ルグという少年
今からちょうど一日前。
一人の少年がA国王都中央駅の前でとても困っていました。
「これは困ったな」
少年の名はルグ。
故郷の村から単身王都に来たばかりです。
見た目の年齢はどうにか十二に届くかどうかくらい……なのですが、実際は先月に十五歳の誕生日を迎えたので、この国では成人として扱われる年齢です。
平均より少し(本人談)低い身長と童顔のせいで、子供扱いされるのが悩みの種なのですが、現在ルグはそれ以上の悩みに直面して頭を抱えていました。
燃えるような赤髪も、現在の彼の気持ちを表すかのように、どことなく色あせて見えます。
その悩みについてですが、これから
どこかに銅貨の一枚でも紛れ込んではいないかと、先程から服のポケットや鞄の中を何度も確認していますが、出てくるのは糸屑ばかり。
このまま探っていては、先にポケットに穴が開いてしまいそうです。
いえ、馬車を乗り継いで王都に来た昨日の時点では充分なお金があったのです。
昨晩は安宿とはいえ食事付きの宿に泊まれましたし、この日も朝から王都見物を堪能していました。
田舎から出てきたばかりのルグにとって、賑やかな王都は興味深いものだらけです。列車に乗るまでの一日足らずの滞在とはいえ、折角の機会に観光をしようと考えたのは自然なことでしょう。
流石に入ることはできませんでしたが、王様の住むお城は想像していたよりもずっと立派でしたし、珍しい道具や綺麗な服を売る店も数え切れないほど並んでいました。
それに街を守る騎士や衛兵たちは、一目でおのぼりさんと分かる少年が道を聞いても親切に教えてくれました。
巡回中の若い衛兵から安くて美味しい食堂の場所を教えてもらい、お昼には奮発して分厚い
この時点で駅に向かっていれば、まだ問題なかったことでしょう。
問題が起こったのはこの後です。
起こった、といっても完全に自業自得なのですが。
お昼のステーキをたらふく食べたルグが腹ごなしの散歩をしていると、人だかりの出来ている菓子店の前を通りかかりました。
彼も甘いお菓子は嫌いではありません。
いえ、はっきり言って大好物でした。
冒険者をしている武術の師匠(ルグが勝手に弟子を自称しているだけなのですが)がかなりの甘党で、数年に一度くらいフラリと村に立ち寄っては、子供たちに珍しいお菓子を分けてくれるのです。
財布の中身を計算しながら、食後のデザートを付けても大丈夫そうかと思案していると、店の看板娘と思しき十歳くらいの少女がルグに声をかけてきました。
「そこのお兄さん、試食はいかが?」
「え、俺?」
利発そうな少女に一口分だけが入った小さな器と匙を渡され、ルグは勧められるがままに初めて食べる菓子、アイスクリームを口にしました。
「冷たっ!?」
「あら、大丈夫? ビックリしちゃったかしら?」
「いや、大丈夫だよ。うん、美味いな、コレ!」
ルグは初めて食べたアイスクリームの冷たさに目を白黒させていましたが、舌の上で溶けるヒヤリとした感覚とバニラの甘い風味に大いに感激していました。
……そしてヒトの欲望というものは往々にして、知らない物事に対して我慢するのは容易くとも、一度その心地良さを知ってしまえば耐えるのは難しくなるものです。
「少しくらいなら大丈夫」
本当に少しで済めば良かったのですが、この手のセリフを口にする人物が本当に少しだけで済ませる例というのは滅多にないことです。
それに、この後がまた良くありません。
ルグは店の看板を改めて見上げ、そこに小さく書かれている文言に気が付きました。気が付いてしまいました。
「ん? 『勇者直伝の味』って?」
「あ、それはね」
思わず口に出した彼の疑問に、耳ざとく聞きつけた看板娘嬢が答えました。
この店の店主、当時国の騎士団に所属していた少女の母は、十数年前に勇者の供の一人として大陸中を旅したのだとか。その際に異界の菓子の製法を直々に教えてもらい、帰国後に騎士を辞めてこの店を出したのです。
この王都には他にもアイスクリームを売る菓子店はありますが、『勇者直伝』の威光と味の良さから、この店が二位に大きく差をつけての一番人気なのだとか。
日頃から何度も似たような説明をしているのでしょう。
看板娘嬢の語りは、本職の吟遊詩人もかくやというほど堂に入ったものでした。
