聖教皇の素顔

 オッドアイの神官は、意味深な笑みを浮かべると踵を返した。黒い木製の扉を開き、三人を中へと促す。

 アルナールの聴覚は、同行者のふたりが唾を飲む音をとらえた。


 陽が傾いている山間の泉より教会の内部は暗いようで、様子が分からない。アルフェリムを先頭に、レオニアス、アルナールの順で続く。

 アルナールは、いつでも抜刀できる心の準備をととのえて臨んだ。


 優美なカーブを描く天井、それを支える白い柱、そこに掲げられた灯。極彩色のステンドグラスからは、夕暮れのわずかな光が斜めに差し込んでいる。最も奥には祭壇、そこへ至る空間には木製のベンチが三列に並んでいる。50人程度の信徒を収容できそうな空間だ。


 祭壇の手前に、椅子に腰かけた人物がいる。

 神官の服装と似ているが、生地が虹色の光沢を帯びている。見る角度によって反射光が異なる波長を生ずる特殊な織物で、これを着用できる人物は、この世にただ一人。

 長い銀髪と、顔を隠す白いベール。公国の君主であり、虹の女神スピネルの代理人である聖教皇が三人を待っていた。


 アルフェリムが、彼の正面に立つ。残る二人は一歩下がって並んだ。

「フォアスピネ様にご挨拶申し上げます。七色の導きがあらんことを」

 同行者にならってアルナールも一礼したが、すぐに視線を目の前の人物に戻す――一瞬の数倍の逡巡のうち、発言するべきか、それとも第二王子であるアルフェリムに段取りを任せるべきか、大いに迷った。


 空気が動いて、聖教皇フォアスピネの顔を覆うベールがごくわずかに揺れる。どうやら笑ったらしかった。ベールで視線は分からないが、アルナールを見ているように感じられる。


「私もお前と同意見だ、ウラヴォルペの小娘。堅苦しいオッサン連中と顔を突き合わせて話す気になれなくてな。こうしてお前たちだけ呼び出した――おい、ウヌ・キオラス」

「はいはい」

 聖教皇が手招いたのは、先ほどの神官だ。

「生クリームをたっぷり入れて苺をトッピングしたカフェオレを持ってこい」

「ありませんよ、そんなもの。お客さんがたにコーヒーを準備してるんで、それでも飲んでください」

「せめて牛乳を入れてくれ」

「ないものはないです」

 ウヌ・キオラスと呼ばれた神官は、聖教皇フォアスピネを軽くあしらい、「あ、みなさんおかけになってお待ちください」と言いながら横の部屋へ引っ込んでいった。


 奇妙な沈黙が流れる。


 一番に我慢できなくなったのは、アルナールだ。

「もう、誰も突っ込まないから言うけど! なんで神官服の下にビーチサンダルなの? 座ってるのがビーチチェアってどういうこと? ここは海辺の別荘か!」

 聖教皇フォアスピネを指さすなど不敬も極まるが、同行者たちにそれを指摘する余裕はない。


 アルフェリムとレオニアスが小声で囁き合う。

「レオニアスくん、君にも見えているか?」

「見えます。カラフルなチェアですね。やっぱり神殿が『七色』を象徴しているからなんでしょうか?」

 木枠にハンモックのような丈夫な生地の布。海水浴でお馴染みの折り畳み式チェアだが、カラフルを通り越して色が洪水を起こしている。布の柄がストライプで、高彩度の色ばかり連なっているため、まったく目に優しくない。

「虹の女神の『虹色』があれだったら、かなりイメージと違って戸惑うが、今気にするところはそこではない気がする……」

「あんたたち、言いたいことがあるならもっと大きな声で言いなさいよ」

 アルナールが発破をかけたが、基本的には常識人である同行者たちには、面と向かって聖教皇フォアスピネを批判する勇気はない。


 そこへ、ウヌ・キオラスが戻って来た。銀色の丸い盆に、人数分のカップを乗せている。

「お待ちどうさま~、淹れたてあったかコーヒーです。あ、テーブルがないなぁ」

 聖教皇フォアスピネがぞんざいに祭壇を指した。

「あれを使えばいいだろう」

「そうですね。あ、どなたかこれ持ってもらえます?」

 レオニアスがコーヒーの乗った盆を押し付けられた。


 祭壇をティータイムに使用していいのだろうか――というアルフェリムとレオニアスの心配をよそに、ウヌ・キオラスは手早く祭壇を移動させ、白い布を敷き、レオニアスから取り戻した盆からカップを置いていく。

 聖教皇フォアスピネが一番にカップに口をつけ「苦い」と文句を言った。

 ウヌ・キオラスは聖教皇フォアスピネを無視し、来客に向き直る。

「ははは、すみませんね、この人甘党なんです」

 コーヒーを飲みながら、レオニアスが質問した。

「それなら、砂糖なり用意して差し上げればよかったのでは?」

「ははは、それじゃ面白くないじゃないですか」

「……」

 聖教皇フォアスピネがカップを置いた。飲むのを諦めたらしい。

「ウヌ・キオラスはこういうやつなのだ。弟子の中で一番若いのに、一番可愛げがない」


 長い銀色の三つ編みを背に流したウヌ・キオラスという男は、せいぜい30歳くらいに見えるが、

「え、私ですか? 今年で99歳になります~」

と、年齢を訊かれて照れた中年女性のように頬を押さえながら話す。あっけらかんとした口調だが、本気なのか冗談なのか判断しがたい。

 ここで突然、聖教皇フォアスピネが第二王子を名指しした。

「さて、第二王子。お前に尋ねよう。ウヌ・キオラスの言葉は、真か、偽か」

 一同の視線がアルフェリムに集まる。

「……嘘ではないと思います」

 緊張をはらんだ声音で答えるアルフェリム。

 教皇は鷹揚に頷いた。そして、しなやかな手を持ち上げてベールを取り去る。


 蒼い炎を閉じ込めたような、神秘的な瞳が現れた。長年その地位を守って来たとは信じがたい若い男性の姿だが、驚くべきはそれだけではない。さながら美の神によって作られた氷の彫像――人知を超えた美の最高傑作。人類が想像しうるうる限りの完璧な美しさがそこにあった。

 その美麗な顔面に小さく笑みを浮かべ、教皇が再び問うた。

「さて、もう一度答えよ。私は人間ではなく、精霊である。私の言葉は、真か、偽か」


 アルフェリムは答えられなかった。

 教皇が嘘や冗談を言っているなら、そう指摘すればよいだけの話。答えられないのは、彼が真実を語っていることを悟ったからだった。

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