あわいの宙には地球光

雲丹屋

前編

「お前との婚約を破棄する」


 冷たい声が叩きつけられる。

 金髪碧眼の我が婚約者殿は、その完璧に調整された整った顔を歪めて、いかに私を嫌っているかを表明し、侮蔑の眼差しを投げかける。


 またこの結末だ。


「貴様の悪行はすべて露見した。観念しろ。今、この瞬間よりその全権限を凍結し、ネットワークへのアクセス権を剥奪する」


 ウェアラブルデバイスの微かな振動が接続エラーを告げる。私がこの都市機構におけるすべての通信権を停止された知らせだ。

 パーティ会場の警備をしていた機装兵が滑らかに私の周囲を取り囲む。つや消しの銀と白の細身のボディはパーティ会場の隅に配備されていても威圧感を与えないように配慮されていたが、取り囲まれると十分に威圧的である。……赤色光で私をターゲットとしてポイントするなよ。


「実家と後継人に連絡する権利を請求します」

「認めない。加担した家門も同罪だ。24標準時間以内に地球圏にいる貴様の一族も破滅するだろう」


 これは、これまでで最悪だ。

 私は、ため息をついてシステムをリセットした。



 §§§



 "チェンバー、シミュレーション終了。アクセスアウト"


 聞き飽きたメッセージに了承のサインを出して身を起こす。


「何度やっても失敗するわ」

『お疲れ様です。一休みされてはいかがですか』

「そうね。なにか飲み物を」


 糖分とビタミン剤が添加された冷水が入った小さなカップを受け取る。

 シミュレーション内のパーティ会場で洒落たグラスに入った飲み物を飲んだばかりだが、現実の自分の唇や喉は渇いている。


「忘れないうちに結果の分析を見ておくわ。コンソールに出して」

『承知しました』


 表示されたデータとグラフを見ながら分析レポートを読む。

 なかなか成功に結びつかない試行実験に業を煮やし、一発逆転を狙って苦し紛れの策を弄したのが全部裏目に出た。時間経過で指数関数的に私の評価値が下がっている。大失敗だ。


「いっそ噂されたとおりに悪女に徹してやったらどうなるかと思ったら、普通に破滅したわね」

『あれほど思い切って徹底的にやれば、そうなるでしょう』

「それもそうね」


 これ以上見ても参考になりそうにないコンソールから目をそらして、新しく淹れられた温かいお茶を飲む。

 フレーバー添加のお茶は、粉末を溶いただけの量産流通品だが、適温で飲みやすい。


「今日の天気は?」

『今日から三日間は小春日和です。お出かけなさいますか』

「窓を開けて」


 長い間、シミュレーションを体験していたので、現実味が欲しくなり、部屋の向かいの壁を半透過ウィンドウモードにして外の景色を眺める。

 なだらかに湾曲した地面に沿った街並みが上空に続く光景は、見慣れたこの研究学園都市のいつもの風景だ。


 ここ"ブルーラーク"は、トロヤ点であるラグランジュ4に作られたシリンダータイプのスペースコロニーだ。宇宙に浮かぶ円筒形の閉鎖空間に作られた人工的な環境には、都市や田園以外に、森林や湖といった自然を思わせる風景が計画的に作り込まれている。近場の自然公園に出かければ気分転換にはなるだろう。


「止めておくわ。それはただの逃避行動だもの」


 私に残された時間は刻々と消費されている。このままダラダラと無為に過ごしていると、打てる手はますますなくなり、私はシミュレーションどおり婚約者に絶縁されるだろう。


「婚約制度なんてなければいいのに」

『自由恋愛で子孫を残す世界を維持する自信がお有りですか?』

「ただの愚痴に現実を突きつけないで」

『私的スペース以外で、政治的な話題を軽率にすることはおやめください』

「わかっているわ。"ポリシー"に異を唱える気はないわよ」


 複数の巨大複合企業体コングロマリットが協調して運営しているこの研究学園都市では、"ポリシー"と呼ばれる規範に従うことが義務付けられている。

 各企業の経営者の子弟の婚約もその一つで、企業体同士の業務提携の補助的な役割を果たしている。

 中世どころか人類史の初期からの伝統的やり口だ。しかし表向きは、文化の行き過ぎた成熟による先進共同体での出産率低下や、医療の発達に伴う総人口における高所得層の高齢者比率の過度な偏りを是正する対策として打ち出されているので、対案を出さずに批判するのは、自身の立場でははばかられる。

