当たり前について
当たり前について考えたことはあるだろうか。
私の当たり前は世間一般から大きくズレることのないものであると思っている。学校から帰れば温かい飯があり、風呂があり、洗濯がされたパジャマがあり、家族がおり、ご飯の時には会話がある。この当たり前について考えたことは正直なかった。
生まれてから今まで人を羨むことはあってもさして足りない生活を送っているとは思ったことがなく、現状の生活に大満足といかずも、満足はしていた。
それが施設の子どもにはない。正しくは「なかった。」のである。全てがない子ども、何かしらがない子どもばかりである。
クリスマスにはケーキを食べる。キリスト教のイベントごととはいえ、昨今の日本人にとって当たり前に近いようなことを知らない子どもたちがいる事実を皆さんは知っているだろうか。
なぜケーキを食べるのか。そんなことは知ったことではないが、ケーキを食べるという事象を知らないことに私は驚いた記憶がある。
今あるものは初めからあったわけではなく与えられたものであり、それを与えた結果のサイクルの上に成り立っている。
1度自分の当たり前を見つめ直してみてはどうだろうか。
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