22:王太子から求婚されました

 春の柔らかな陽光が降り注ぐ王宮の庭園。

 精霊たちは花々の間を軽やかに舞い踊り、きらめく光の鱗粉を空気中に散らしながら、鈴の音のような笑い声を響かせている。


 この国を守護する四大精霊の像が彫られたドーム状の東屋で、私はルーク様とテーブルを差し向かいに紅茶を飲んでいた。

 銀製の菓子器に乗せられた菓子は全てが芸術品のよう。

 フォークを手に取ったものの、崩すのが惜しいと感じてしまう。


「どうぞ、遠慮せず食べてくれ。全て君のために用意したものだ」

 ルーク様は流暢なルミナス語でそう言った。

 少し癖のある赤い髪。月のような金色の瞳。額で輝く水色の《聖紋》。

 精悍な顔立ちに恵まれた長い四肢を持つこの国の王太子は、金糸銀糸で刺繍が施された衣装を実に格好良く着こなしていた。


 東屋にいるのは私たち二人だけだ。

 宮廷女官や護衛たちはルーク様が下がらせた。


「ありがとうございます。いただきます」

 私は意を決して花の形をした焼き菓子をフォークで崩し、一口頬張った。


「美味しいです。この紅茶も、とても上品な味ですね」

 ……でも、なんで私はルーク様と二人でお茶を楽しんでいるのだろう?

 怪我人が出たのか、まさかまた悪魔が出たのかと大慌てで王宮に駆けつけてみれば、ただ私とお喋りしたかっただけとは。

 もちろん何もないのが一番ではあるのだけれど、なんだか肩透かしを食らった気分だった。


「口に合ったなら良かった。落ち着いたところで、改めて礼を言わせてほしい。妹を救ってくれてありがとう。君は妹の命の恩人だ。本当に感謝している」

 ルーク様は微笑んだ。

 それは多くの女性を虜にするであろう、甘く魅力的な笑顔だったが、不思議と心拍数が乱れることはなかった。


「もったいないお言葉です。聖女として、お力になれたことを嬉しく思います」

 微笑み返し、無難だと思われる回答を返す。


「そうだね、君は本当に素晴らしい力を持つ大聖女だ。さきほど、妹から悪魔王の封印に成功したという話を聞いたよ。君を国外追放の憂き目に遭わすなど、ルミナスの王族は目が見えていないようだ。けれど、私としてはその目が節穴であったことを感謝したい。おかげで君という宝がイリスフレーナに来てくれたのだから。しかも、たくさんの精霊と、ルミナスでも随一の剣と魔法の腕を持つ剣聖と大魔導師を連れてね。君たちのおかげでイリスフレーナはますます豊かになるだろう。これもレムリアの導きかな」

「そうかもしれませんね。私もこの国に来てよかったと思っております。精霊たちも楽しそうですし」

 辺り一面に咲き誇る花々の薫香が、焼き菓子の香りに混じってふわりと鼻孔をくすぐる。


 花の園で、私たちは和やかに会話した。

 ルーク様から精霊との契約方法を聞いたり、私が旅の中で起きた出来事を話したりした後、ルーク様はおもむろに切り出した。


「ところでリーリエ。不躾な質問をしても良いだろうか」

「はい。何でしょうか?」

 私はティーカップをソーサーに置いて背筋を伸ばした。


「君には想う人がいたりするのかな?」

「……何故そのようなことを?」

 困惑して問う。質問の意図がわからない。


「実は私には婚約者がいなくてね。ほら、よくあるだろう? 魔王や邪神を倒した褒美として勇者が王女と結婚する英雄譚。ここ最近の宮中の動きを見ている限り、それと全く同じことがわが身に起きそうな予感がするんだよ」

 私は一瞬、呼吸を忘れて呆然とルーク様を見つめた。


 つまり、アンネッタ様を救い、悪魔王の封印に成功した褒美として、私がルーク様の妻に――ゆくゆくはこの国の王妃になるということ?


「そんな、まさか。私はただ《聖紋》を持つだけの、つまらない女ですよ? ほんの数日前にイリスフレーナに来たばかりの、地位も財産もない女が王太子と結婚するなどあり得ません」

 狼狽えて言うと、ルーク様は冷静に語り始めた。


「地位がなくとも、君には大聖女という特別な肩書と悪魔を祓うほどの偉大な力がある。この国において大聖女とは単なる称号ではなく、女神レムリアの代行者であることを意味する。君という存在そのものが信仰のよりどころとなり、民衆に安心感と希望を与えるんだ。君が王妃となれば、その神聖な威光は王家にも及び、民衆からの支持は揺るぎないものとなるだろう。精霊の加護も強まり、国の繁栄は保証されたも同然だ。地位のある女性、たとえば他国の王女を王妃とするより遥かに利がある。リーリエ。君はそれほど尊く、貴重な存在なんだよ」

 真摯だが、どこか冷徹な強い眼差しで射られて、私は返答に窮した。


「……あの……ひょっとして、私はいま求婚されているのでしょうか?」

「そうだ。君に想う人がいないのなら、私はこの国の王太子として、リーリエ・カーラックを妻に迎えたいと思っている」

「……それは……光栄ですが……」

 こんな美形から、それも王太子から求婚されるなんて夢のような話だ。

 でも、何故だろう。嬉しいと思えない。

 愛ではなく国家の利益を追求した結果の求婚だからだろうか。


 しかし、それはルミナスでも一緒だったはずだ。

 レニール様は私が好きだから婚約したのではなく、私が大聖女だから婚約した。

 私たちの間に愛などなかった。

 だから別に問題はないはずなのに、どうして私は答えられないの?


「ルミナスでは王太子の婚約者だったのだろう? 私が相手では不満だろうか? 私は君を愛する自信があるよ。妹を救ってくれた時点で既に好感を抱いていた。私の妻となってくれるなら、一人の女性として必ず幸せにしてみせる。約束する」

 ――約束する。

 その言葉を聞いて思い浮かんだのは、フィルディス様の顔。

 求婚されているときに他の男性の顔を思い浮かべるなんて失礼だとわかっていても、考えることを止められない。


 ルーク様と結婚しますと言ったら、フィルディス様はどんな反応をするだろう。

 反対する?

 それとも、少し寂しそうに笑って祝福するのだろうか。

 私が他の男性と結婚したら、彼はもう私の騎士ではなくなり、離れていってしまうのだろうか。

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