 私は"ブルーラーク"の出資企業体のNo.2を争うブランドの経営者の娘として生まれた。私の婚約相手のメイヤーは、世界を牛耳る勢いのトップ企業の会長の長子で、絶対に失敗が許されない良縁と常々言い聞かされている。


「初期条件を最新にして、最初からやり直してみましょう」

『少しお休みになったほうがよろしいのでは?』


 私は立ち上がってウィンドウから外の光景を見上げた。

 "ブルーラーク"に青い空はない。

 筒状の大地の六分の一幅ずつを区切る大きな窓からは、反射鏡からの太陽光が差し込んでいる。有害な放射線を除去する強化ガラスと、コロニー内の大気中の水分で散乱した太陽光は、上空に広がる街並みをうっすらと青みがかって見せているが、青空には程遠い。この研究学園都市では雲雀は籠から出ても青空を飛ぶことができないのだ。

 私はウィンドウを閉じさせた。




「人物モデルの精度を上げてみましょう」


 コンソールに、婚約者のメイヤーのシミュレーションモデルを表示する。

 なんの表情も浮かべていない彼の顔を見て、思わず安堵する自分に気づいて苦笑する。憎しみと嫌悪の眼差しは、心を疲弊させるものなのだ。

 コンソールに触れて、画面に映る彼の表情を和らげようとして思いとどまる。そんなことをしても、現実の問題の解決には繋がらない。


 私は幼い頃から見てきた彼の顔を見つめた。遺伝子レベルから選抜され、調整された完璧な容姿。

 地球圏からの転入者のシェリ・ローズウッドは、彼の髪を夏の日差しのようと評し、青い眼を広がる海原や果てしない青空に例えた。どれもこの研究学園都市で育った企業の社員や関係者の子弟は一度も実物を見たことがない代物だ。

 メイヤーはシェリに興味を示した。


「取得情報の範囲を広げるわ。ゴシップサイトの情報も拾って」

『信用性に欠ける情報をシミュレーションモデルの構築に使用するのはおすすめできません』

「でも、私の解決したい問題はまさにゴシップなのよ」




 地球からやってきたシェリは、新興生命維持プラントメーカーの娘だ。バックに医療薬企業もいるとか、環境保護団体の息がかかっているなどの噂もある。

 彼女はその可愛らしい容貌と巧みな話術で、たちまち学園の上層メンバーに取り入った。軍閥の雄の息子も、通信産業界の天才の息子も、運輸業のごうつくばりの息子も、メイヤーの取り巻きはことごとく彼女の信奉者となった。


 私はメイヤーに、ハニートラップには気をつけるようにと忠告したが、彼は笑って真面目に受け付けようとしなかった。


「君は心配しすぎだ。モナミ」

「でも……」

「それは君の嫉妬かい?」

「そんなのではないわ」


 私は彼にからかわれて本心を打ち明けるのがいやで、席を立ってしまった。そこから些細な引け目とわだかまりが尾を引いて、少し疎遠になってしまった彼と私に、嫌な噂が立った。

 私はそんな噂を聞いてしまったせいでますます彼に会うのが怖くなり、仲直りする方法がわからないまま、意固地になった。

 そうこうしている間に、メイヤーとシェリの仲が取り沙汰され始め、私がシェリを妬んで、裏で彼女に害を与えているらしいなどという事実無根の噂までが出回り始めたのだ。


 どうしてよいかわからなくなった私は、現状の仮想モデルを構築し、もしこのままいけばどうなるかシミュレートしてみた。


 結果は婚約破棄。


 焦った私は、色々と手を変え品を変え対策を講じた場合のシミュレーションを試みたが、どれも好ましい結果には繋がらなかった。


 私はモデルの精度を上げて、パラメーターを増やし、周囲の反応も忠実に再現できるように努めたが、結果はいつも婚約破棄。


 どうすれば良いというのか。

 迷うほどに、私は迷走し、何度も失敗を重ねた。


 学園で偶然、彼に出会ったとき、それまで傍らの友人と談笑していた彼が、私を見て戸惑ったように真顔になったのをみたときは、次に彼の顔に浮かぶ嫌悪を見たくなくて、その場から走って逃げてしまった。


