第3話

 ルカインは寝床して身を寄せている村はずれの厩舎にて静かに眠っていた。 

 矢先、夜鳴き虫の甲高い声が聞こえたかと思えば、ルカインはそれが人のものだと気づき飛び起きる。

 辺りはすっかり夜化粧をしており、隣の馬たちも大人しく眠っている。背中を刺激する硬い穂から抜け出すように身を起こし、微睡みの中で周囲を見渡す。暗闇の中、厩舎に併設されたこの家の主が住まう家屋から扉の軋む音が聞こえた。


「おいボウズ!起きてるか」


 主の声が聞こえ、ルカインは静かに顔を厩舎の扉からのぞかせた。

 手に持つ小さな松明が主の顔を照らし、切迫した表情が映し出された。


「今起きた所です。すごい悲鳴が聞こえましたね」


「ああ、村の中心のほうだ。……見ろ、火の手があがってる!」


 主人がゆびさす先、激しい煙と燃え盛る炎が夜一番の輝きを放っていた。

 離れたこの位置にも火の熱気が十分に伝わる迫力にルカインは呆気にとられた。

 火事の灯りは周囲の建物の存在をあらわにし、その中にはギルドと教会も含まれていた。


「早く消さないと、村全体に広がっちまうぞ」


 主の張り詰めた声が緊迫した状況を明確にする。

 ルカインも生唾を飲み込んだのもつかの間、今度は警鐘が何度も打ち鳴らされる。

 律動良く叩かれた金属音に身体がこわばった。


「こりゃただの火事じゃないな」


 主は家屋に戻ると、妻子に避難の準備をするよう伝え、それが終わると今度は馬たちの様子を伺った。

 眠っていたはずの馬たちも不穏な雰囲気を察してか、気づけば目を覚ましており、悲痛な甲高い鳴き声をあげる。

 主が馬をなだめるように首をなでる傍ら、ルカインは寝床においてきた肩掛けバックを身に着けた。


「なにしてる、どこに行こうってんだ」


「ギルドです!あの警鐘は普通じゃない」


「悪いことは言わねえ。お前も一緒に逃げるんだ。あそこは今からとんでもないことになるぞ」


「だから向かわないと」


 先ほどまで鳴っていた警鐘は途切れるようにして鳴り止んでいた。

 アウフグーアに危機が迫った報せなのは間違いない。

 両者共に視線を外さず、事の大きさを理解しあう。

 おそらくは襲撃、賊の類が濃厚だろう。


「知り合いがいるんです。助けに行かなきゃいけない」


「諦めろ。今から行っても間に合わん」


 元来冒険者は宿場する村等が有事の際に防衛の義務を課せられていない。

 仮に防衛に参加するよう促す場合には、金銭や地位の保障を条件としてギルドあるいはそれに準ずる組織を介し、依頼する形を取らざるをえない。

 もちろんそういった利害を無視し、自発的に働く殊勝な冒険者も存在するが稀であった。

 ルカインの頭には村の人たちの顔が浮かんでいた。


「やめとけって。お前が行ったって」


 主人が言いかけた口を塞いだ。

 

「わかってますよ。でも矢や投擲用の石を運んだりすることぐらいはできます」


 ルカインは最後にそれだけ言い、全速力でギルドを目指して走りだした。

 村の中心付近からは幾人もの落ち延びようとする者たちとすれ違い、時にはぶつかりそうになりながらも走り続けた。

 そして出火元と思われる家屋を見つけると、今まさに次の日の手が上がり始めた所であった。

 まだ無事な建物に引火させようと火の粉たちが風にのって飛んでいく。

 

