24:彼が気を取られた理由

 ルミナスの空は日によって赤く霞んでいたけれど、イリスフレーナの空は透明な蒼をしている。

 精霊たちのおかげか、ここは瘴気が全くないらしい。


 いつ見ても美しい青空の中に、時折黄金の光が走ることがある。

 それは王宮の最深部――《聖域》にある大聖樹が放つ光だ。

 精霊たちはその光を織り上げ、王のための特別な衣や装飾品を作るのだという。


「おや。リーリエ殿ではないか。そこで何をしているのかな?」


 中庭のベンチに座って空を見上げていると、背後から声をかけられた。


 髪を揺らして振り返れば、数人の侍従を引き連れた年配の貴族男性が立っていた。

 白いものが混ざった金髪。

 紫色の瞳に柔和な顔立ちをした彼はハルン公爵。

 ラザード国王陛下の弟君で、『賢者の塔』に所属する宮廷魔導師たちを率いる宮廷魔導師団長。


 約三十年前、ハルン公爵はたった十歳の若さで《聖域》にいる四大精霊の一柱、風の大精霊ウィンディアと契約を交わしたそうだ。

 皺が刻まれた彼の両手の甲には黄金に輝く紋章――精霊との契約の印、通称《契約紋》が浮かんでいる。


「こんにちは、ハルン公爵」

 私は立ち上がってスカートを摘まみ、カーテシーを行った。


「精霊たちに人を探してもらっているのです。その人と急ぎ話したいことがありまして」

 東屋から追いかけてきた精霊たちは半泣きで私に許しを乞うた。

 許す代わりに、私はフィルディス様を探すよう言った。

 精霊たちはフィルディス様がこの広大な王宮のどこにいようと見つけ出してくれるはずだ。

 全速力で四方八方に散った彼らの顔は普段と違い、大真面目だった。


「そうか。君の命令ならば精霊たちは喜んで従うだろう。何しろ君は二百年ぶりに現れた大聖女だからな。ついさきほど小耳にはさんだのだが、君は悪魔王の封印まで成し遂げたそうではないか。この国に来てたった数日だというのに、実に見事な働きぶりだ。君はイリスフレーナの救世主だよ。叶うことならばルークと互いに手を取り合い、この国の王妃になってほしいところだね。君が王妃となってくれればこの国の将来は安泰だ。精霊たちも気合を入れてこの国を守ってくれることだろう」

 ハルン公爵は笑顔で両手を広げた。

 取り巻きの侍従たちも異論はないらしく、中には微笑んでいる者もいた。


「いえ、それはできません。私には愛する人がいますので」


 きっぱり告げると、ハルン公爵は紫色の目を丸くした。

 彼の瞳の色合いはエヴァとよく似ている。

 エヴァの瞳の色はルミナスでは珍しく、アビゲイルはいつも愛娘の瞳を神秘的で美しいと讃えていたけれど、蓋を開けてみれば似た色の瞳を持つ人はここにもいた。

 アビゲイルのいうような特別性や、希少価値などどこにもなかった。


 もしエヴァが目の前に現れたとしても、私がかつてのように怯えることはないだろう。

 私を守ってくれる人は、とっくに心の中に住んでいた。


 ――私はフィルディス様のことが好き。大好き。


 認めてしまえば簡単なことだった。

 もうこの気持ちを隠すつもりはないし、その必要もない。


「……その人は、君にとって王妃の座を蹴るほどの価値があるのかね?」

 ハルン公爵は手を下ろし、エヴァと同じ紫の双眸で私を見つめた。

 怯むことなく、その目を真正面から見返して言う。


「はい。贅沢は望みません。私はただその人がいれば良いのです。その人と、ずっと一緒に居たいのです」

 まるで数多の恋愛小説に出てきたヒロインのような台詞だ。

 自分がこんな台詞を言うときが来るなんて思わなかった。


「たとえ誰に何を言われようと私の意思が覆ることはありません。決して」

「そうか。……残念だ」

 ハルン公爵は俯き、小さな声で呟いた。

 本当に私に王妃となって欲しかったことが窺い知れる態度だった。


『リーリエ! フィルディスいた! あっち! お城の兵士たちと木で出来た剣で戦ってた!』

 そのとき、土人形のような精霊がすっ飛んできた。

 羽根もないのにどうやって飛んでいるのか不明だが、精霊たちに理屈や常識は通用しない。


「わかったわ、ありがとう」

 俯くハルン公爵に何と声をかければ良いのか困っていたところだったので、精霊の登場はありがたかった。


「それでは失礼致します、ハルン公爵」

 私は頭を下げ、速やかにその場から離れた。

 ハルン公爵は未練がましく私を見ていたけれど、やがて侍従たちを連れて去った。


 ……行ってくれたわ。

 どうか、このまま何事もなく、平穏無事に諦めてくれますように。


 私は案内役の精霊の背中を追って歩を進めた。

 そのうちに他の精霊たちも合流し、私を取り巻く精霊たちの数が増えていく。

 精霊たちと話しながら中庭から南へ向かう。


 しばらくして辿り着いたのは騎士たちの鍛錬場だ。

 赤茶色の土がむき出しのまま広がる鍛錬場では、木剣を手にした騎士たちが模擬戦闘を行っていた。

 打ち鳴らされる木剣の音が高く響く。

 私の目では捉えきれないほどの速さで技を繰り出し、受け流し、近づいたと思ったらまた離れる。


 その体捌きに、私は舌を巻いた。

 彼らの動きによって舞い上がる砂塵が風に乗り、私の視界をわずかに霞ませる。


 鍛錬場の隅では教官と思われる初老の男性が腕を組み、厳しい目つきで騎士たちを見ていた。


 時折、鋭い声で教官の指示が飛ぶ。

 近くで控える若い見習い騎士たちは木剣を磨いたり、訓練の順番を待ちながら緊張した面持ちで先輩たちの訓練模様を注視している。


 誰一人笑う者はいない。

 この鍛錬場は力を磨き、騎士としての名誉を勝ち取るための努力が繰り広げられる真剣な場なのだ。


「――あっ。フィルディス様!!」

 木剣を振るう騎士たちの中に探し求めた姿を見つけた。


 私がつい出してしまった声に気を取られのだろう。

 息つく暇もない対戦相手の猛攻を余裕そうに捌いていたフィルディス様は、木剣でわき腹を一撃されてうずくまった。


 ――ああ、まともに入った!!

 あれは痛い! 絶対に痛い!!


『わー、痛そう』

『やばぁ……』

 私の周囲で精霊たちも顔をしかめたり、口を覆ったりしている。


「フィルディス様!!」

 私は悲鳴を上げ、鍛錬場に展開する騎士たちの合間を縫って駆け寄った。

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