 つらかった。


 シェリが彼のそばにいる光景を度々遠目で見かけた。

 私がよく知っていると思っていた彼があの地球娘のせいで、知らない人物になっていく気がして恐ろしかった。

 私はあの人の金色の髪を見て、基板の配線を思いだすし、青い目はダイオードよりもきらめいて綺麗だと感じる。「僕はアンドロイドじゃないよ」と笑う彼は、私の生まれ故郷の風景や古い物語を聞くのを好んだ。

 今、あの人は私の知らない地球の話を聞いているのだろうか。

 彼がすっかり縁遠い何かに変えられてしまっている気がして、胸が締め付けられる思いがした。


 それでも私は私に現実を叩きつけなければならない。



 §§§



 公開情報を片っ端から放り込んで、端々の些細な噂まで拾ってシミュレーションモデルを再構成した。最新データでアップデートされた彼は、すっかり私の知る彼とは別人だった。


 美化した思い出は十分に排除したつもりでいたけど、前バージョンでも、けっこう残っていたのね。


 幼い頃のあの人懐っこい柔らかな微笑みの面影は、最新データの鋭い美貌からは感じ取れない。これが世の人が見る彼なのか。

 話したいことがあると言って近づいた私を、彼は冷たい目で射た。

 次の一言を言う勇気が、減圧中のエアロックのように私の中から抜けていく。踏み出せばそこはマイナス270℃だ。


「今さらなんの用だ」

「私を捨てないで」

「君がどういうつもりでそんなことを言っているのかわからない」

「あなたが好きと言ってすがればいいの?」

「君がそんなことをするわけがないし、したとすれば裏があると考えるしかない」

「本心だと言ったら?」

「私相手にそんな嘘を付く君を軽蔑する」

「信じて……」

「信じているとも」


 はっと顔を上げた私を、冷ややかな眼差しが捉えた。


「君は家の忠実な奴隷だ。命じられた婚約のためならばプライドも品性も投げ捨てることを厭わないだろう。どうする?泣き落としの次は色仕掛けでもする気かな。君や君の親たちに必要なのは私の配偶者という社会的地位と、少しばかりの遺伝子を分け与えた子供なのだろう」


 彼は最大限の侮蔑を込めて吐き捨てた。


「取引したいのならば、そう言い給え。どうせ体外受精させて借り腹で産ませるだけだ。君にとっては希少な優良家畜の精子と意味は変わるまい」

「そんなことは……私は自分で……」

「自分で産む? まさか。そんな不要な肉体的リスクを取るような人間ではないだろう、君は」


 そうじゃない!


 私は自分の父母のことを思い出す。

 彼らはまさに契約上の関係だけのパートナーだ。私は遺伝学的には彼らの子だと証明書が発行されているが、古典の物語にでてくるような家族の結びつきは一切ない。私は腹の子を慈しむ母親や乳飲み子を抱く母親の絵画に憧れたが、母は私が物心ついて正しい作法を身につけるまで「教育のない人間未満には興味がない」と言って会おうともしなかった。

 父は定期的に私の資質をチェックし、学習過程を調整して、私という商品の有効な活用方法をプランニングした。

 あの冷静に値踏みする硬質な眼差しを思い出すだけで、私は緊張で身動きが取れなくなる。

 それでも……それだから。私は強張る喉から無理矢理言葉を絞り出す。


「私は……愛を交わせる家族が欲しい。だから、あなたと」

「性行為が体験したい?勝手にやりたまえ。相手が欲しければ君の実家で好みのアンドロイドでも何でも用意してもらえばいい。得意分野だろう。人工知能でも模擬人格でも君の望む愛の言葉ぐらいはささやいてくれる。自己満足の自慰行為に私を巻き込むな」


 彼はこれまで私が経験したこともないほど辛辣に、配慮のない言葉で私を突き刺した。


「自己愛に浸りたいなら、自分の体細胞クローンでも作って産むがいい。必要ならうちで手配してやろう」



 §§§



 "チェンバー、シミュレーション緊急終了。アクセスアウト"






******************

このままでは終わらない!

後編へ To be continued >>

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