レオニアス・フォン・ウラヴォルペ
「あなたたち、公国へ行きなさい。第二王子がお待ちです。なんでも、王国が滅びるそうですよ」
公爵夫人の第一声がそれだった。
パン屋のパンがひとつ終売になるそうですよ――そんな気軽さで告げられた言葉に、姉弟ふたりとも事態を理解するのに苦労した。
公爵夫人は、アルナールと似た薄紅色のミディアムヘアをふんわりと巻いた、おっとりした気性の女性だ。特に才走ったところはなく、剣も持たないし、公爵邸の管理なども大部分は執事に任せている。しかし大貴族にふさわしい胆力を具えた人物で、魔獣が最終防衛線まで迫った時も、寒波により農作物が壊滅的な被害を受けた時も、「あらまぁ」の一言で驚きをやり過ごし、あとは淡々と必要な処理を指示していた。
アルナールは視線で騎士に合図し、王室からの公式令が記された羊皮紙を受け取る。なお、植物繊維から作られた紙も存在するが、原料となる魔獣の皮が豊富なので、羊皮紙のほうが普及している。
「滅びの神託? 第二王子に先祖返りのシュエルテ? これが本当なら大ニュースだわ」
レオニアスも背後から羊皮紙を覗き込む。
「公式文書でホラを吹いても仕方ないだろう。少なくとも王室は、緊急事態だと判断したから使いを送って来たんじゃないか。招集したのはフォアスピネだと書いてあるし」
「うわー余計行きたくないわ。あのオッサンなんとなく苦手なのよね」
「……神殿関係者の前でその発言はよしてくれよ」
三人は公爵夫人の執務室にある応接セットに腰かけていた。公爵夫人は、騒がしい姉弟の目の前でのんびりコーヒーを飲んでいる。茶菓子を申し付けられた女性使用人は一礼して退室した。よくある光景なので、驚くには値しない。
届けられたドライフルーツを口にしながら、公爵夫人は続ける。
「まぁここで話していてもしようがないから、とにかく公国へ発つ準備をしなさい。あぁ、お土産にチョコレートを買ってきてくれるかしら。あの滑らかさはほかではちょっと味わえないですからね」
「箱買いして送ってあげるわ。ただ聖剣も持って来いって書かれてるけど、今は父上が討伐で使ってるから持って行けないわよ」
「あらまぁ。じゃあそのことは私が手紙で伝えておきますね。お土産を楽しみにしていますよ」
アルナールの心配は公爵夫人が解決してくれそうなので、弟を伴って執務室を出た。
「今すぐ出発するのか?」
と尋ねる弟の腹を、ひとまず殴る。
「……姉上、ひどいじゃないか」
「あんたがおかしなこと言うからでしょ。まずは腹ごしらえが先よ」
アルナールは使用人に荷造りを命じると、弟を引っ張って食堂へと急いだ。
ゆっくりと食事を楽しみ食後のお茶とデザートも平らげたアルナールがそのまま馬車に乗ろうとすると、レオニアスと使用人たちが一緒になって「礼服に着替えて!」と泣きつくので、仕方なく着替えることにした。
体のラインにぴったりと沿う白いジャケット。光沢のある白いシャツと、わずかに赤みがかった黒茶色をしたワイズの深いスラックス。複雑な模様の入った濃紅色のベストは、どこかの有名な伝統工芸品だと衣装係が力説したが、ファッションに興味のないアルナールの脳には記憶されなかった。編み上げの黒いロングブーツを履き、魔獣の皮で作った薄手のコートを羽織る。
最後に、腰に刀を
なお、鉄の剣でも魔獣を倒すことは可能だが、高い技量を必要とするおまけに、魔獣の血肉によって剣が傷むため、特殊な合金である
アルナールが玄関ホールに到着してからさらに15分ほど経って、レオニアスが姿を見せた。
女性の身支度の方が時間がかかりそうなものだが、化粧を嫌い動きやすい服装ばかり好むアルナールよりレオニアスを着飾る方が百倍楽しい――と、使用人たちの満足そうな表情が物語っている。
実際、姉の目から見ても、礼装の弟はとても美しい。
レオニアスは19歳。『社交界の雪薔薇』と呼ばれた祖母の繊細な美貌をそっくり受け継いでいる。太陽に透かすとやや赤みがかって見える鮮やかな金髪はやわらかく輪郭を覆い、ととのった目鼻立ちをさらに引き立てる。瞳の色が印象的な淡紅色であることから社交界では『春の薔薇の貴公子』という大層なあだ名がついていて、下は7歳から上は70歳まで、あらゆる女性から求婚が後と絶たない。何を血迷ったか男性の求婚者も出るほどの美貌である。
二階に現れたレオニアスの服装は、白と黒を基調としたメリハリのあるセットアップ。襟や袖には明るい紅色の生地が使われ、全体に金糸で装飾が施されている。飾りタイを留めるピンには透明度の高い紅色。裏地が灰色の白いマント。王族もかくやという派手な格好だが、彼が身に着けると不思議と下品な印象にならないので不思議だ。
「……とりあえず、一発殴ろうかしら」
「え。待たせたのなら謝るけど、いわれのない暴力はやめて欲しいな」
急いでアルナールから距離を取り、両手を上げるレオニアス。素直でよろしい。
ウラヴォルペ公爵領から公国までは、王都を経由して、
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