昨今では多少落ち着いてはいますが、救世の英雄と名高い勇者の人気は相当なものです。
かの人物が女性であった為か貴族の令嬢の間で剣術を学ぶことが流行したり、一時期は姿を真似る為の黒髪のウィッグが飛ぶように売れた事もありました。
勇者の木像や銅像は縁起物として未だによく見かけますし、詩歌の題材としても人気です。
「そうなんだ、あの人に……よし、じゃあ、折角だから食べていこうかな」
「はーい、一名様ご案内!」
「何かオススメはある?」
「ウチのは全部美味しいわよ」
「じゃあ……全部で!」
ルグも多感な少年らしく、そして個人的な事情もあって並々ならぬ熱意で勇者に憧れを持っていました。そんな彼が『勇者直伝』の文言に背を向けることなど出来るはずがなかったのです。
列車の切符代の事などすっかり忘れて、片っ端から注文し始めてしまいました。
我に返った時には後の祭り。
驚異的な胃腸の強靭さのおかげで、お腹を壊さなかった点だけが唯一の救いでしょうか。
◆◆◆
「よし、お金を稼ごう」
手持ちのお金だけではどうにもならない事を悟ったルグは、あっさりと思考を切り替えました。基本的にさっぱりした気性の少年なのです。
元々予定していた列車の出発時間には間に合いませんが、何日か日雇い仕事をすれば切符代くらいは稼げるでしょう。
そう思ってルグが歩き出そうとした矢先、彼の目の前を二人の男性が通りかかりました。
彼らは大陸横断鉄道の制服を着ています。
駅前なのですから鉄道の職員が通りかかることもあるでしょう。なので、それ自体に不思議はありません。ですが、彼らは、難しい顔をしながらこんな話をしていたのです。
「いつもの給仕が馬車の事故で骨折したって?」
「ああ、幸い命に別状はないんだが、流石に仕事は休ませなきゃならん」
「代わりのアテはあるのか?」
「いや、それが急な話だったもんでな、もう出発まで時間もないから臨時で人を雇う事もできん。仕方ないから他の連中に頑張ってもらわんと」
以下略。
要するに、食堂車の給仕の一人が怪我をして欠員が出たので困っているという話をしていました。
別に盗み聞きするつもりはなかったのですがルグはその話を聞き、そして、とても良いアイデアを思い付いたのです。
「そこのオジサン達、ちょっといいかな!」
「ん、なんだい坊や?」
「人手が足りないなら俺を雇わない?」
食堂車の給仕の仕事ができれば当初の目的地まで移動できる上に、切符代を払うどころか逆に給金まで貰えます。
鉄道の職員たち、車掌と給仕長は突然の申し出に驚きましたが、猫の手も借りたい状況なのは確かでした。駅長や他の職員とも相談し、短い面接を済ませると、ルグを
◆◆◆
「新入り、次は六番テーブルにカツレツ二つだ!」
「はーい! あ、三番空いたんで運んだら食器下げます!」
食堂車での仕事はまるで戦場のような忙しさでしたが、ルグは小柄な体格とすばしっこさを活かして、木々の枝を飛び回るコマドリのように働きました。
故郷の村では農作業や狩りの仕事で大人と同じように働いていたので体力は並の大人以上にありますし、物覚えも悪くありません。
この日のディナーメニューは『トロトロに煮込んだビーフシチュー』と『仔牛のカツレツ』で、どちらの料理にもセットのパンが付いてきます。
さらに追加でお酒やデザートを注文するお客も少なくありません。
中には両方の料理を二人前ずつ注文した上に、デザートのレモンチーズケーキを丸ごと一ホール分も食べるような大食いの客もいて、ルグは皿を運んでいる間に腹の虫が騒がないように堪えるのが大変でした。
最初は他の給仕や料理人たちも突然入ってきた新入りを不安視していましたが、一日目の夕食時が過ぎた頃には、臨時ではなく本当に給仕見習いとして働かないかと誘われたほどです(他にやりたい事があるからと断っていましたが)。
大忙しのディナータイムが終了して、全部のお客が客車に戻っても仕事は残っています。
木製の床をモップでピカピカに磨き上げ、清潔な布でテーブルも綺麗に拭き、食べカスやゴミが全く無い状態にしなければいけないのです。
ですが、そんな作業もルグには苦ではありませんでした。
清掃が終われば、まかないを食べられると聞いていたからです。
まかないの内容は基本的にその時々の残り物。
ですが、残りとはいってもお客に出した物と同じ料理ですから嫌がる者など誰一人いません。
