12:イリスフレーナの騎士たち

 ――ゴトゴトという音が聞こえる。


 何の音だろう。

 目覚めたばかりの頭でぼんやり考え、馬車の車輪が砂利道を刻む音だと気づく。

 身体が揺れているのは、馬車に揺られているせいだ。


「リーリエ。起きたか?」

 耳元で聞こえた優しい声が、私の脳を完全に覚醒させた。

 目を開けると、私の身体は斜めに傾いていた。

 どうやらフィルディス様にもたれかかるようにして眠っていたらしい。


「!! す、すみませんっ」

 私は急いで上体を起こし、背筋を伸ばした。


 港町ソネットを出立して一週間。

 私たちは船に乗って海を越え、アルケンス大陸に上陸していた。

 東の果てにある港町から馬車を乗り継ぐこと三日目。

 窓の外に広がるこの森を抜ければ、いよいよイリスフレーナだ。

 もうすぐ目的地に着くということで、つい気が緩んでしまった。


「謝ることはない。可愛い寝顔が見れて良かった」

 微笑まれて、顔が一気に熱くなった。

 そんな私を見て、周りにいる精霊たちがくすくす笑っている。


 今日も精霊たちは私の傍にいる。

 精霊が見える人が見れば、この馬車はやたらと光り輝いて見えるだろう。

 馬車の中に入り切らず、外にもたくさんの精霊がいるはずだから。


「……なんていうかさあ。ソネットの一件以来、距離がぐんと近くなったよね、二人とも。それはまあ別に良いんだけど、目の前でいちゃつくのは止めてもらえないかな。見てて砂を吐きそうだ」

