10:エヴァside(1)

 呆れるくらいに退屈な村だった。

 曇天の下に広がるのは、まだ青い麦と、色とりどりの野菜畑。


 牧草地では牛が草を食み、どこかから鶏の鳴き声がする。


 ……人より家畜の数のほうが多いわね、これは。

 どうして私がこんな僻地に来なくてはならないのかしら。


 案内役の村人たちと村を歩きながら、私は密かにため息をついた。

 私が着ているのは華やかなドレスではなく、聖女だけが纏うことを許された法衣。


 現在、ルミナスでは国中で異変が起きている。

 虫害や疫病が広がり、作物が次々と枯れていっているのだ。

 王宮で妃教育を受けていた私まで「聖女として働け」と駆り出されるほど、事態はひっ迫していた。


 異変の原因はわかっている。

 リーリエが、あの憎たらしい姉が、ルミナスにいるべき精霊たちを連れ去ったのだ。


 姉のことを思うと胸がムカつく。


 カーラック男爵家では、姉は私の奴隷だった。

 どんなに私が姉を虐げても咎める者は誰もおらず、姉は『一段下』の人間であるというのが私の認識だった。


 状況が一変したのは三年前。

 姉はある日突然、大聖女になった。

 そこらにいる、たかが鳥一匹のために大聖女として覚醒したというのだから、なんともふざけた話だ。


 お母さまが教会に連れて行ったことで、姉は家から消えた。

 陰気臭く、相手に不愉快しか与えない姉が大金へと化けたことにお父さまとお母さまは大喜びしていたけれど、私の心中は穏やかではなかった。


 金色の《聖紋》を持つ大聖女は大変貴重な存在。

 ルミナスではもう百年以上生まれていなかったのに、何故よりにもよって姉が大聖女として選ばれたのか。


 私のほうが姉より遥かに美しい。

 私こそが人々に傅かれ、愛されるべき存在なのに、どうして。

 私は悔しさと悲しみで枕を濡らす日々を送った。

 

 程なくして姉は王太子と婚約し、人々の口の端に姉の名が上がるようになった。


 どこぞの村で奉仕活動をしただの、他国の人々を救っただの、戦争で目覚ましい活躍をして国王に勲章を賜っただの。

 姉こそがレムリアの化身、ルミナスに幸福と繁栄をもたらす女神だと言い出す馬鹿まで現れ、しかもその馬鹿どもは日に日に増殖していった。


 気晴らしに社交界のパーティーに参加しても、みんな私ではなく姉を褒める。

 あんなに素晴らしい姉を持ってあなたは幸せだと、意味のわからない戯言を吐く男もいた。


 周囲の人々が姉を讃える度に、私の胸の内には黒い感情が渦巻いた。


 姉は日陰でしか生きられない哀れで惨めな存在だったはずなのに、いまや私こそが姉の放つ強烈な光に圧倒されている。屈辱だった。


 嫉妬に取りつかれた私は、姉の婚約者である王太子の心を掴もうと躍起になった。

 姉は賞賛を浴びる自分に酔っているらしく、レニール様を放置して奉仕活動に夢中になっていたため、姉に関する嘘を吹き込んで篭絡するのは簡単だった。


 レニール様は私を抱きしめ、叶うことならリーリエではなく私と婚約したかったと言ってくれた。

 私も全く同じ思いだった。

 貴族の女として生まれたのなら、誰だって王妃になりたいに決まっている。


 女神が私たちの恋路を応援してくれたらしく、私は聖女として覚醒した。


 金色だった姉に対して、私の《聖紋》の色は水色。

 神聖力の強さによって、《聖紋》は金色、銀色、水色の三色にわかれる。

 水色ということは、聖女として最低レベルの力しか持っていないということ。


 これは大いに不満だったけれど、とにかく聖女になれたのだからそれで良いと無理やり自分を納得させた。

 水色の《聖紋》を持つ聖女が王家に嫁いだ例もあるのだから、何の問題もない、と。


 レニール様は《聖紋》を失い、ただの下級貴族の娘でしかなくなったリーリエとの婚約を破棄し、私を次の婚約相手に選んだ。

 レニール様が姉を捨てて私を選んだその日、私は勝利の美酒に酔いしれた。

 ようやく世界が正しい姿に戻ったことを喜び、高笑いした。


 しかし、精霊たちは私の思い通りに動かなかった。

《聖紋》を失った後も姉の周りには常に大勢の精霊がいた。

 私は何度も「神聖力を失った無価値な女ではなく私につきなさい」と言ったのに、精霊たちは頑として姉の傍を離れなかった。

 一番腹が立ったのは、トカゲの姿をした精霊の言葉だ。


『思い上がるな。お前は聖女などではない。お前が自分のものだと思っているその力はリーリエのおこぼれに過ぎない』


 ――何故トカゲ如きに偉そうに説教されなくてはならないの!

 私の力が姉のおこぼれだなんてそんなわけがない、失礼にも程がある!


 私は憤慨し、それ以降、精霊たちに話しかけるのを止めた。


 そして、精霊たちは姉と共に消えた。

 あのとき、精霊たちはエミリオ様が描いた長距離転移魔法陣の中に自ら飛び込んでいった。

 他の誰にも見えていなかっただろうけれど、聖女である私の目にははっきりと、精霊たちの動きが見えた。


 ――まさかフィルディス様とエミリオ様が姉につくとは思わなかった。あの二人は二年前の戦争で姉と共に戦ったらしいけれど、本当にそれだけの間柄で国を捨てる? 実は二人ともが姉と不適切な関係にあったんじゃないの? そうだわ、そうに違いない。奉仕活動と言いながら、行く先々で男をくわえ込んでいたのね。汚らわしい。


 ギリ、と奥歯を噛みしめる。


 ――やはり、あの女が一時でも大聖女になったのは女神の過ちだった。あの女は災厄をもたらす魔女だった。純粋無垢な精霊たちはあの魔女に誑かされてしまった。精霊たちが去ったことでルミナスは大混乱に陥っている。あいつさえいなければ、私はいまも王宮で優雅にお茶を飲んでいられたのに。本当に忌々しい……おとなしく《黒の森》で魔物に食われて死ねば良かったものを!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る