「どこかで止めなきゃ。全部燃えちゃう」


 ルカインは風向きを考え、火が伝うであろう道筋を割り出す。

 くまなく歩き、その場所が市場から程近い建物であると突き止めた。

 古い土壁に随分と傷んだかやぶき屋根が印象的な家屋で、この家の主の姿と思わしき人物は屋内外共に見当たらない。

 代わりに市場を生業の場とする商人たちが集い、何か始めようとしていた。


「ボウズか」


 後ろから急に声をかけられ驚いて振り向くと、角刈り頭に印象的な二重顎――肉屋の店主であった。

 片方ずつの手で水いっぱいのバケツを持ち、少々息をあげている。


「もしかして火を消しにきてくれたのか?」


「もちろんです。火事が見えたんで走ってきました」


「ははっ。まだ子どもなのに大したもんだ。俺の息子なんてボウズより年上だってのに火事って聞いただけで、妻と一目散に逃げちまったよ」


 笑い飛ばす声とは裏腹に表情はどこかさびしいものをしている。

 妻子に捨てられたかのように顔を俯かせる。


「火事だけですか?警鐘も鳴ってた気がするんですが」


 ルカインの言葉に肉屋は顔をあげ、眉をひそめた。

 バケツを一旦地面に置き、そして誰にも聞かれないよう顔を近づける。


「……ああ、まだ知らないやつが多いんで大声では言えないんだが、盗賊たちが村を襲ってるんだ。俺はここへ来る前にちょうどそいつらを見た。手には松明を持ってて多分それで火をつけたんだろ」


「えっ!」


 大げさに驚いてみせたものの、内心は腑に落ちていた。


「その盗賊たちは今どこに」


「ギルドの前でギルド職員たちが足止めしてるらしい。そこは俺が見たわけじゃないから分からないが」


 ギルドへ通ずる道を思い起こす。

 裏路地を使えばここから1分とかからないが、消化の方が先決であった。

 ルカインはいつしか出来始めた列に並び、引き継ぎ形式で水の入ったバケツが向こうからやってくるのを見た。土壁には梯子を寄せかけられており、受け取ったバケツは屋根に登った人に達した後、降り注ぐようにたっぷりと水がかけられていく。

 何度も繰り返すうちに、劣化した屋根を通して屋内に水がおちていく。

 床下に僅かにできた隙間より水が外へと流れはじめ、家中水まみれなのが安易に想像できた。


「ここはもういい!まだ余力のある者は、他に燃えそうな建物を探してくれ。見つけたらすぐに知らせてくれ、火事を食い止めるぞ」


 音頭をとる村人の声で他の者達も声をあげて頷き、散り散りとなっていく。

 ルカインも十分な防火が出来たと思い、今度こそギルドへ向かうおうとしたが青果の女主人の姿を見つけ、声をかけた。


「あらあんた。あんたも参加してたのかい」


「火事が見えたから手伝いにきたところ」


「そうかいそうかい。冒険者がみんなあんたみたいだったら良いのに」


「他の冒険者たちは?」


「ほとんど姿がないよ。宿場通りに知り合いがいるから行ってみたけど、全員逃げちまったみたいだ。全く、いざという時に使えない連中だよほんと」


 女主人の目線の先はギルドにあった。


「逃げなくていいの?」


「あたしはまだいいよ。さっきの人が言ってたとおり、他の建物を見回らなきゃ。それじゃあね」


 女主人がそのまま去ろうとしたので、思わず引き止めた。


「気を付けて。村の中に盗賊が潜んでいるかもしれない」


「え、盗賊?」


「肉屋の人が言ってた。姿を見たって」


「それは本当かい?だったら危険じゃないか。殺されちまうかもしれない」


「まだ大勢の人は知らないみたいだから、他の人にも知らせてあげて。僕はギルドの方に行ってみるよ」


「それこそ危ないじゃないか。あ、待ちな!」


 女主人が言い終える前に、ルカインはギルドへ急いだ。

 先ほど頭に思い浮かんだ道筋を正確に進み、裏路地を何本も通り抜ける。

 やがてギルドへと伸びる路地へと踊り出た。

 木造の建物の多くに火が移っており、乾いた木々の炸裂音に混じって男たちの騒動が耳に届く。


「この先か」 


 眼の前の道は火の粉が降り注ぐ。

 一瞬ためらうも手を握りしめて勇気を奮い立たせ、飛び込んだ。

 体に付いたものを手で払い除けながら抜けた先、ギルド前の少し開けた場所で盗賊と思わしき集団とギルド職員、そして片手で数えられる程の冒険者が戦闘状態にあった。


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