23:これが恋ではないのなら
『リーリエ、なんで黙ってるの?』
物思いに沈んでいると、耳元で声が聞こえた。
顔を上げれば、ルミナスからついてきてくれた馴染みの精霊たちが傍にいた。
『ルークは王子様なんでしょ? あの絵本の女の子みたいに、結婚すればいいじゃない』
『そうだよ。王子様と結婚したら幸せになれるんでしょ?』
『私、リーリエのこと大好きだから。リーリエには幸せになってほしい!』
私も私も、と口々に賛同の声が上がる。
「ありがとう。私もみんなのことが大好きよ。でも……簡単に答えを出すことはできないのよ」
「それは何故だ?」
聞こえてきた声に、私は精霊たちから正面へと視線を移した。
「ためらう理由があるのなら教えてほしい。私は君の素直な気持ちが聞きたいんだ」
ルーク様は静かに私を見つめている。
――リーリエの素直な気持ちが聞きたい。
それは、フィルディス様にも言われた言葉。
私は人々が望む理想の聖女として振る舞うことが身体に染みついている。
不安や不満を隠して善人の仮面を被るばかりの私に、飾らない本音を聞かせてほしいと、フィルディス様はそう言った。
おれはリーリエの素の姿が見たい、もっと深くリーリエを知りたいと。
大聖女ではない、ただのリーリエに興味を持ってくれた人は初めてだったから、嬉しかった。
――ああ、やっぱりフィルディス様のことを考えてしまう。
彼の優しい笑顔。毅然とした声。迷ったときに私をそっと導いてくれる温かな手の感触。全てが鮮やかに脳裏に蘇る。
女官たちの態度を見ても、ルーク様は誰からも慕われる人格者だとわかっている。
自分の立場とこの国の未来を考えれば、受け入れるのが最善だとも理解している。
けれど、心はそう簡単に割り切れるものではない。
こんな状態で求婚を受けるなど許されない。
本格的に婚約の話が進んで外堀が埋められる前に、わざわざ二人きりで話す機会を作り、私の意思を確認してくれたルーク様に対して失礼極まりない。
「……これが恋の情熱かどうかはわからないのですが、私には気になるお方がいるのです」
金色の瞳を見返して、私は正直に言った。
「特に今日は、何をしてもそのお方のことを考えてしまうのです。私ではない他の女性と百花祭に行くかもしれないと知ってから、私の頭の中はそのことばかり。もっと早く勇気を出して誘えばよかったと後悔しているのです。私は愚かです。自分がこんなにもそのお方と一緒に行きたかったことをいまさら痛感しているのですから……」
項垂れると、精霊たちが私の顔を覗き込んできた。
『その人って、誰?』
『誰ー?』
「私も聞きたい。君にそれほど想いを寄せられる幸運な男の名前を」
精霊たちとルーク様の声が重なった。
王太子に尋ねられては誤魔化すこともできず、顔を上げて白状する。
「……フィルディス様です」
「そうか。やはり――」
やはり?
納得したような呟きは気になったけれど、問いただす前に精霊たちが喚き始めた。
『えー、嘘! 嘘でしょリーリエ!』
『フィルディスのことが気になるって、そんなの嘘だよね!』
『海がある町で言ってたじゃん、フィルディスは特別な好きじゃないって!』
『そうだよ、だからあたしたち――』
『バカっ、言っちゃダメ!!』
何か言いかけた精霊の口を、別の精霊が大慌てで塞いだ。
「どうしたの。何が言っちゃダメなの?」
嫌な予感を覚えながら、私は吹き付けてきた風に髪を押さえた。
『いやー……あー……なんでもないです』
『ないない』
『ないないない』
『あっ、私、用事を思い出した!』
『あたしもー!』
『じゃあねー!』
「待って!!」
手の届かない空へと逃げようとした精霊たちは、ビクッと身体を震わせて止まった。
「まさかとは思うけれど……あなたたち、フィルディス様に変なことを吹き込んだりしていないでしょうね?」
『……えーと……そのお……』
精霊たちは顔を見合わせて、ゴニョゴニョと相談している。
ただひたすら無言で見つめていると、腹を括ったらしく精霊たちは私に向き直った。
『いや、だって、リーリエが特別な好きじゃないって言ったから』
『ルークは
『リーリエが王子様と結婚したらリーリエもみんなも幸せになれるって、大精霊さまが言ってたんだもん』
『私たち、いっしょうけんめい作戦を考えたんだけど。フィルディスはいっつもリーリエの傍にいるから、困っちゃって。フィルディスがいなくならないと二人がくっつかないと思って……』
『それで、だから……言っちゃったの』
『言っちゃったよねえ……色々と』
「何を……?」
声が震える。
胸に抱いた嫌な予感は、もはや確信へと化けていた。
『……これ以上リーリエに付きまとうのは止めろって。迷惑だって言った』
『リーリエは優しいからいっつもニコニコして付き合ってるけど、本当は話しかけるな触るな超ウザイって言ってるって――』
『イリスフレーナに着いたんだからもう護衛はいらない、お前は用無しだって――』
『とっとと他の女を見つけてリーリエの前から消えろーとか言っちゃっ――』
「きゃ――――!!!」
聞くに堪えない暴言の数々に私は絶叫し、椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。
あまりの声量に精霊たちは耳を塞ぎ、中には倒れる者までいた。
ルーク様は目を剥き、仰天した様子で私を見上げている。
――ああ……ちょっとな。精霊たちの話を聞くのが辛くなってしまって。
私は思い違いをしていた。
あれは四六時中精霊の声が聞こえることが辛いのではなく、精霊が話す言葉の内容自体が辛いということだったのか!!
のんびりお茶など飲んでいる場合ではない、精霊たちの暴言を謝罪して誤解を解かなくては!! 一秒でも早く!!
「申し訳ございませんルーク様、大至急の用事ができました!! 失礼いたします!!」
私は勢い良く頭を下げ、ルーク様の返答を待たずに東屋から飛び出した。
「――ははっ」
直後、ルーク様が笑い声を上げた。
怒られるならともかく笑われるとは思わず、私は驚きながら振り向いた。
「どうされたんですか?」
「恋かどうかわからないと言っていたが、君の行動自体が証明しているではないか。いつも穏やかに微笑んでいる君が耳を劈くような奇声を上げ、目の前で倒れた精霊を無視して駆け出した。王太子である私を放置するなど、礼節を重んじる普段の君にはあり得ないことだ。つまり、君はそれだけフィルディスに夢中なんだよ。これが恋でなくて何だというんだ?」
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