27:侍女が来たので撤収です
「……触ってもいいか?」
「許可は要りませんよ」
笑うと、フィルディス様は私の頬を両手で包んで顎を上向かせた。
綺麗な顔が近づいてきて唇を塞がれる。
驚いたのはつかの間のことで、柔らかな感触に私は陶然と目を閉じた。
ソネットで初めて触れたとき、フィルディス様の唇は氷のように冷たかった。
でも、いまは違う。
彼の唇はちゃんと温かいし、彼は自分の意思で私にキスをした。
それが嬉しくて――堪らなく嬉しくて、涙が出そうだ。
彼の吐息と自分の吐息が溶け合うたび、背筋がぞくりと粟立つ。
世界の全てが霞み、私たち以外の存在が遠くへ消えていくような錯覚を覚えた。
どれくらいの時間が流れたのだろう。
ほんの一瞬のようにも、永遠のようにも思える時間が経過した後、唇が離れた。
名残惜しく思いながら瞼を開けると、目の前には青い双眸があった。
「……キスをされるとは思いませんでした」
私は笑った。髪を撫でるとか、抱きしめられるかと思っていた。
「悪い。堪らなくなった」
フィルディス様は微かに苦笑しながら私の頭を撫でた。
「決めたよ。おれはもう迷わない。誰がなんと言おうと、おれはリーリエの傍にいる。もしリーリエが無理やり他の誰かと結婚させられそうになったら――そのときはおれがリーリエをさらう」
確固たる決意に満ちた言葉が胸に響く。
迷いや不安といった曇りが消え去り、澄み切った青の瞳が私をまっすぐに見つめている。
目の前の彼は、全てを受け入れ、全てを背負う覚悟を決めた騎士そのものだった。
――ああ、私が大好きなフィルディス様が戻ってきてくれた。
喜びで胸がいっぱいになり、自然と頬が緩んだ。
「はい。私を連れて逃げてくださいね。約束ですよ?」
「ああ。約束だ」
耳元で囁き、フィルディス様は私を抱きしめた。
私も彼の背中に手を添える。
「花祭りには一緒に行ってくださいますか?」
「もちろんだ。あの女性の誘いは断るよ。精霊の力が込められたという剣は確かに魅力的だが、この世にリーリエより魅力的なものなんてないからな」
「フィルディス様はすぐそういうことを……」
「事実だから仕方ない。出会ったときから、おれはリーリエのことが好きで好きで堪らないんだ」
フィルディス様は私を抱きしめる手に力を込めた。
「~~~っ」
だから、反応に困るんですってば!!
「覚悟しろ。両想いだとわかった以上、もう遠慮はしないからな」
こつん、と。
フィルディス様は抱擁を解いて私の頬を両手で包み、額と額を合わせて笑った。
「お、お手柔らかにお願いします……」
赤面してそう言うと、フィルディス様はまた笑って私を抱きしめた。
彼の胸に顔を埋めて目を閉じる。
ふと、彼と過ごした日々が走馬灯のように蘇った。
過酷な戦場や何気ない日常の中で交わした数々の言葉。
触れそうで触れなかった、もどかしい距離感。
その全てが、いまこの瞬間のために積み重ねられてきたのだと気付く。
幸せをかみしめていたそのとき、後方から刺すような視線を感じた。
「――?」
全身に悪寒が走り、鳥肌が立った。
好意的な視線ではない。
明らかに、悪意を持って私を見ている。
――誰?
「すみません、ちょっと」
私は未練を振り切ってフィルディス様の胸を突き放し、振り返った。
しかし、そこには美しい薔薇園が広がるばかり。
精霊たちは花と戯れたり、花壇に座って足をぶらぶら揺らしたりと、思い思いに時を過ごしている。
こちらに悪意を持って視線を向けている者は誰もいなかった。
――気のせい……だったのかしら?
「どうしたんだ? 精霊が何かしたのか?」
フィルディス様は不思議そうな顔をしている。
「いえ、精霊たちは何もしていません。ここにいる子たちは各自勝手に遊んでいるだけで……すみません。なんでもありません」
首を振ったものの、私の行動のせいで場の空気が冷えてしまった。
フィルディス様の瞳に宿っていた情熱の炎は消えてしまっている。
もう一度抱きしめて、とは言えない空気だ。残念ながら。
「誰か来た」
フィルディス様が突然、薔薇園の入り口のほうに視線を向けた。
そちらを見れば、黒髪緑目の私付きの侍女――マーサが煉瓦敷きの小道を歩いている。
私は全く気づかなかったのに、フィルディス様はいち早くマーサの存在に気づいた。
やっぱり、さっき感じた視線はただの気のせいだったのだろう。
私が感じるほどの強烈な視線にフィルディス様が気づかないわけがない。
となると、さっきのあれは、誰かに見られたら恥ずかしいという私の心配が作り上げた妄想だったのかも?
「リーリエ様。お話中失礼いたします」
マーサは丁寧に頭を下げてから、説明を始めた。
「さきほど王の使いが参りました。リーリエ様が悪魔王の封印を成し遂げたという報告を聞いた王は大変お喜びになられたそうです。王はその功績を讃えるため、今宵、晩餐会を開かれるそうです」
「今宵?」
あまりにも急な話で、驚いてしまった。
「晩餐会といっても、王族のみを集めた控えめな席だそうです。肩肘を張る必要はないとのお達しですが、宴の主役として陛下の御前に出る以上、それ相応の支度を整えるのは当然のこと。急ぎお部屋にお戻りください。やるべきことが山ほどございます」
「わかりました」
私の了承を得たマーサは、次にフィルディス様に目を向けた。
「フィルディス様も急ぎお戻りくださいませ。きっと今頃、侍従たちがフィルディス様を探し回っているはずです」
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