ウラヴォルペ小公爵 アルナール
ウラヴォルペ公爵領は、アルカンレーブ王国の東側に位置する。北に大砂漠があるが、東と南は海に面しているため、おおよそ湿潤で温暖な気候である。農業では稲作が盛んだが、最も盛んな産業は「戦士の育成」と言えるだろう。
王国には四つの騎士団がある。王都直轄領に『蒼天の騎士団』、ヘムズヒュール公爵領の『暁天の騎士団』、ディビエラ公爵領の『緑陰の騎士団』、そしてウラヴォルペ公爵領の『宵闇の騎士団』。
ウラヴォルペの『宵闇の騎士団』は、最強の呼び声も高い。各騎士団は、魔境との境目に位置する『虹の神殿』を守護する役目を追うが、『宵闇の騎士団』は自領のみならず他領地へ派遣遠征して魔獣討伐を請け負う。それだけ規模が大きく、強い人材が充実しているのだ。
また、正式な騎士ではなくフリーの傭兵として活躍する者も多くいて、そういった者たちは傭兵団や自警団を組織し、境界近くの地域で魔獣討伐にあたっている。
最初の剣聖の子孫であり、聖剣リ・レマルゴスを継承した武の家門。ゆえに実力主義の風潮が強く、平民でも手柄さえ立てれば富と名声を手にすることが出来る。ある意味もっとも貴族の権威主義から遠い風土が築かれているのだった。
このウラヴォルペ公爵家の次期後継者は、アルナール・フォン・ウラヴォルペという名のうら若い女性である。年齢は21歳。幼い頃から剣術で頭角を現し、現在では武芸一般において優れた才能の持ち主であることが知られている。当人も武芸の習得に意欲を見せ、積極的に魔物の遠征討伐に参加していた。
しかし今日の彼女は、公爵邸の演習場で、ひとりの人間をしごくことに腐心している。
「突きに鋭さが足りない。ちゃんと右足に重心乗せなさい。でも前に出過ぎちゃダメよ」
「大振りすぎる、隙だらけよ。上段はいつもと同じように淡々と、最速で」
「剣で剣を受けちゃダメ。受け流して。いくら虹鋼の剣でも壊れるし、人間の消耗だって激しいんだから」
ダメ出しを山のように出された人間が地面に横たわって「もう勘弁してくれ……」と漏らしたとき、アルナールは太陽が中天に移動したことを知った。日の出からやっていたので、そろそろ昼食を取らねばならない。良質な食事もまた戦士に必要な鍛錬のひとつだ。
アルナールは剣を収めた。
それほど背は高くないが、均整の取れた筋肉としなやかな身のこなしは若い軍馬のようだ。青みがかった淡紅色の長い髪をひとつにまとめ、飾り気のない白いシャツと黒のズボン、皮のブーツと簡素な鎧を身に着けている。『社交界の雪薔薇』と呼ばれた祖母の美貌を受け継ぐも、淡雪のような儚さを連想させる祖母とは違い、過酷な砂漠に咲く一輪の花のような生命力にあふれていた。それを象徴するのは、黄金色の瞳。彼女を称賛する者は「太陽の力を凝縮した瞳」と呼び、彼女を嫌うものは「凶暴な猛獣の瞳」と陰口を叩いた。表立っては後者は少数派だ。彼女は公爵家の名高い『鉄拳令嬢』であるから。公爵家の権力と、彼女の腕力を真正面から受け止められる人間はそう多くない。
「いつまで踏みつぶされたカエルみたいに寝そべってるつもり? さっさと起きて、ご飯を食べに行くわよ」
アルナールは靴先で転がっている人間の脇腹をつついた。
「うぅ……誰もが姉上みたいに頑丈だと思わないでくれ」
転がっていたのは、アルナールの弟。名をレオニアスという。
彼も決して弱くはなかったが、若くして達人級と呼ばれる腕を持つアルナールには遠く及ばない。そんな弟の将来を心配して、優しい姉が特別訓練を課していたのである。弟は現在、王都直轄領にある王立学園に在籍しているため、こうして実家に帰省している間に効率よく鍛えなくてはいけないのだ。
アルナールがもう一度弟を蹴飛ばそうとしたとき、ひとりの騎士が駆け寄ってくるのが視界の端に映った。
『宵闇の騎士団』の制服は、黒地に銀糸の刺繍、銀のボタンである。マントは灰色。アルナールは衣服にこだわりがないためよく分からないが、弟は「シンプルで着る人間を選ばずカッコいい」と言っている。
黒っぽい人影はやがてはっきりとした人間の姿をなした。公爵夫人の護衛を務める女騎士だ。
彼女は一礼すると「すぐ屋敷にお戻りください」と緊張をにじませた表情で伝える。
「国王陛下からの勅使が参りました。その件で、公爵夫人がお呼びです」
「そう、分かったわ。ほら、聞いたでしょ、起きなさいレオン」
やはりもう一度弟を蹴飛ばし、襟首を掴んで引き起こす。
公爵邸の主であるゴウシュ・フォン・ウラヴォルペは、魔境付近の魔物討伐任務についている。当主代理として、現在最も高い地位にあるのが公爵夫人だ。彼女からの呼び出しとあっては、弟いびり……もとい訓練と昼食を後回しにするのもやむを得ない。
アルナールは颯爽と踵を返し、淡紅色の髪を律動的に揺らしながら訓練場を横切る。レオニアスと伝令の騎士も後に続いた。
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