21:羽根つきトカゲのような精霊
王女を救った大聖女ということで、私はラザード様から様々な特権が与えられている。
その一つが、王宮にある各種専門施設や機関への立ち入りだ。
塔の前には黒いローブを身に纏った魔導師たちが立っていたけれど、私は所持品検査も身体検査も何もされることなく通された。
聞き込みの結果、エミリオ様は七階の大講義室にいると知って階段を上る。
大勢の精霊を引き連れて歩く私を、魔導師たちが驚いた顔で見ている。
こうした視線には慣れたものなので、私は気にすることなく七階へ向かった。
「ややっ!? 精霊の大群! その金色の《聖紋》は! あなたはもしや噂の大聖女リーリエ様では!?」
五階に着いたとたん、眼鏡をかけた女性の魔導師に捕まった。
栗色の髪をお下げにした彼女――イヴさんは今年官僚試験に合格したばかりの魔導師見習い。
二つ年下の妹が聖女で、将来は《聖紋》について研究したいのだと熱を込めて語ってくれた。
「あの、そろそろ……」
イヴさんと廊下で立ち話をし始めてから既に三十分は経ったのではないだろうか。
そろそろ話し疲れたし、喉も乾いた。
あれほどたくさんいた精霊たちも長話に退屈したらしく、その数は十体ほどに減っている。
「あっ、すみません! 質問攻めにしてしまいました! 貴重なお時間を頂きまして誠にありがとうございました! おかげさまでとても有意義な時間を過ごせました、もし宜しければ今度一緒にお茶でも飲みましょう!」
握っていたペンとメモ帳を下ろし、イヴさんは深々と頭を下げた。
「はい、是非」
私は微笑みで応じ、再び階段を上り始めた。
七階に辿り着き、光が降り注ぐ廊下を歩く。
『大講義室』と書かれた目的の扉はすぐに見つかった。
――講義の邪魔をしては駄目よ。いい子だから、静かにしてね。部屋には入らないで。
私は精霊たちに念押ししてドアノブを掴んだ。
縦長に開いた隙間から、そっと部屋を覗く。
広い部屋は階段状になっていた。
整然と並べられた机には黒や赤や緑のローブを纏った魔導師たちが座り、真剣な面持ちで前方を見ている。
イヴさんが教えてくれたのだが、黒のローブは魔導師『見習い』で、緑のローブは修練中の『魔導士』、赤のローブは熟達した『魔導師』という意味らしい。
彼らの視線を追って、私は前方に目を向けた。
図形と文字で半分が埋まった黒板の前にはエミリオ様が立っていた。
――えっ!? エミリオ様!?
私は驚愕に目を剥いた。
てっきり優秀な魔導師の講義を聞いているのだとばかり思っていたのに、まさか教鞭を振るっているとは!!
「――では次に、イリスフレーナの王宮を守る結界について個人的な意見を述べます。現行の結界は四大精霊の助力と大気中の魔素を複合利用することで常時起動されています。古代より受け継がれてきた魔導式による堅牢な結界は、幾世代にもわたりこの国を守ってきたことでしょう。しかし、私が見た限りでは、いくつかの問題があるように思えます」
エミリオ様はチョークを手に取り、黒板に新たな図形を描き始めた。
「結界は複数の防御層で構成され、それぞれの層が独立して機能する設計になっています。一見すると合理的に思えるかもしれませんが、この構造には大きな欠点があります。たとえば、ここを見てください」
エミリオ様は図形の一部分を指さした。
「この層が破られた場合、外側の防御層は内部層への干渉を阻止する術を持たず、内部層が単独で防御せざるを得なくなる。このように各層が孤立している構造では、一点の突破が全体の崩壊につながりかねません。また、精霊の力に依存しすぎている点も問題です。何らかの要因で精霊たちが衰弱した際、大きく弱体化する恐れがあります」
大真面目に話しながら、エミリオ様がこちらを見た。
エミリオ様は表情を変えることなく、すぐに他の人に目を向けたので、扉から覗く私に気づいたかどうかはわからない。
「そこで、私が提案するのは『多層型循環式結界』です。一体何のことだと思われるでしょう。私が独自考案したものですからね。試しに展開するのでご覧ください」
エミリオ様はチョークを置いて目を閉じ、自分を包む大きな魔法陣を描き出した。
複雑かつ精密に描かれた魔法陣を見て、魔導師たちが息を飲む。
感嘆のため息や声もあちこちから聞こえた。
「この結界は複数の小規模な結界を重ね合わせ、それぞれが相互に力を補完し合います」
エミリオ様はエメラルドの瞳を開けて言った。
彼の周囲では眩い光の線がいくつもいくつも走っている。
「仮に一部が損傷したとしても他の層が即座にその隙間を埋め、全体の防御力を維持できます。単なる多層構造ではありません。この結界は精霊の力だけに頼らず、魔素の循環効率を高める特殊な魔導式を採用しています。精霊たちの負担を軽減しながら結界の持続力と防御性能を大幅に向上させることが可能です」
「エミリオ様」
と、若い魔法使いが手を上げた。
「多層型の結界を運用するとなると、その制御は極めて複雑かつ困難になります。下手をすれば魔導師の脳が焼き切れる危険性がありますが、どう克服するおつもりですか?」
「この結界には『自己調整機構』を取り入れています。各層が互いに魔素の流れを検知し、不均衡が生じた場合には自動的に修正する仕組みです。結界自体が最適化を図るため、魔導師が意識容量を飽和させることはありません。従来の結界と同程度の労力で維持できます」
魔法使いたちは感心しきった様子で頷き合い、立ち上がった。
「見事です!」
「まさに新時代の結界ですね! これならば王宮の守護もより強固になるでしょう!」
「さすがはルミナスの大魔導師様! いやー、勉強になりました!」
拍手喝采を聞きながら、私は静かに扉を閉めた。
……無理だ。
この空気の中で出ていく勇気などあるわけがない。
『エミリオに会いに来たんじゃないの?』
『帰るのー? なんでー?』
無言で引き返す私を見て、精霊たちが声を上げる。
「とても話せる空気じゃないもの。話すのは後にするわ。急がなくても、時間はたっぷりあるのだし――」
『リーリエ。ルークがお前を探しているようだぞ』
廊下の壁から突然、トカゲの形をした精霊が飛び込んできた。
「!!」
精霊は霊体だということはわかっているけれど、いきなり壁を貫通して出現されると心臓に悪い。
「る、ルーク? 誰かしら?」
大騒ぎする胸を押さえ、私は上ずった声で尋ねた。
『忘れたのか。イリスフレーナの王太子だ』
フィルディス様よりも低い声で答えたのは、真っ赤な皮膚と金色の目を持つ羽根の生えたトカゲだ。
羽根つきトカゲとでもいうべきこの精霊は、他の精霊に比べて知能が高い。
ただし本人――本精霊?――はあまり話すのが好きではないらしく、普段は無口だった。
「王太子様のことだったの!? 精霊といえど王太子様を呼び捨てにしては駄目よ、呼ぶならルーク様と呼んでちょうだい――って、ちょっと待って? ルーク様が私を探しておられるの? 何故? 王宮で緊急事態が起きたの?」
『知らん。私に人間の心を読み取る力はない。本人に直接聞け』
言うが早いか、トカゲの精霊は飛び去った。
そういえば、トカゲの精霊は王族がいる前では姿を現さなかった気がする。ルミナスでもイリスフレーナでも。
ひょっとして王族が嫌いなのかしらと思いながら、私は急いで七階分の階段を降りた。
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