09:心と忠誠を君に捧ぐ
どうにも落ち着かず、精霊たちに「しばらく一人にしてほしい」と頼んで私は部屋を出た。
洒落た形の照明が吊り下がる廊下を進み、フィルディス様の部屋の前で立ち止まる。
……眠っておられたらどうしよう。
やっぱり明日にするべき?
夜に異性の部屋を訪れるなんてはしたないと思われるかしら……。
部屋の前まで来ておきながら、この期に及んであれこれ悩んでいると、唐突に目前の扉が開いた。
びくっと肩を跳ねさせるのと同時、黒の部屋着に身を包んだフィルディス様が出てきた。
私は一言も発していないけれど、気配で気づいたのだろう。
フィルディス様は異様に勘が鋭い。
さすがは元・《剣聖》様と言うべきか、ほんのわずかな衣擦れの音でも聞き逃さない。
「誰かと思ったら。どうしたんだ?」
フィルディス様は不思議そうな顔をしている。
迷惑がられてはいない……と思いたい。
「こ、こんばんは、フィルディス様。その、少しお話したいと思いまして。お邪魔しても良いでしょうか? お嫌でしたら階段横の休憩スペースにでも……」
「嫌なわけないだろ。リーリエならいつでも大歓迎だよ。どうぞ」
フィルディス様は温かく私を招いてくれた。
「お邪魔します」
勧められるまま、私はテーブルを挟んで彼の向かいの長椅子に座った。
螺鈿細工が施されたテーブルにはお菓子やフルーツの乗った籠があった。
彼もいくつか食べたらしく、お菓子の包みが減っている。
「お茶でも淹れようか?」
「いえ、大丈夫です。お気遣いなく」
「そうか。じゃあ、話って?」
「まずはお詫びします。さきほど私は精霊に聞いてしまいました。フィルディス様がシーナさんに告白された、と」
「え」
精霊が盗み聞きしていたとは思わなかったらしく、フィルディス様は蒼い目を丸くした。
「申し訳ございません。いくら旅を共にする仲間とはいえ、個人的な物事に介入するのはマナー違反です。ここはあえて知らないふりを貫くべきなのでしょう。わかってはいるのですけれど……どうしても気になってしまって……このままでは眠れそうになくて……」
俯いて身を縮める。
恥ずかしくて、フィルディス様の顔を見ていられない。
「もちろん、シーナさんの告白にどう答えるかはフィルディス様の自由です。フィルディス様がシーナさんと共に居たい、ソネットに留まりたいというのなら無理に引き止めることはしません。たとえフィルディス様がどのような選択をしようと受け入れますので、そこはご安心くだ――」
「……意外と脈ありかも……」
言い訳のように早口で言葉を並べ立てていると、フィルディス様が何か言った。
しかし、彼の台詞は私の台詞と被っていて、全く聞き取れなかった。
「いまなんと仰いました? すみません、聞き取れなくて」
「いや、なんでもない。ただの独り言だ」
フィルディス様はごまかして立ち上がり、何故か私の傍に腰を下ろした。
柔らかいソファが彼の体重で沈み、少しだけ身体が傾き、その拍子に肩が触れ合った。
「シーナの告白は断ったよ。『おれには心に決めた人がいる』って言ったら、シーナも納得してくれた」
「……そうなんですか」
安堵する一方で、気になった。
心に決めた人とは誰のことなのだろう。
「あの。心に決めた人がいるのなら、この先の旅に付き合わせてしまうのは申し訳ないような……」
《聖紋》は戻ったけれど、私はこのままイリスフレーナに行くつもりでいた。
精霊王国と謳われる国に憧れる気持ちはいまも変わっていない。
むしろ、精霊が見えるようになったからこそ、どんな精霊がいるのか気になるし、人々がどんなふうに精霊と関わっているのか知りたい。
一番気になるのは精霊との契約だ。
契約とは、一体どんなことをするのだろう。
「……あの伝え方じゃ駄目だったか。弱ったリーリエにつけこむようなことはしたくないと思って気持ちを抑えたのが仇になったな」
