前日譚の終わり。そして物語は幕を開ける
昨日の昼過ぎにA国の王都中央駅を発車したグランニュート号は、予定より四時間ほど遅れて、そして出発時より一両少ない状態で目的地の
本来ならば昼過ぎに到着のはずが、もうすっかり暗くなっています。
どうしてこんなに時間がかかってしまったのかというと、理由は色々あるのですが、まず犯人が逃走中に落とした金銭の回収と持ち主への返還。
濡れた服の着替えや、食器やガラスの破片で怪我をした人々の治療。
それ以外にも、全車両の安全確認や貨物車に預けられていた乗客の私物を移動させたりなど。
他にも細かい理由を挙げるとキリがありませんが、そういった諸々の理由で、少なからず時間がかかってしまったのです。
ちなみに貨物車両は、三等客車と繋ぐ連結器が修復不可能なまでに破壊されていたので、すぐには動かせません。後で線路上に土木作業用の大型ゴーレムを入れて牽引させることになるようです。
そうなると必然的に、車両の除去作業が済むまでは後続の旅客列車や貨物列車は線路上で足止めを食うことになったワケで、結構な額の経済損失が発生してしまうのでした。
◆◆◆
事件は一応の終結を見たのですが、レンリと他数名はすぐには解放されませんでした。
なまじ犯人一味の顔を細かく覚えていた為に、学都駅近くにある騎士団の詰め所で手配書に載せる似顔絵の作成に任意協力していたのです。
もちろん、正義感と順法精神に溢れるレンリは喜んで協力しました。
なお、案内された詰め所の取調室にて、事情聴取を担当した騎士との間で以下のような会話があったとかなかったとか。
「面倒臭いから、もう帰っちゃダメですかね?」
「協力してくれたら、無駄に事件が大事になった責は問わないでおくが?」
レンリは“喜んで”協力しました。
流石に、事件より食事を優先したのはマズかったようです。
レンリは犯人の人相や特徴、覚えている限りの事件の流れなどを説明しました。
それに、どうやら別室でも、現場に居合わせた他の乗客たちや鉄道職員から、別々に聞き取りをしているのだとか。後でそれらの情報を照らし合わせる事により、思い込みや記憶違いによる情報のブレを補正するのだそうです。
レンリの聞き取りを担当したのは、まだ二十歳に届かないくらいの栗毛の青年と、似顔絵担当の絵の達者な中年男性でした。青年のほうは、この若さで周辺地域の治安維持を担当する騎士団の団長を務めているのだそうです。
国によって多少は違いますが、騎士団長というのは、その国の王様に直接意見を言うことが許されるくらいのお偉いさんです。百人長とか千人長の更に上であるといえば、多少は想像しやすいかもしれません。
まあ、どこぞの貴族や豪商の
そんな地位の人物が対応したのも、一応は外国の貴族令嬢である自分の立場を考えれば、それほど不自然な話ではなくもないのかもしれない……と、レンリも雑な感じで納得していました。
それに何故だか途中で紅茶と焼き菓子が出てきたり、
「む、そろそろ夕食の時間か。取調室なんぞで済まないが、よかったら一緒にどうかな? レンリ嬢の分も運ばせよう」
夕食時には『豚のカツレツを玉子や薄切りのタマネギと甘じょっぱく煮て、炊いたライスに乗せた料理』が出されたりと、至れり尽くせりの対応でした。
「うむ、取調室での食事はコレに限る」
「この料理、美味しいですね。あ、おかわり貰えます?」
駄目元で団長氏におかわりを頼んだら、普通に出てきたりもしました。
最初は面倒に感じていたレンリとしても、総合的にはむしろ得をした気分になったくらいです。
◆◆◆
事情聴取が一段落したのは、もうすぐ日付が変わろうかという深夜。
空には月や星々が煌々と輝いています。
もう春とはいえ、この時間帯の夜風はいささかの肌寒さを伴うものです。しかし、温かい室内に長時間いたせいか、レンリはその涼やかな空気を心地良く感じていました。
「すっかり遅くまで付き合わせてしまったな。レンリ嬢、捜査へのご協力感謝する」
「なに、善良な一市民としては当然のことですよ」
「たしか東街の親戚宅に滞在するのだったな? そこまで部下に送らせよう。馬車を呼ぶから待っていてくれ」
