グランニュート号事件②

 食堂車の乗客はすぐに異変に気が付きました。



「列車が遅くなってる?」



 先程まで丸一日近くも一定の速度で走り続けていた列車が、徐々にその速度を落として、しばらく進んだ後に完全に停止してしまったのです。



「おや、どうしたんだろうね?」



 避難してきた乗客でごった返す食堂車で未だに食事を続けていたレンリは、不思議そうに呟きました。

 彼女も別に返事があると期待したわけではなかったのですが、ちょうどフライドポテトの最後の一本を食べ終えたラックがその疑問に答えました。



「ああ、きっと貨物車両が切り離されたんだろうねぇ」


「切り離された?」


「この鉄道って正規の手段以外で車両の連結が外されると、自動的に機関部への魔力供給が止まる仕組みになってるらしいよ。事故で外れた場合に後ろを置き去りにしない為の安全装置ってやつさ」


「へえ、よく知ってるね? いや、でも……」



 最後尾の車両が火事になったのだから、先程の鉄道騎士達が延焼対策として一時的に車両を切り離すのは不思議ではない。しかし、どうして正規の手段以外で為されたと考えたのだろうか?


 レンリが新たな疑問を口にする直前、食堂車の中に大きな声が響きました。




「動くなっ!」



 レンリが声の方向に視線を向けると、アルバトロス一家の長女リンが幼い男の子を後ろから拘束し、喉元にナイフを突きつけているのが見えました。



「この子の命が惜しかったらお金を出しなさいっ!」



 人質の子供は泣き叫びながら、周囲の人々に助けを求めています。

 大型のナイフは切れ味の鋭さを感じさせる凶悪な輝きを放っており、犯人の手元が少し狂っただけで簡単に子供の頚動脈は切断され、致命傷となることでしょう。


 途端に騒がしくなる車内ですが、そんな中、ラックは周囲の喧騒を気にせずゆっくりと立ち上がりました。そして車内の乗客や職員に向けて、まるで舞台劇の口上のような大仰さで告げたのです。



「やあやあ、お集まりの紳士淑女の皆さん。よろしければ、お手持ちの財布を出して頂けますか? ああ、お気遣いなく。こちらで回収するので床に置いてもらえればいいですよ」



 そう言うラックも、いつの間にか服の下に隠してあったナイフを手にしていました。

 彼が強盗の一味だということは誰の目にも明らかです。



「武器を持ってる人は、怖いからゆっくり床に置いて下さいね。鉄道騎士さん達は今ちょ~っと忙しくて来れないんだけど、あんまりゆっくりはしてられないから。できるだけ急いで欲しいかなぁ?」


 そう言って、ふざけた調子でナイフを人質の眼前で振っています。


 乗客の中には護身用の武器や魔法を使う為の杖を持っている者もいましたが、子供を人質に取られている状況では迂闊に身動きが取れません。人々は止むを得ず武器を手放して、要求通りに床に置きました。



「なるほど、そういう事だったのか」


「いやいや、ごめんね~、レンちゃん。……って、この状況で食べ続けるとか、キミすごいね!?」



 レンリはジャケットの下に入れていた護身用の短杖を言われた通りに床に置くと、何事も無かったように三皿目のローストポークに取り掛かりました。

 その豪胆さと食い意地には、いつも平常運転のラックも驚きを隠せません(その動揺のせいか、食事用のナイフとフォークを取り上げる事は忘れていました)。



 ともあれ、レンリに関しては放っておいても害はなさそうなので、ラックは気を取り直して強盗の続きに戻りました。人質と妹から距離を取るように人々を後ろに下がらせ、時折足下の財布を拾ったりしています。

 乗客の反応は様々で、卑劣な犯行に憤りを顕わにしたり、自分に害意が向く事を恐れて怯えたり、意味もなく叫んだりしていました。



「やあやあ、そこの給仕長さん。まあ別に他の人でもいいんだけど、そこのカウンターの裏に入ってる売り上げをプレゼントしてくれると嬉しいなぁ。あ、袋はこっちで用意してあるから、それに入れてね」



 ラックが子供を人質にしたリンのほうに視線を向けると、給仕長も下手に逆らう事は出来ません。この場は乗客の身の安全を優先して、おとなしく昨日からの売り上げ金を投げ渡された麻袋に詰め込み始めました。



「いいんですか!?」


「……仕方ない、乗客の安全が優先だ」 



 先程まで忙しく料理を運んでいたルグも憤りを隠していませんでしたが、給仕長は苦々しい顔で袋に売り上げ金を詰めています。

 やがて、お金を詰め終えた給仕長は、硬貨や紙幣の入った袋をラックの足下に投げました。


 そして、ニヤニヤ笑いのラックが乗客から回収した財布なども袋にまとめ、袋の口を紐で縛ったところで、



「……あの、レンちゃん? 少しは空気を読んで欲しいかなって?」



 騒動に構わず食事を終えたレンリが布ナプキンで口元を拭きながら立ち上がり、麻袋を拾おうとするラックにスタスタと近寄りました。

 人質の存在などまるで意に介していないかのようです。



「貴女、この子の命が惜しくないの!?」



 泣いて助けを求める子供にナイフを突きつけたままのリンが、不審な動きを見せるレンリを牽制しようとしましたが、



「ええと……うん、まあ別にどうでも?」



 流石に、この反応はラックやリンにとっても予想外でした。


 

「酷い!? それでも人間なの!」


「そうだ、そうだ! そういうのは、お兄さん良くないと思うぞ、レンちゃん!」



 卑劣な列車強盗達が口々に人道を説いてきましたが、レンリはそれを気にする様子もありません。そして淡々と、当たり前のように続く言葉を口にしたのです。



「いや、だってさ……その子、君達の仲間でしょう?」



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