいい。

 そのためならどんな手段を選ぶのもさほど怖くはない。失敗の根本原因が私にあるというのなら、私を変えてみせる。

 実測検証結果がエコーの予測した値になる可能性があるなら、私はその未来の前髪を捕まえて離さない。




 自然公園のウッドチップ風の小道をザクザクと歩いていく。湖とは名ばかりの貯水池モドキがすぐ脇にあるせいか、空気がひんやりしている。小春日和を楽しむには少し遅くなった午後。この地区用のコロニーのミラーはもう日差しの入射角度が移り変わっている。

 地球刻だ。

 あわいのそらには、地球光が差している。


 プライベートテラスとその後ろのコテージにはオレンジ色の明かりが灯っていた。

 背の高い人影がテラスのベンチから立ち上がる。


 まあ、嫌だ。こんなに早めに来たのに待たせちゃったの?


「やあ」


 彼は柔らかな地球光に照らされた風景の中で、昔どおりの声で私を迎えた。


「ごめんなさい」


 謝罪の言葉が素直に出た。


「どれくらい待った?」


 彼が差し出した手を取って、私はテラスに上がった。


「だいぶ待ったかな……」


 テラスの灯りを背にした彼の目は空色でも海色でもなく地球色。

 彼は私の手を握ったまま、もう一歩近づいて、私の顔を覗き込んだ。


「待たずに迎えに行こうって、何度も思ったけれど、なんだか悔しくて、結局、ずっと待ってた。君が僕のところにきてくれて良かったよ」

「会いたいならそう言ってくれれば良かったのに」

「そろそろそれぐらい察してほしかったんだ」

「…………ごめんなさい」

「今日はやけに素直だね」

「少し練習したのよ」

「面白そうだ。聞かせてくれないか。後学のために」

「持ってきたお茶を淹れるわ」

「中に入ろう。コテージも借りておいたから。空調予定表では今夜は少し気温が低めになるらしいよ」




 一緒に淹れたお茶は、一人の時よりも甘い香りがして、温かかった。




******************

後書き

案ずるより会うが易し


ネットの噂なんてあてにならないもんです。


お読みいただきありがとうございました。感想、レビュー☆、応援などいただけますと大変励みになります。

よろしくお願いします。




おまけ:

「スペースコロニーで籠から出た雲雀か……回転中心軸付近の低重力域まで上ったら、一生懸命に羽ばたかなくても楽に楽しく歌えるんじゃないかな」

「さすが、生粋のコロニー生まれは発想が違うわね」

「Happy as a lark 、モナミ」

「……文法が変だと思わない?」

「スラングにまで規則を求めるのは君らしいね。……君が望むなら型どおりにしようか?ご機嫌麗しゅう。お楽しみいただけておりますか、マイレイディ」

「いつも通りのあなたがいいわ」

「それを聞けて嬉しいよ」


メイヤーの愛情パラメーター、どう考えても高値安定w

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あわいの宙には地球光 雲丹屋 @Uniyauriya

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