11:エヴァside(2)

「どうなさったんですか聖女様、怖いお顔をされて」

 付き添っている村人の一人に声をかけられて、私ははっと我に返った。


「いいえ、なんでもありませんわ」

 軽く咳払いして、優しい微笑みを浮かべてみせる。


 ふわふわと波打つ金髪。ぱっちりとした大きな菫色の瞳。

 薔薇色の唇に、磁器の如く艶やかな肌。


 私は抜群の美女だ。幼いころから周囲の人間を虜にしてきた自負がある。


『天使の微笑み』と万人に讃えられる微笑を向けられた村人はポッと頬を染めた。

 他の村人たちも陶酔したような顔で私を見ている。


 表には出さなかったものの、私は村人たちの反応に満足した。


 ――この私に微笑まれたことを光栄に思いなさい。


 何といっても私はレニール様の婚約者。

 一年後はレニール様の妃となり、いずれ国母となるのだから!


 薄汚れた農民たちと共に居るのは苦痛だけど、頑張って愛想を振りまかなくては。

 民草に愛される王妃を目指さなければね。


「そ、それなら良かったです。これをご覧ください」

 村人たちは広大な麦畑の前で立ち止まり、そこに生えていた麦の一つを摘まんでみせた。

 顔を近づけて見れば、その麦は一部が変色していた。

 周りにある麦もそうだ。このままだと遠からず枯れ果ててしまうだろう。


「まあ……報告書で読んだ通りのようですね。なんでも、数日前から麦だけではなく、村中の農作物が枯れ始めているとか……」

「はい。こんなこと、いままでありませんでした」

「是非とも聖女様の力を貸してくだせえ」

「麦はこの村の重要な財源なんです。このまま枯れちまえば税が払えず、ワシら全員領主様にお叱りを受けちまう」

「どうか奇跡の力で私どもをお救いください」

「もちろんです。そのために私はここへ来たのですから」

 ニッコリ微笑み、視線だけで辺りを見回す。


 麦畑がある辺り一帯は、うっすらと赤い瘴気に覆われている。

 赤い瘴気は、動植物に害を成す『悪いもの』だ。

 いくら聖女が浄化しても、どこからともなく発生する瘴気は悪魔王がこの世界に放った呪いとも言われている。


 私はその場に跪いた。

 服が土で汚れるのは嫌だったけれど、立ったまま祈るなんて聖女らしくない。

 恭しく跪き、頭を垂れるのが女神の敬虔な信徒としての正しい姿だ。

 私は胸の前で手を組み、目を閉じた。


 ――女神レムリアよ、どうか私に瘴気を祓う力を与えたまえ。


 身体中に神秘の力が漲っていくのを感じる。

 蓄積された力が最大値に達したと思ったその瞬間、私は力を解き放った。

 解き放たれた力は眩い金色の光を放ち、辺り一帯の瘴気を浄化すると同時に麦を蘇らせた。はずだった。


「あのお、聖女様……言いにくいんですが、畑の様子が全然変わっていません」

「えっ?」

 申し訳なさそうな声が聞こえて、私は目を開けた。

 辺りを漂う瘴気は微妙に薄くなったような……気がする。

 でも、瘴気は相変わらず漂ったままだし、麦も変色したままだった。


「お手数ではございますが、もう一度奇跡の力を使っていただけませんか。祈るだけならワシらにもできますので」

 私の機嫌を窺うように、村人は媚びた笑みを浮かべた。


「わかりました、もう一度……」

 私は目を閉じ、同じことを繰り返した――つもりだったのに、さっきのような力が沸いてこない。

 おかしい。何度女神に祈っても無駄だった。


「聖女様? どうされたんですか? 早く奇跡の力を……ああっ。大変だ!」

 声に驚いて目を開ければ、老人が私の顔を覗き込んでいた。

 年老いた醜い顔がすぐそこにあって、私は思わず仰け反った。


 ――許可もなく勝手に近づかないでよ気持ち悪い!!


 しかし、露骨に拒否してはいけないと思い直し、どうにか笑みを浮かべる。


「ど、どうされたのです? 私の顔に何かついていますか?」

「逆ですよ、何もないから問題なんです! さっきまであったはずの額の《聖紋》が消えちまってます!」

「………………は?」

 私は唖然としてしまった。


《聖紋》が、消えた、ですって?

 どういうことなの?


 私が聖女として覚醒したのは一年前だ。

 当時、流行病にかかった私は実家に姉を呼びつけ、癒しの力を使わせた。

 直後、私の額に水色の《聖紋》が浮かび上がり、私は喜び勇んで教会へ向かった。


 聖女として認められたはいいものの、姉のように過酷な現場でこき使われるなんて御免だった。

 賢い私は教会の上層部を早々に味方につけ、中央神殿に引きこもった。


 実際のところ、私が中央神殿でやっていたのは幼児でもできるような簡単な仕事ばかり。

 私を崇拝する信者に囲まれて、教皇や大司教と楽しくお茶を飲んでいれば良いだけの、実に快適な生活だった。


 これまでに私が聖女としての力を使ったのは二回だけ。

 今回で三回目だというのに、たった三回で私の神聖力は尽きてしまったというの!?


「ちょっと、誰か! 手鏡を持っていない!?」

 上品に振る舞うことも忘れて怒鳴る。


「い、いや、持ってません」

「そんなもん、持ってる奴いねーべよ。なあ?」

 村人たちは困ったように顔を見合わせるばかり。


 ――使えない愚民どもが!!


 私は舌打ちしたいのを堪えて、村に流れる小川へと走った。

 息を切らしながら水面を覗き込み――突きつけられた現実に、膝から崩れ落ちる。


「こんな……こんなこと、あっていいはずがないわ……」


 国のために尽くした姉を捨てることに異を唱えた貴族がいた。

 あらゆる交渉手段に屈さず、最後まで正義を貫こうとした良識ある貴族が、少数ながら確かにいたのだ。


 中でも、特に強く異を唱えたのはルーシャ公爵だ。

 ルーシャ公爵は疫病に苦しんでいた大勢の領民を姉に救われたという。


 私が《聖紋》を失ったと知れば、ルーシャ公爵は他の貴族たちと結託して、私を王太子妃の座から容赦なく蹴落とすだろう。

 お前が過去リーリエにやったことをそっくりそのまま返すだけだと言って。


 もしかしたら、それだけにとどまらず、いま国中で起きている異変は大聖女を追放しようとした報いだ、こうなったのは全て王家の責任だとして、革命を起こそうとするかもしれない。


 恐ろしい想像に、冷や汗がどっと噴き出した。


 ――果たしてその場合、私は無事でいられるだろうか……?

 

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