フィルディス様は苦笑して、そっと私の頬に触れた。
「心に決めた人っていうのはリーリエのことだよ。出会ったときからずっと、おれはリーリエのことが好きだった」
射るような強い眼差しを向けられ、大きく心臓が跳ねた。
海を思わせる青い瞳に私が映っている。――私だけが。
美しい瞳に囚われたような心地で、私は身じろぎ一つできず、続く彼の言葉に耳を傾けた。
「二年前の戦場では毎日のように人が死んだ。あの地獄のような戦場で、それでもリーリエは笑顔を忘れなかった。辛いときでも人を励まし、献身的に人に尽くした。聖女という言葉の意味を初めて知ったよ。あまりにも美しくて、惹かれずにはいられなかった。気づけばいつもリーリエを探している自分がいた。おれもリーリエに恥じないような男になりたいと思った。高潔な騎士になって、正義のために、人のために剣を振るうと己に誓った。でも……」
フィルディス様はそこまで言って口をつぐみ、手を下ろして目を伏せた。
「今日のは駄目だとエミリオに怒られたよ。人助けは良いが、それでお前が死んでどうするんだって。お前はもう騎士じゃないんだから身体を張って見知らぬ他人の命を守る義務はない、お前が死んだら誰がリーリエを守るんだって。ぼくはお前に頼まれたから同行してやってるだけでリーリエの面倒を見る義理はない、甘えるなってきっぱり言われた。目が覚めたよ。心のどこかで『おれが死んでもエミリオがいるから大丈夫』だなんて思ってたけど、そんなわけがなかった。おれは馬鹿だ。一人で勝手に突っ走って、一番泣かせたくない人を泣かせてしまった。本当に、反省してる。あんな風に泣かせてごめん」
フィルディス様は許しを乞うように私を見つめ、私の手を握った。
私はフィルディス様の手を握り返した。許します、の意思を込めて。
「シーナさんを助けたフィルディス様は立派です。でも、次はちゃんと、ご自分の命も守ってくださいね」
「ああ。気をつける」
「……と言いつつ、似たようなことがあればまた一人で突撃されそうですよね……」
簡単に想像できてしまい、私は微苦笑を漏らした。
「そうだな。多分おれは一人だと暴走する。騎士として染み付いた癖が抜けず、他人のために自分の命を賭けようとすると思う。おれには制御役が必要だ。だから、これからはリーリエがおれの主になってくれないか?」
「主、ですか? それは、ええと……どうやって? フィルディス様の肩を剣で叩いて、騎士叙勲の真似事でもすればよいのでしょうか?」
「いや、形式的な儀式は必要ない。ただ、おれを自分のものだと、自分だけの騎士だと認めてくれればいい。リーリエが主となってくれるなら、おれの忠誠と剣はリーリエに捧ぐよ。どんなときでも最優先で守ると誓う」
低く透き通った声が、私の鼓膜を震わせる。
「……もう一人で突撃しない。私を置いて死なないと約束してくれますか?」
もう二度とあんな光景を見なくて済むのなら、主でも何にでもなりたい。
「死んだらリーリエを守れないからな。絶対に勝てる、その確信がない相手とは戦わない。どうしても戦わなければならない場合は事前にリーリエの許可を取るよ。今度は勝手に傍を離れたりしない。約束する」
「……本当に、私で良いのですか?」
最終確認のつもりで問う。
「リーリエ『が』いいんだよ。他の人間にこんなことを言ったりしない。おれが心から愛し、仕えたいのはリーリエだけだ」
甘い言葉に、頬が熱を帯びた。
「……わかりました。どうか私の騎士になってください、フィルディス様。これからも私の傍にいて。いついかなるときも私を守ってください」
「もちろん。命をかけてリーリエを守ると誓うよ」
フィルディス様は私の左手にキスを落とした。
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