20:様子がおかしい理由は

「……。またそんな危ないことを……」

 フィルディス様は片手で額を押さえ、ため息をついた。


「すみません。言ったら止められると思いまして。でも、ご覧の通り、今回は何事もなく無事でしたから。悪魔王を封じた結晶には歴代の聖女たちの祈りが糸のように絡みついていたのです。例えるのは難しいですが、私はそれを編み込んで、こう……網のように広げて、結晶をきつく縛り上げたんです」

 身振り手振りを加えて説明する。


「私が封印を成し遂げられたのは過去の聖女様たちのおかげなのですよ」

「そうかもしれないが、バラバラだった聖女たちの力を一つにまとめ上げたのは紛れもなくリーリエだろう。リーリエは本当に凄いな。よく頑張った」

 フィルディス様は片手を上げかけて、すぐに下ろした。


 ……あれ?

 いま確かにフィルディス様は私に触れようとしたはずなのに、どうして止めてしまったのだろう。


「あ、あの……」

 少し迷ってから、思い切って言う。


「何かご褒美をいただけませんか?」

「ご褒美?」

 フィルディス様は少し驚いたように眉を上げた。


「珍しいな、リーリエがそんなことを言いだすなんて。何が欲しいんだ? おれが買えるようなものならいいんだが」

「いえ、物が欲しいわけではないんです。ラザード様は衣食住の全てを保証してくださっていますし、ドレスも靴も衣装部屋にたくさんあります。これ以上はもう入りません」

「じゃあ、おれに何を望んでるんだ?」

「……その……頭を撫でるとか、抱きしめるとか――い、いえ、抱きしめていただくなんて、それはさすがにやりすぎですよね! すみません、忘れてください!」

 頬が熱くなるのを感じながら両手を振る。

 精霊たちが視界の端で戯れに抱き合っているのを見て、つられて大胆なことを口走ってしまった。


「中庭で抱きしめるのはちょっとな。人目があるし」

 フィルディス様はちらりと中庭の隅を見た。

 だいぶ距離が開いているけれど、そこには厳めしい顔つきをした警備中の兵士が立っている。


「他人に妙な誤解をされるような行為は慎むべきだ。リーリエは噂の的になっていることを自覚したほうが良い。悪魔王を封印したとなると、これからはより多くの――大げさでも何でもなく、国中の人がリーリエの一挙手一投足に注目することだろう。中には尊敬や好意ではなく、嫉妬や敵意を抱く者も現れるはずだ。言動には注意してくれ」

「……はい」

 フィルディス様の言葉は全くの正論だ。

 私のためを思っての忠告なのだから、素直に聞くべきだとわかっている。


 ……わかってはいるのだけれど。

 甘えるな、自分の身は自分で守れと、突き放されているようで寂しい。

『よく頑張った』という言葉はもらえたのだから、それ以上のご褒美を求めるなんて贅沢が過ぎたのかしら。


「……でも、もし仮に私を害そうとする者がいれば、フィルディス様が守ってくださるのでしょう?」

 気づけば、縋るようにそう言っていた。


「そのつもりだったんだけどな。素手だとさすがに限界がある。不安なら陛下に頼んで護衛をつけてもらったほうが良いと思う」

 フィルディス様の口から出てきたのは、期待とは全く違う言葉。

「え……」

 当惑する私を見て、フィルディス様は気まずさをごまかすように笑った。


「おれは剣聖とか言われて持ち上げられてたけど、この国の騎士の中にはおれに負けないくらい強い奴がたくさんいるよ。心配しなくても大丈夫だ」

「……そう……なのかもしれませんが……」

 ――私はフィルディス様に守ってほしいのに、と心の中で呟く。


 なんだろう。おかしい。さっきからずっと違和感がある。

 フィルディス様はこんな言い訳じみたことを言うような人だった?


 ――命をかけてリーリエを守ると誓うよ。

 あのときの誓いの言葉はどこにいってしまったの?

 私を守るためなら命だって惜しくない、そう思わせるほどの強い眼差しと気概は、一体どこへ?


 何かあったのではないだろうか。

 私が知らない間に、フィルディス様を弱気にさせる何か、決定的な出来事が。


 ――本人に直接聞いてみる?

 いや、多分、フィルディス様は隠す。


 問題は一人で抱え込む。彼はそういう人だ。

 ならば、フィルディス様本人ではなくエミリオ様に聞いてみよう。

 私に話せないことも、親友であるエミリオ様になら打ち明けているかもしれない。


「……すみません。少々疲れたので、私は部屋に戻りますね」

「大丈夫か? 部屋まで送るよ」

 フィルディス様は心配そうに言ったが、私は首を振った。

「いえ、精霊たちもいますし、大丈夫です。一人にしてください」

「……そうか。気を付けて」

 彼は何か言いたげな顔をしたものの、それ以上は何も言わずに引き下がった。


「はい。それでは、また」

 フィルディス様と別れて歩き出す。

 少しして振り返ってみたけれど、彼はもういなくなっていた。

 私は花壇の前で立ち止まり、周囲にいる精霊たちに聞いた。


「ねえあなたたち、エミリオ様がどこにいるかわかる?」

『んー? 知らなーい』

『私も見てなーい』

『探してあげようか?』

「ええ、お願い」

『わかった。探すー』

『ちょっと待ってて、みんなに聞いてくるー』

 精霊たちが一斉に私から離れ、しばらくして戻ってきた。


『風の精霊があの塔に入っていくのを見たって言ってた!』

 頭に花を乗せた精霊が人差し指で指したのは、『賢者の塔』と呼ばれる宮廷魔導師団の総本部だった。

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