団長氏は送迎用の馬車を呼ぶ為に、詰め所前にレンリを残してその場を離れました。
学都の南地区は数々の商店や劇場などが並ぶ賑やかな場所なのですが、このくらいの時間ともなるとシンと静まり返っています。
レンリが退屈を持て余して立っていると、背後から声がかけられました。
「あ、さっきのお客さん」
「おや、君はたしか鉄道の? そうか、君も呼ばれていたのか。今日はお互い災難だったね」
犯人の追跡をしたルグも、事件の関係者として詰め所での聞き取りを受けていたのです。
「ん、制服はどうしたんだい?」
「ああ、元々昨日と今日だけの臨時だったんだ……です」
ルグが鉄道会社から借りた服にはナイフの破片で穴が開いてしまいましたし、元々一日のみの臨時雇いだったので制服は返却済みです。既に元の自分の服に着替えていました。
「なるほど、そういう事情だったのか。ああ、もう仕事中ではないのだし敬語はいらないよ。君の話しやすい喋り方で構わない」
「そっか、それは助かる」
最初、ルグのほうは距離感を測りかねていましたが、レンリが気を利かしてくれたので、楽な喋り方に崩しました。
そうやって言葉を崩して気が抜けたお陰か、彼はある事を思い出して申し訳無さそうに伝えました。
「そうだ、あの剣……返そうと思ったんだけど」
犯人を追う時にレンリから借りた妙に切れ味の良い長剣。
ルグとしては当然用事が済んだら返すつもりでした。
ですが、犯人一味がグランニュート号から飛び去って少し経ったあたりで急に赤黒い錆が浮いてボロボロになり、崩れるように壊れてしまったのです。
名剣や業物という言葉が相応しい切れ味でしたし、ルグとしては弁償を迫られやしないかと内心不安だったのですが、
「別に構わないよ。アレは元々使い捨てなんだ」
「そうだったのか、良かった……!」
ルグは魔法の道具にはそれほど詳しくありませんが、壊れるのが前提の武器だったのだと理解して、ホッと胸を撫で下ろしました。
どうやら、学都に着いて早々に借金を抱える羽目になる事態は避けられたようです。
それから、レンリとルグは馬車が来るまでの短い時間、とりとめのない話をしました。
時間にして精々五分か十分程度。
互いの出身や食事の好みについてなどの当たり障りのない、まあ単なる暇潰しの雑談です。
「それで、うっかりお金を使って切符代がなくなっちゃってさ」
「あはは、それは大変だったね。その店なら私も知っているよ。うちの爺様が店主殿と懇意にしていてね……っと、お迎えが来たみたいだ」
しばらく話していると、騎士団の紋章が入った馬車が通りの角を曲がって近付いてくるのが見えました。送迎用の馬車が来たようです。
今夜はレンリは居候予定の親戚宅へ向かう予定。
ルグは衛兵隊の宿舎の一室を借りて泊まることになっています。
今の時間から泊まれる宿を探すのは大変ですし、なるべく節約もしたいので事情聴取を担当した兵に頼んでみたのだそうです。
宿舎は詰め所から歩いてすぐの距離なので、別にレンリの話に付き合う必要はなかったのですが、そこはまあ場の流れというやつです。
「ああ、そういえば」
馬車に乗り込む間際、レンリはくるりと振り返りました。
「お互い、まだ名乗っていなかったね。私はレンリという。家名は……長くて覚えにくいし、別にいいか。家族や友人からはレンと呼ばれているよ」
その名乗りを受けて、ルグも自分の名を告げます。
「俺はルグ。家族や村の連中はルーとかルー坊って呼ぶよ」
これから同じ街に住むのですから、縁があればまた会うこともあるかもしれません。
「そうか。よろしく、ルー君」
「よろしく、レン」
なので、彼らは「さよなら」ではなく「よろしく」という言葉を別れの挨拶に代えました。
◆◆◆
大陸横断鉄道を舞台にした彼らの事件は、これにてお仕舞い。
ですが、これは前日譚。
学都と迷宮とを舞台にした彼らの冒険譚は、まだ始まってすらいません。
彼らの物語が真に幕を開けるのは、この翌日のこと―――――。
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