けい子先生の黒猫
本間文子
けい子先生の黒猫
私は、「こわい話」が好きだ。とくにオバケが出てくる話が。
きっかけの一つは、小学二年生のとき。のちに社会現象とまで言われた「怪談ブーム」が起こったことだ。当時、夏休みや冬休みには毎日、昼時に『怪奇特集!! あなたの知らない世界』というテレビ番組が放送されていて、視聴者からハガキで寄せられた心霊体験を再現したショートドラマに、全国の子どもたちが昼ごはんもそっちのけでかじりついていた。そして、夜ひとりでトイレに行くときに思い出しては後悔していたのである。
ブームの波は私の通う小学校をも飲み込んでいた。普段なら口も聞かない男子と女子の垣根をなくし、豪快な乱暴者もすぐ泣く痩せぽちの男子も、生意気盛りの学級委員も。普段はリアクションといえば相づち程度で、図鑑ばかり覗き込んでいるガリ勉タイプも、根暗も根明も。あまねく恐怖の光を降り注いだ。
休憩時間や放課後に、私たちの学級の隅にはいくつかの輪ができて、みんなひそひそ声で怖い話をし合ったり、図書室から借りてきた心霊写真の本を開いては「呪われるー!」と悲鳴をあげたりしていた。そのうち輪が合流することもあった。
とくに、普段はネクラと言われる子が、みんなの視線を受けて震えながら小さな声で話す物語ほど怖かったし、まっとうな理由もなくクラスのほぼ全員に避けられていた子が、クラスで共有できる「学級文庫」の「恐怖コーナー」の本の充実を一手に担ったことで会話が生まれ、有識者として一目置かれたりしていた。
私たち世代はベビーブームだったのか、三年生用の教室だけが急きょ増築されたプレハブ校舎だった。家が近い子どもたち数名で通学班を作って、毎朝、揃って登校していたのだが、高学年の班長から、本校舎とプレハブ校舎をつなぐ渡り廊下には「学校七不思議」があり、渡り切るまでは息を止めていなければ呪われるのだと教わった。
他にも、「夕方四時にプレハブ校舎の二階の突き当たりにある、三年四組の前に行くと必ず不思議なことが起こる。この前も五年生の子が、誰もいない教室から『エーデルワイス』を吹くリコーダーの音を聴いたんだって」。そのせいか、よその班にいる三年生たちは、全員にどこか謎めいた影が見えた。
「奏ちゃんも、進級したら、あの廊下にだけは気を付けるんだよ」
「うん。わかった」
「いや、廊下だけじゃない。プレハブ校舎には気をつけな。ウチらも卒業しちゃうから、そうしたら守ってやれなくなるから」
「三年生になるのこわい」
何度となくそんな会話をしながら、私たちもとうとう三年生になった。新学期には百人ちょっとの生徒全員が、道具箱やら体操着やらを抱えて息を止めながら廊下を渡り、自分のクラスに向かった。集団になると一人より歩く速度が遅く、なぜか途中で進行が止まる。数メートルの廊下でも息を止めたままわたりきるのは至難のわざだった。
私は三年二組になった。プレハブ校舎の一階の端で、廊下の突き当たりにはヘチマのツルを巻き付けるための柵があった。左手にある教室の窓からは、プールが見えた。
始業式が目前に迫ってもまだ担任の先生は姿を見せず、「何かがおかしい」「きっとプレハブ校舎の呪いだ」と私たちはひそひそと言い合って震えていた。
「静かに!」と言いながら教室に入ってきたのは学年主任のオダワラという年配の女性教師だった。オダワラの誘導で整列し、体育館に向かう間、私はこう思っていた。
「オダワラが担任なのかな。だとしたら、これから始まるのは地獄だ」
彼女は根はやさしいそうだがスパルタで有名だった。しかし始業式が終わると、教室に入ってきたのは舞台上で新任の挨拶をしていた若い女性の先生だった。
黒板にきれいな字で大きく名前を書くと、弾けるような笑顔でこう言った。
「本田けい子です。みなさん、よろしくね!」
オダワラではなかったことに私たちは胸をなで下ろした。恐怖の一年間は免れたのだ。しかし、けい子先生にとってはまさしく地獄の一年の幕が開いた瞬間だった。
新学期が始まって数日もすると、学級が崩壊したのだ。
授業中にもかかわらず、男子は大騒ぎ。特に田岡遼平を中心とした男子グループはやんちゃで、時に教室の後ろでサッカーをし始めることまであった。女子はおしゃべりをしている。一見じっと座っているように見える生徒たちも、頭を寄せ合って「こわい話」をしていたり、学級文庫や図書室から借りてきた心霊写真の本に見入っては時々「うわっ!」と驚いたりする。私は専用のノートを開いて、クラスメイトに向けて勝手に連載していたホラーマンガを描いていた。
いつだったか、いつものように大声で注意していたけい子先生が、急に黙り込んだことがあった。教壇の上でうつむいており、頭を抱えて泣いていた。
「おい、先生が泣いてる!」
遼平がそう言うと、先生はそのまま教室から出ていった。戻ってきたのはけい子先生ではなく、オダワラだった。
学級崩壊が収束したのは、それからしばらく経ってからだった。放課後、教室の窓際にある先生の席に提出物や連絡帳などを持っていくと、先生は確認したことを示すサインの横にさっと、かわいいイラストを描いてくれた。私が飼育係りの仕事を終えてサインをもらった時は、空飛ぶ絨毯に乗った、ターバンを巻いた少年だった。横にピラミッドの先端も見える。
「うわあ! かわいい!」
私が喜ぶと、先生はにこにこしながら、少年の横に猫も足してくれた。少年と並んで、小さな手で絨毯の端につかまっている。
「けい子先生は絵がうまい」
