28:魔法スクロール

 フィルディス様と別れてマーサと一緒に薔薇園を出たとき、ちょうど歩いてきたエミリオ様とばったり会った。


「あ、リーリエ。やっと見つけた。珍しいね、周りに一体も精霊がいないなんて。いつもは大勢の精霊たちに取り巻かれてるのに」

『精霊眼』をかけたエミリオ様は私の周囲を見てから、再び私に焦点を合わせた。


「私を探していたんですか?」

「うん。さっき『賢者の塔』に来てたでしょ? 何かぼくに用事でもあるんじゃないの?」

 エミリオ様は扉から覗く私に気づいて探しに来てくれたらしい。


「いえ、あのとき私が塔を訪れたのは……」

 口ごもる。

 フィルディス様の様子がおかしかった理由は、精霊たちが悪口を吹き込んだせいだ。

 その事実を知ればエミリオ様は当然怒るだろう。

 隠すこともできたが、ここで嘘をつくのは不誠実だ。

 フィルディス様の口から事件の真相が語られた場合、エミリオ様は何も言わなかった私に不信と嫌悪を抱く。それは避けたい。


 ――よし。怒られるのは覚悟で、打ち明けよう。


「マーサ。少し時間をちょうだい」

「少しだけですよ」

 そう言って、マーサは下がってくれた。

 会話が聞こえない距離まで彼女が離れたところで口を開く。


「実はですね――」

 精霊たちがフィルディス様にしたこと、ルーク様に求婚されたこと、フィルディス様と恋人同士になったこと。

 私は全てを包み隠さず話した。


「ふーん。王太子と結婚ねえ。無一文で国外追放された男爵令嬢が人生大逆転して玉の輿。物語としては文句なしの大団円ハッピーエンドだね」

 エミリオ様は微笑んだけれど、その目はちっとも笑っていない。


「でも、そんなことになったら『ちょっと』怒ってただろうなあ」

 いや絶対『ちょっと』じゃない!!

 爽やかな笑顔の裏で、凄まじい負のオーラが放たれていますけれど!?


「あのさあ、リーリエ」

 エミリオ様の声はこれ以上ないほど優しく、それが逆に恐怖を煽る。


「フィルはリーリエが追放されそうになってるって知ったとき、大慌てでぼくに助けを求めてきたんだよ。いくらフィルが剣の達人でも多勢に無勢。ぼくの長距離転移魔法がなきゃ確実に詰んでた。わかるよね? ぼくがいなきゃ君は《黒の森》で死んでたの。フィルは底抜けのお人好しだから恩を感じる必要はないとか言うだろうけど、ぼくは全力で恩を着せるよ?」

 無言で滝のような汗を流している私の肩を、エミリオ様がぽんと叩いた。

 びくっと肩が跳ねる。


港町ソネットでフィルの命を助けたんだから貸し借り無し、とか思わないでね? そもそも君がいなきゃフィルが港町に行くことはなかったんだよ。君はルミナスの剣聖として生きていたフィルの人生を丸ごと変えた。その責任はちゃんと取ろうね?」

「は、はい。そのつもりです」

 震えながら答えると、エミリオ様は満足そうに頷いた。

 その頷きが「逃がさないよ」という宣告に見えるのは、きっと気のせいではない。


「うん。これまで散々ぼくの目の前でいちゃついておいて、やっぱり王子様と結婚するからお前はもう用済みでーすさようならーとか、そんなふざけた話、あってたまるかって感じだもんね。いやあ、リーリエが選択肢を間違えなくて良かったよ。もしそんなことになってたら……ふふ」

 何ですかその暗黒の笑顔は!?

 ルーク様と結婚します、なんて言っていたら、私は《黒の森》に送られるより酷い目に遭っていたのでは!?


「まあ、無かった未来の話をしても無意味だよね。これからもフィルのことをよろしくね? 末永く」

「もちろんです。フィルディス様のことは、私が必ず幸せにします」

 私は真顔で言った。

 もうエミリオ様がどんな圧を放っても揺るがない。

 私の決意は伝わったらしく、エミリオ様はじっと私を見つめ――ようやく、微笑んだ。


「うん。フィルを幸せにしてくれるならいい。それでこそ、命がけで救った甲斐があったってものだ」

 その言葉にほっと胸を撫でおろしたのも束の間、エミリオ様はふと思い出したように軽い口調で続けた。

「ところでさ、フィルに余計なことを吹き込んで落ち込ませた羽虫たち。あいつら、全部焼き払ってもいいよね?」

「それだけはどうかご容赦ください!!」

 慌てふためく私をエミリオ様は面白そうに眺め、懐から何かを取り出した。

 それは、複雑な魔導式と魔法陣が描かれた紙片だった。


「これ、あげるよ。魔導師以外でも魔法を使用することができる消費型の魔法道具で、魔法スクロールっていうんだってさ。『賢者の塔』で実物を貰ったから、見様見真似で作ってみた。あまり高出力にすると危ないかなと思って、とりあえず『猛烈な風を起こす』くらいの威力にしといた。護身用にはなるはずだよ。フィルにもまた今度同じものを作ってあげるつもり」

「ありがとうございます。実物を見てすぐに試作品を作れるとは、さすがは魔法の天才ですね……」

 私は複雑極まりない紋様が描かれたスクロールを受け取り、感嘆した。


「でも、護身用とは。エミリオ様は私が誰かに狙われるとお考えなのですか?」

「そりゃあ世の中、どんな馬鹿がいるかわからないからね。フィル以外にもリーリエに惚れてる連中はたくさんいる。中には『俺のものにならないならいっそ!』とかやる馬鹿がいてもおかしくないでしょ? もしかしたらルーク様がやるかもよ? 表向きは物分かりの良い善人のふりをして、王太子である私の求婚を断るとはけしからん、私のプライドを傷つけた報いだ、死ねー! とかさ。これがレニールだったら絶対やるでしょ、アイツ」

「……認めたくはありませんが、やるでしょうね。プライドの高いお人でしたから」

 他人は平気でないがしろにするくせに、自分がないがしろにされることは許さない人だったなあと、私は遠い目をした。


「でも、ルーク様はレニール様とは違いますよ。求婚を断ったからといって逆恨みされるようなお方ではないと思います。私はルーク様を信じます」

「あ。いまぼくのこと、ひねくれすぎじゃないかコイツ? って思ったでしょ」

「そんなことは……」

「いいんだよ、ぼくはそれで。リーリエもフィルもすぐに他人を信用するからね。物事を疑ってかかるのはぼくの役目なのさ。じゃあね」

「あっ、エミリオ様。急いでお部屋に戻ったほうが良いですよ」

 私は去りゆくエミリオ様の背中に、今夜晩餐会の予定があることを告げた。


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