25:二人きりの薔薇園にて
腹部を押さえて身体を丸めるフィルディス様の額には脂汗が滲んでいた。
「大丈夫か?」
対戦相手の茶髪の騎士はフィルディス様の前で屈み、酷く心配そうな顔で声をかけている。
私はフィルディス様の傍に跪き、両手をかざして癒しの力を放出した。
痛みは取れたはずだけれど、フィルディス様はうずくまったまま動かない。
「まだ痛いですか? もう一度治癒したほうが良いでしょうか?」
私はフィルディス様の顔を覗き込んだ。
『大丈夫ー?』
精霊たちがフィルディス様を取り囲む。
「すげえな……」
その数に驚いたのか、茶髪の騎士は周りにいる精霊たちを見上げて呟いた。
「いや。リーリエのおかげでもう痛くはない。痛くはないんだが……また情けないところを見せたのが恥ずかしくて目を合わせられない」
フィルディス様は私の視線から逃げるように顔を背けた。
「何を仰るんですか」
――良かった、大丈夫そう。
私はホッとしてフィルディス様の背中に手を当てた。
「対戦中のお姿もちゃんと見ていましたよ。物凄い速さで剣を打ち合うフィルディス様、とっても格好良かったです。見惚れてしまいました」
「……そうか?」
多少は自信を取り戻したのか、フィルディス様はようやく青い目をこちらに向けた。
「はい」
「良かったなあフィルディス、見惚れたってよリーリエちゃん」
――リーリエちゃん!?
そんな呼び方をされたのは初めてだったので、私は茶髪の騎士の顔をまじまじと見つめた。
癖のある茶髪に同色の目をした騎士だった。年の頃は私と同じくらいだ。
私と目が合うと、彼はウインクしてみせた。
ついさっきまでフィルディス様と激闘を演じていたとは思えないほどの軽薄さだ。
しかも、さほど息も上がっていない。
一体どんな身体能力をしているのだろうか。
「しっかしまさか、お前が戦闘中に気を取られるとはなあ。こりゃマジで惚れて――」
「うるさい黙れ」
フィルディス様は茶髪の騎士の腕を叩いて立ち上がった。
そして、すぐ傍までやってきていた禿頭の教官に身体ごと向き直る。
「すみません。リーリエが来たので、おれはこれで失礼します」
「ああ。騎士たちの訓練相手になってくれてありがとうな」
「いえ。ちょうど身体が
フィルディス様は禿頭の教官に木剣を手渡して頭を下げた。
王宮の中庭に薔薇園があるということは、自分付きの侍女から聞いていた。
情報としては知りつつも、初めて足を踏み入れたそこには様々な種類の花が咲き乱れていた。
「わあ……綺麗ですね、フィルディス様。さきほど訪れたサンルームも見事でしたが、薔薇園も負けず劣らず見事です。見てください、この花、とっても可愛い! この国で改良された品種でしょうか。こんな形の薔薇、いままで見たことがありません」
右手の花壇に歩み寄る。
私の目を引いたのはフリルをいくつも重ねたような、淡いピンク色の薔薇の花だ。
顔を近づけると、ほんのりと良い香りがする。
「良い香り……あ、あの花も可愛い。こっちの花は何という種類なのかしら。淡い色合いが素敵……」
あちこち歩き回り、心行くまで可憐な花を堪能した後で、はたと気づく。
――しまった、すっかり夢中になって、フィルディス様の存在を忘却していた。
恐る恐る振り返れば、フィルディス様は私の後ろに立っていた。
近くも遠くもない、適切な距離を保ちながら、はしゃぎまわる私の後をついてきてくれていたらしい。
「すみません。一人で浮かれてしまって」
急いで距離を詰めると、フィルディス様は微笑んでかぶりを振った。
「気にしなくていい。楽しそうなリーリエを見ることができて、おれも楽しかったから」
「……そうですか」
フィルディス様はたまに――いや、割と頻繁に――反応に困るようなことを言う。
「歩き回って疲れただろう。あそこの東屋で休憩しよう」
「はい」
私は親鳥を追う雛のように、フィルディス様の後をついて歩いた。
騎士に混ざって激しい鍛錬を終えたばかりのフィルディス様に薔薇園まで長距離を歩かせた挙句、放置して一人ではしゃぐとは。
猛省しながら東屋の階段を上り、テーブルを挟んでフィルディス様と向かい合う。
「フィルディス様と二人きりで話したいの。しばらく……そうね、午後六時の鐘が鳴るまでは離れていてちょうだい」
私は精霊たちに向かって言った。
鐘が鳴るまではまだ時間があるけれど、たまには私も一人で自由に過ごしたい。
『わかった』
『また後でねー』
負い目があるからか、精霊たちはごねることなく飛び去った。
薔薇園には他にも花や風と戯れている精霊たちがいるけれど、少なくとも東屋の近くには誰もいない。
――良し。環境は整った。
精霊たちの暴言を詫びるべく息を吸ったところで、出鼻をくじくようにフィルディス様が言った。
「精霊たちまで下がらせるってことは、よっぽど大事な話があるんだな。国王陛下から王太子との婚約を打診でもされたのか?」
軽い世間話でもするような口調で言われて、私は目を見張った。
「……どうしてそんなことを?」
「宮廷の動きを見れば予想はつくよ。貴族たちがリーリエを見る目は尊敬を通り越してもはや崇拝に近い。精霊王国と謳われるこの国にとって大聖女がどれほど特別な存在かは、いまさらおれが語るまでもないだろう? そんなに狼狽えるってことは、やっぱりそうだったのか」
「いえ。国王陛下からは何も言われていませんが……実はさきほど、ルーク様本人から求婚されました」
「そうか」
これもまた予想の範疇だったのか、フィルディス様は相槌を打った。
フィルディス様の表情は凪いだ海のように静かで、何を考えているのか窺い知れない。
私を好きだと言ったのに、どうしてそんなに冷静でいられるのだろうか。
――精霊たちの暴言を信じ、私から心が離れてしまっている?
その可能性に怯えながら、私は言葉を続けた。
「でも、丁重にお断りしました。私には想うお方がいることをお伝えしました。怒られるかと思ったのですが、ルーク様は怒るどころか私の恋を応援すると言ってくださいました」
あの後、ルーク様は言ってくださったのだ。
フィルディス様と祭りに行きたいなら、きちんと自分の口で本人にそう伝えなさいと。
思うだけでは気持ちは伝わらないと、助言までしてくれた。
ルーク様は本当に素敵な方だ。
同じ王太子でも、レニール様とは器の大きさに天地の差があった。
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