「見て。昨日、似顔絵を描いてもらっちゃった」
「先生って、いい人なのかも」
そんな風に心を掴まれていった女子たちは、すぐに授業中におしゃべりを止めた。そして、なお騒ぎ続ける男子たちに「ちょっと! 静かにしようよ」と注意する子まで現れた。男子生徒にも落ち着きの気配が見え始めた頃、私たちのクラスにはある劇的な変革が起こった。
これは、私が「こわい話」を好きになった二つ目のきっかけとなる。
ある日、けい子先生は立ち上がるとこう言った。
「静かにしなさい! 静かにしたら、先生が怖い話をしてあげる!」
そして片手をまっすぐに挙げると、指を三本立ててこう叫んだのだ。
「三つ数える間に全員おとなしく自分の席に戻らないと、怖い話はしません!」そして指を一本ずつ折り曲げていく。
「三……二……」。
「一!」と言うけい子先生の声は、静まり返った教室にこだまするかのようだった。
私は一番前の席だったので、他の生徒がどうしているのかは見えなかった。ちょっとでも動けば怖い話が聞けなくなると、ぐっと固まったまま正面の黒板を凝視していたのだ。
「よし。じゃあ、お話するね。小さな声で話さないといけないから、みんなよく聞いて」先生は口元に小指を当ててそう言うと、教室を見渡して「力を抜いて聞いていいよ」とほほ笑んだ。
「具体的な場所はちょっと言えないんだけど、ある所にね、仮に山田さんというおじさんがいたの……」
そう言って聞かせてくれたのは、酒に酔った果てにペットの黒猫・クロちゃんを殺してしまった山田さんの悲劇だった。ついに誤って奥さんも手にかけてしまう。壁に穴をほって死体を隠ぺいし、そのまま会社に出勤。近所にもごまかしていたのだが、壁の中から四六時中、猫の鳴き声がする。近所の住人にも知れるところとなり、とうとう警察官が調査に入る。猫の声が家じゅうに響きわたると、壁がくずれて死体が露呈。山田さんはお縄となる。
のちに私はこの話がエドガー・アラン・ポーの『黒猫』だと知るのだが、それでもなお、けい子先生が語った『山田さんとクロちゃんの悲劇』の衝撃は忘れられない。
当時の私たちにとっては少し長い話にも感じられたが、だからこそ全員の心は射貫かれた。その後も何度となくリクエストして、野外教室へのバス移動の間や、授業が早く終わったときなど、ときに前後編に分けながら何度も聞いた。そして、その後もけい子先生は幾つも怖い話をしてくれた。
「先生の家の庭の端には、昔から納屋があったの。もう何年も誰も使っていないから、先週の日曜日に大工さんを呼んで納屋を取り壊したんだけど、骨組みだけになった納屋のあたりで大工さんが『おかしいな』と、しきりに首をひねっているのよね。建物の基礎になっている柱を外そうと地面を掘っていたんだけど、『シャベルに何かがぶつかる』って。そこで、先生のお父さんも手伝ってみんなで納屋の床下を掘り返したんだけど、なんと、土の中から、大きな犬の骨が出てきたの!」
「うわー!」
けい子先生が両手で示す骨の大きさは、意外と小さかったのだが、私たちにはとんでもない呪物のように思われた。
今思えば、けい子先生の実体験はこれだけで、他は落語や小説などを基に、子ども用にアレンジして話してくれていた。生徒が騒がしくなればすぐに「三、二、一!」とカウントしては毎回、生徒を黙らせた。教室はいつも、水を打ったように静かになったものだ。
だからといって、私たちの性格が変わったわけではない。一度、教育実習に来た先生がけい子先生のカウントを見て「すごいな! よーし! じゃあ、僕も!」とテンション高く片手を上げた。「スリー! ツー!……」と、雰囲気たっぷりにカウントしていったが、私たちは「ゼロ!」の声を聞いてもゲラゲラ笑っていた。けい子先生だから従っていただけなのだ。
けい子先生はそのまま私たちの学年を、卒業するまで受け持った。私は五年生から別の担任のクラスになったが、けい子先生のことは変わらず大好きだった。
卒業の日。私たちは、翌月から進学する中学校の制服を着て最後の登校をした。クラスには感極まって泣いている女子もいたが、ほぼ全員が同じ中学校に進むので、正直に言えば何の実感もなかった。
卒業式の後、教員専用の靴箱の前でけい子先生を見つけた。
「けい子先生!」
私が駆け寄るとけい子先生は何も言わず、顔をくしゃくしゃにして私を抱きしめた。とても強い力で、先生は震えていた。
先生は泣きながら私の頭をなでて、絞り出すようにささやいた。
「奏ちゃん、今日までありがとう。この先何があっても、奏ちゃんならきっと乗り越えられるからね」
「はい。先生も」
私が言うと、先生はまた泣き出した。私ももっと気持ちを伝えたかったが、照れくささや切なさで胸がしめつけられて、言葉を続けられなかった。初めてけい子先生が三カウントをした日のように、ぐっと固まったまま。あの日「力を抜いて」と言った先生が、今は誰よりも感情をこらえている。
「元気でね」
「うん」
「幸せにね」
「ありがとう」
この数年後にプレハブ校舎は取り壊され、今はその横にコンクリートの校舎別館が建っている。わたり廊下はジャバラの半透明のプラスチックの壁ではなくなった。けい子先生はその後結婚して名字が本田ではなくなった。そして今も、小学校で教師を続けているそうだ。
けい子先生の黒猫 本間文子 @ayala_teya
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