仔牛のカツレツは売り切れてしまっていたので、今回はビーフシチューに茹でたマカロニを入れてカサを増やしたものが皆の夕食になりました(余談ですが、運転士の二人は食あたり対策で別々の物を食べる規則になっているので、現在運転をしている副運転士は売り物とは別に取って置いたカツレツを後で食べることになります)。
「美味い!」
ルグは一口食べるなり思わず感嘆の声を上げました。お客が美味しそうに食べるのを散々に見せ付けられながら働いた後ですから、シチューの味も格別です。
肉の繊維は舌で押すだけでホロホロと崩れながら旨味のエキスを放出し、大ぶりのニンジンやポテトもシチューの味をたっぷり吸い込んで柔らかくなっています。
この滋味溢れる味を前にすれば、どんな野菜嫌いの子供だって大喜びで食べるに違いありません。シチューに入れたマカロニもクニクニとした食感が面白く、舌を飽きさせません。
「ああ、美味かった……」
じっくりと大事に味わおうと思っていたにも関わらず、ルグが気が付いた時にはお皿の中が空っぽになっていました。
最後の汁の一滴まで残さず綺麗に味わい、この日の夕食を終えました。
食事を終えたら交代で就寝です。
最後尾の貨物車の半分は職員用の控え室になっていて、夜番の者以外は日の出まで休むことになっています。乗客が起き始めるまでには朝食の準備を終えていないといけないので、寝坊はできません。
しかし、中にはこれからが仕事の本番という者もいます。
二百人以上の乗客を運ぶのですから、深夜であっても急なトラブルが起こる可能性が常にあります。急な怪我や病気や酔客同士のケンカなどがあれば、すぐに対応する必要がありますが、運転士は運転席を離れるわけにもいきません。
その為に真夜中であっても、夜番の車掌や鉄道騎士が問題に即応できるように列車内を巡回しているのです。
鉄道騎士というのは列車内での保安を担当する役職で、走る密室とも言える大陸横断鉄道内での治安維持を担当するのが仕事です。
幾つもの国々を通過する鉄道の性質上、時にはトラブルの解決に腕っ節だけでなく幅広い法律知識も必要とされますし(列車内では、その時車両が位置する国の法が適用されます)、接客も行う為に礼節についてもしっかり修めていなければなりません。
鉄道騎士とは、厳しい試験を通過して選ばれた文武に優れたエリート。
車掌や運転士と並んで鉄道の花形と言えるでしょう。
ルグとしてはそんな鉄道騎士の仕事ぶりにも興味があったのですが、昼までの観光と夕方以降の仕事の疲れには抗えなかったようです。
簡易ベッドに横になると、たちまち夢も見ないような深い眠りに入りました。
◆◆◆
朝は乗客が起き出す前に朝昼兼用の食事を済ませ、再び食堂車での給仕をしました。
朝寝坊をしたりだとか、朝は食欲が出ないお客が多いようで、昨晩よりは落ち着いた雰囲気のまま朝食の時間は終了。
その後は短い休憩を挟んでから昼の仕事です。
この日のランチメニューは『特製ローストポークと山盛りマッシュポテト』と『サーモンの揚げ物のサンドイッチとフライドポテト』の二種類で、ルグも先程太っちょの料理長に一口ずつ味見をさせてもらいました。
どちらも絶品でしたが、特にローストポークのソースは絶品です。
細かいレシピまでは教えてもらえませんでしたが、葡萄酒と少量の酢と、複数の香辛料を長時間煮詰めて引き出したという柔らかな酸味と風味が絶妙でした。
ランチタイムは朝に食べそびれた乗客が一斉に押しかけるので、朝とは打って変わった忙しさ。
ルグも注文を取ったり食器を下げたりと忙しく動き回りました。
「お客様、お食事中に失礼します。お待ちのお客様とご相席して頂いてもよろしいでしょうか?」
「相席かい? ああ、いいとも」
空席があれば、先客に確認してから順番待ちをしている乗客に勧めたりもします。
ルグは窓際の二人席で食事をしていた青年に相席の了承を得てから、待っている五人組の家族連れに声をかけました。しかし、彼らは幼い子供がいる事もあり、一緒に座れる席が空くまで待つことにしたようです。
「お客様!」
そこでルグは、家族連れの後ろで一人待っていたジャケット姿の少女に声をかけました。
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