08:モヤモヤ

「この度は本当に、本当にありがとうございました。フィルディスさんがいなければ娘はいまここにはおりません。娘のために命を賭けてくださって……本当に、何とお礼を申し上げれば良いか……」

 現場に駆けつけた中年の女性は涙ぐんだ。

 事件の目撃者から連絡を受けたという彼女は赤髪青眼の女性――シーナさんの母親だそうだ。


「ちょっと、泣かないでよお母さん。もう十分泣いたでしょうが。それに、何回本当って言えば気が済むのよ。フィルディスさん、リーリエさん、エミリオさん。助けてくださって本当にありがとうございました……あ、私も言っちゃった。とにかく、ありがとうございました! この御恩は一生忘れません!」

 私の癒しの力で元気を取り戻したシーナさんは背筋を伸ばし、深々と頭を下げた。

 母親も泣くのを止めて腰を折り曲げ、シーナさんの隣で頭を下げた。


「どういたしまして。シーナさんがご無事で良かったです」

 フィルディス様は柔らかな微笑みを浮かべた。

 その微笑みに心臓を撃ち抜かれたらしく、シーナさんは頬を赤く染めた。


「お前はご無事じゃなかったけどな」

 和やかな空気に水を差すように、エミリオ様がボソッと呟いた。


「ま、まあまあ、エミリオ様。フィルディス様が行動していなければシーナさんが危なかったのは事実ですし」

 私がエミリオ様を宥めている間に、フィルディス様はシーナさん親子と会話を進めた。


「そうですか、フィルディスさんたちは旅人なんですね。まだ宿が決まっていないのなら好都合です。是非私どもが経営している『かもめ亭』に泊まっていってください。もちろんお代は要りません。最高級の食事と部屋をご用意させていただきます」

 シーナさんの母親は泣き腫らした目を細めてそう言った。




 海沿いにある『かもめ亭』は三階建ての高級宿だった。

 その日の夜、私たちは宿の一階にある食堂で美味しい海鮮料理を堪能し、三階の廊下で別れてそれぞれの部屋に戻った。


 午後九時を告げる鐘が鳴る頃、入浴を終えた私は天鵞絨張りの長椅子に座り、精霊たちの言葉に耳を傾けていた。

 精霊たちの話によれば、ここにいるほぼ全員がルミナスからついてきたらしい。


 こんなにごっそりと精霊がいなくなってルミナスは大丈夫なのだろうか?


 土に属する精霊がいなくなってはいくら祈ったところで去年ほどの豊作は望めなくなるだろうし、水に属する精霊がいなくなっては人が望む通りに雨が降ることもなくなるだろう。


 大量の精霊がいなくなったことで自然界のバランスが崩れ、これまでなかったような自然災害も起こるかもしれない。


 ……まあ、国外追放された身で心配する義理はないわよね。

 フィルディス様たちが駆けつけてくださらなかったら、私は《黒の森》で息絶えていたもの。

 気持ちを切り替えて、私はクルミ入りの焼き菓子を摘まんだ。


 シーナさんに案内されたこの部屋は三部屋続きの豪華な造りをしていた。

 メインとなる客室の大きな窓からは夜の海が一望できる。

 幻想的に輝く水晶のシャンデリアの下、テーブルの籠にはフルーツやお菓子が盛られていた。

 窓際には見事な生花が飾られている。

 造花ではなく生花を飾ることができるのは相応の財力を持つ証だ。


 精霊たちは広い部屋の中で思い思いに時を過ごしている。

 窓に張りついて景色を楽しむ精霊もいれば、花瓶の花と戯れる精霊、空中で踊る精霊、シャンデリアの上で足をぶらぶらさせている精霊。

 実にカオスで楽しい光景が繰り広げられていた。


「ふふ」 

 はしゃぎまわる精霊たちを見て、つい笑みがこぼれる。

 無くしたはずの光景が再び戻ってきてくれた。


『あ、リーリエが笑った』

『笑ったー』

『リーリエ、楽しい?』

「ええ。またこうしてあなたたちとお喋りすることができて、とっても嬉しい」

『私も嬉しい』

『あたしもー』

 引き続き精霊たちとの会話を楽しんでいたときだった。


『大変大変ー。フィルディスがシーナに告白されたー!』

 閉め切った窓から、背中に羽根を生やした精霊が慌てた様子で部屋に飛び込んできた。

 精霊は霊体なので、あらゆる物質を通り抜けることができる。


「え……」

 突然そんなことを言われて、私は返答に困ってしまった。

 精霊たちは良くも悪くも無邪気で純粋だ。それぞれが好き勝手に振る舞う。

 会話の流れをぶった切っても気にしないし、その発言がどれほど私に衝撃を与えようと気にしない。


 フィルディス様がシーナさんに告白された……別に、驚くような話ではない。

 昼間のシーナさんの反応からしても予想できたことだ。

 あんな美形に命懸けで助けてもらったのだ。惚れるなというほうが無理だろう。


『なんかねー、シーナは付き合ってた恋人に見捨てられたー、魔物の前で置き去りにされたーって怒ってたよー』

 あのとき逃げた男性二人のうちのどちらかはシーナさんの恋人だったらしい。


『あのクズとは別れましたー、だから私と付き合ってくださいーって言ってたよー。リーリエはフィルディスが好きなんでしょー? 放っといていいのー?』

 背中に羽根を生やした精霊は近づいてきて、私の顔を覗き込んだ。

 周りにいる精霊たちも動きを止めて私を見ている。


「……一口に好きといっても、人間の『好き』の種類には色々あるのよ。私は確かにフィルディス様が好きだし大切だけれど、あくまで一人の人間として『好き』なのであって、異性に抱くような特別な『好き』ではないの。そういうのって、よくわからないし……とにかく、シーナさんと付き合うかどうかは、フィルディス様が決めることよ。私が口を出す権利はないわ」

 私は努めて冷静にそう言った。

 何故かスカートを握り締めてしまったことに気づき、指から力を抜く。


『ふーん? 大変だと思ったけど、大変じゃないんだねー、わかったー』

 精霊は納得したように頷き、ふわりと宙を舞い、シャンデリアの上にいた精霊たちと戯れ始めた。


『リーリエ、お話してー』

 また別の精霊が話しかけてきた。頭に花を乗せた精霊たちだった。


「いいわよ。何の話をしましょうか」

 笑顔で応じながらも、私の心は何故かモヤモヤしていた。

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