 向かいに座るエミリオ様は呆れたように言った。


 彼の横には見慣れた茶色のリュックが置いてある。

 保存食、回復薬ポーション、各自の着替えに毛布。その他諸々。

 旅に必要なものは何でも出てきた。

 あのリュックがなければ、これほど身軽に旅をすることなどできなかった。


「いちゃついたつもりはない。ただ素直な感想を述べただけだ」

 フィルディス様が真顔でそんなことを言うものだから、私の顔はますます赤くなった。


「あー、はいはい、そうですか。自分に寄りかかって眠るリーリエを見て幸せそうに笑ってたくせに、何言ってんだか」

 エミリオ様は肩を竦めて、窓の外に目をやった。

 つられて見れば、窓の外には美しい森が広がっている。


「――あ。いま、精霊が木々の間にいました。あ、あそこにも。この辺りには精霊がたくさんいるみたいですね。やはりイリスフレーナが近いからでしょうか」

「かもね」

 はしゃぐ私に対して、エミリオ様は素っ気ない。

 熱量に差が生まれるのは仕方ないところだろう。


 エミリオ様たちは有形精霊が見えない。

 見えないものを主張されても困るだけだと悟り、私は口をつぐんだ。


 でも、私の目には、空を渡る白い鳥のような精霊たちや、木の枝に座る小さな少女にも似た精霊たちの姿が見えている。


 ――エミリオ様たちにも、精霊の姿が見えればいいのに。


「リーリエの目にはどんな精霊の姿が映ってるんだろう。同じ世界を共有できればいいのにな」

 私と全く同じことを思ったらしく、フィルディス様が呟いた。


「はい。本当に」

 私は右手を持ち上げ、自分の頭の近くで人差し指を床と平行に伸ばした。

 すると、宙で戯れていた精霊たちは競うように私の人差し指にとまった。


「それは何の真似?」

 エミリオ様は怪訝そう。


「いま、私の人差し指に三体の精霊がとまっているんです」

「ああ。トンボをとまらせてる感じね」

 エミリオ様は納得したように言って、また窓の外を眺めた。

 隣を見ると、フィルディス様は無言で微笑んだ。

 何をしているかはわからないけれど、私が楽しければそれで良い、という感じだ。


 私が《聖紋》を取り戻したことでフィルディス様は満足してしまっているのだろう。

 同じ世界を共有したいと言ったものの、それはただの願望で、本気で精霊を見たいとは思っていないらしい。

 自分は聖女ではなく、ただの人間だからと線を引いてしまっているのかもしれない。


「……、やっぱり、見えるようになってほしいです……」

 歯がゆさを覚えながら、人差し指を下ろす。

 精霊たちはそれぞれ私の頭と肩に移動して座った。

 精霊たちはいつだって好き勝手にお喋りしているのだけれど、この騒々しさもエミリオ様たちの耳には入っていない。


 エミリオ様の金髪を人型の精霊が引っ張ったり、フィルディス様の肩の上でふわふわの毛玉のような精霊が飛び跳ねている。


 それでも二人は気づかない。

 たとえ精霊たちが何をしようと気づけないのだ。


 こっそりため息をついた、そのときだった。

 馬のいななきが耳を劈き、馬車が急停止した。


「!?」

 いきなりのことに何もできず、私の身体は進行方向に投げ出されそうになった。

 痛みと衝撃を覚悟して身体を縮め、目を瞑る。


 でも、その必要はなかった。

 とっさに、フィルディス様が横から手を伸ばして私を抱き留めてくれたから。


 衝撃が過ぎ、固く閉じていた目を開ければ、私はフィルディス様の腕の中にいた。


 逞しい腕と胸の感触。

 目の前にある整った顔に戸惑いつつも、私は窓の外を見ようとした。


 でも、動けない。

 フィルディス様はしっかりと私に密着していて、身動きを許さなかった。

 絶対に私を守るという強固な意志が伝わってくる。


「どうしたの!?」

 御者台に続く小窓を開けてエミリオ様が尋ねた。


「わ、わかりません! 前方からイリスフレーナの王国軍が現れて、馬車を止められました!」

「王国軍!? なんで――」


「――馬車に乗っている者は速やかに出てきてください!! これはイリスフレーナの王命です!!」


 エミリオ様の台詞を遮って、凛とした男性の声が耳朶を打った。

 男性が話したのはこの大陸の公用アルケンス語ではない。

 聞き慣れたルミナス語だった。


「……。ルミナスの手配だと思うか?」

 私を抱きしめたまま、フィルディス様がエミリオ様に硬い声で聞いた。


「ありえない。いくら何でも手を回すのが早すぎる。イリスフレーナの独自判断でしょう。きっと狙いはリーリエだよ。この馬車は大勢の精霊たちが取り巻いてるって言ってたよね。遠目で見ても物凄く目立つって」

 険しい顔をしたエミリオ様に見つめられ、私は戸惑いながらも頷いた。


「はい。精霊たちを見て中に聖女がいると知り、馬車を止めたのでしょう」

「リーリエを確保して何をする気だと思う?」

 フィルディス様が私を抱く手に力がこもる。ちょっと苦しい。


「さあ。ろくでもない目的ならぶっ飛ばして逃げよう。怯えなくても大丈夫だよ。ぼくたちがいるからね」

 エミリオ様は不敵に笑って、馬車の扉を開けた。


「……行こう。リーリエ。大丈夫だ。絶対に守るから」

「……はい」

 私はフィルディス様にエスコートされて馬車を下りた。


 馬車の外には三頭の馬と、三人の騎士がいた。

 腰に剣を佩いた彼らの襟元には日差しを浴びて輝く徽章があった。

 太陽と蔓を象ったような紋章は、恐らくイリスフレーナの紋章だろう。


「おお……本当に大聖女様が現れたぞ。アンネッタ様の予言通りだ」

「すげえ、金色の《聖紋》なんて初めて見た。伝承の中の存在だと思ってたけど、実在するんだなー」

「なんて神々しいお姿なのかしら……これほど多くの精霊を引き連れておられるとは、まさしく大聖女様……私はいま神話を目の当たりにしている……」

 三人の騎士たちは何やらいたく感激している。


 私たちは顔を見合わせた。

 思っていた反応と違うことに、誰もが困惑の色を隠せない。


「あの。どのようなご用件でしょうか?」

 尋ねると、騎士たちはハッとしたようにお喋りを止め、一斉にその場に跪いた。


「突然のご無礼、お許しください。私たちはイリスフレーナ王国の第一王女アンネッタ様にお仕えする近衛騎士でございます」

「大聖女様、どうか我が主をお助けください!」

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