05:新しい人生の第一歩

「どうしてって言われても。リーリエのことが好きだから、それ以外の理由なんてないよ」

「え?」

 さらりと告げられた言葉は大きな衝撃を私に与えた。

 好きだなんて、家族にもレニール様にも言われたことがない。


 好きというのは、半年間、苦楽を共にした戦友として?

 それとも……いや、まさか。そんなわけがないわよね。


 心の中に浮かんだ可能性を瞬時に否定していると、フィルディス様は穏やかに微笑んだ。

 

「二年前に一度戦場を共にしただけでも、好感を抱くには十分だったよ。他の聖女たちはみんな怯えて遥か後方の天幕に引きこもってたのに、リーリエは危険を顧みることなく、おれたちと最前線を駆け回ってくれた。リーリエのおかげで何人の命が助かったことか。あのときの八面六臂の活躍ぶりはいまでも語り草だよ。聖女どころか女神だと言う奴もいるくらいだ」

「そんな……私が無理を通せたのは、エミリオ様やフィルディス様が適宜援護してくださったからですよ。私に近づこうとする魔物はフィルディス様が斬り、遠距離から狙撃しようとした魔物はエミリオ様が魔法で撃ち落としてくださった。お二人が守ってくださったから、私は存分に癒しの力を使うことができたのです」

 照れながらそう言うと、フィルディス様は笑った。


「命懸けで頑張ったのはリーリエなんだから、遠慮せず自分の手柄にしていいのに。謙虚だな」


 草原を渡る風に吹かれて、艶やかな黒髪が気持ちよさそうに揺れている。

 深く澄んだ青の瞳はサファイアのように美しい。

 通った鼻筋も薄い唇も人形のように整っている。

 国宝級の美形と草原で二人きり。

 いまさらながら状況を理解して、おかしな脈が生まれた。


「ええと。その。では、二年前からずっと、フィルディス様は私のことを気にかけてくださったと思って良いのでしょうか」

「ああ。リーリエに関する情報はなるべく集めてた。リーリエとの婚約中にレニールがエヴァと浮気してたことも知ってたよ。レニールは本当に、ろくでもない男だ。あれが王太子だなんてふざけてる」

 フィルディス様は苦々しげに吐き捨てた。


「……レニール様とエヴァが愛し合っていたのは公然の秘密でしたからね……」

 苦笑することしかできない。


 私が《聖紋》を失ったことで意中の恋人エヴァと婚約できたにも関わらず、レニール様はエヴァと共謀し、私に冤罪を着せて国外追放しようとした。


 それは何故か。自身の非道を正当化するためである。

 国のために尽くした私をあっさり捨てたことで、レニール様は良識ある一部の人間から非難されていた。


 そこで『リーリエは義理の妹を虐め抜いた挙句、毒を盛るような悪女だったから浮気したのも婚約破棄したのも仕方なかった』という言い訳を作ろうとしたのだ。

 私としては堪ったものではない。


 私はそんなに嫌われるようなことをしたのだろうか。

 救護団の活動ばかりに力を入れて、レニール様を放置したのが悪かった?

 いずれ王妃になる身として、国のために尽くそうとしただけなのに、私は間違っていたのかしら……。


「リーリエ」

 考え込んでいる私をどう思ったのか、フィルディス様は不意に足を止めて私の手を掴んだ。

 驚きで思考が霧散し、私は同じく足を止めて彼を見つめた。


「リーリエは真面目で善良だから、これだけの仕打ちを受けるからには自分にも何か問題があったんじゃないか、とか考えそうだけど。そんなことは全くない。おれが断言する。リーリエに落ち度なんかなかった。誰よりも一生懸命、人のために尽くしてた。おれは知ってる。ちゃんと見てたよ。見てて心配になるくらい、本当に、リーリエはよく頑張ってた」

「………」

 まさかそんなことを言われるとは思わず、私は呆然としてしまった。


「婚約破棄された挙句、冤罪を着せられて国外追放されたのはショックだったと思うけど。でも、ショックなんて受けなくていい。あんな不誠実極まりない男と結婚したって不幸になるのは目に見えていた。だから、これで良かった、結婚前に本性を現してくれて良かったと、前向きに考えてほしい。あいつのために流す涙のほうがもったいない」

 フィルディス様は私の右手を握る手に力を込めた。


「『最高の復讐は幸せになることだ』と何かの本で読んだことがある。おれも同意見だ。宝石を捨ててクズ石を選んだ見る目のない馬鹿のことなんてすっかり忘れて、リーリエには幸せになってほしい。これからはおれが傍にいる。辛いときや悲しいときはおれが支える。いつだっておれはリーリエの味方だし、力になりたいと思ってる」

 フィルディス様の眼差しは、言葉は、どこまでも真摯で。


「……ありがとうございます」

 私の目に涙を浮かばせた。


「フィルディス様の仰る通りです。流す涙のほうがもったいないですね。私はもう二度とレニール様のために泣きません。思うことすら拒否します。記憶から存在ごと抹消します」

「ああ。それがいい」

 目元を擦って笑うと、フィルディス様も笑い返してくれた。

 繋いだ手から彼の体温が伝わってくる。


 ――ああ、私はなんて幸せ者なんだろう。

 言葉を尽くして励ましてくれる人がいる。

 私のために謁見の間に乗り込み、国王に抗議してくれた人がいる。

 国外追放を言い渡されたときは絶望感でいっぱいになったけれど、絶望する必要なんてない。

 どこまでも味方でいてくれる、かけがえのない人が二人もいるのだから。


 幸せを噛みしめていたそのとき、視界の端が光った。

 繋いだ手を離してそちらを見る。

 光り輝く魔法陣と共にエミリオ様が現れた。


「あれ? どこ行っ……ああ、いたいた」

 辺りを見回してから、エミリオ様はすぐに私たちを見つけて近づいてきた。

 彼の背中にはリュックがある。

 あれは魔法道具の一種、通称『何でも入る袋』だ。

 両手で持てる大きさ・重量のものであれば制限なく、いくらでも収納できる。


 非常に便利な反面、目玉が飛び出るほど高いはずだけど、さすがは元・《護国の大魔導師》。高価な魔法道具でも買えるほどの財力があるらしい。


「お帰りなさい」

 言いながら、エミリオ様に歩み寄る。


「ただいま。ちゃんとフィルの剣も持ってきたよ。剣のない剣士なんて、歌えないカナリアみたいなものだからね。いや、歌えなくてもカナリアは可愛いけど」

 エミリオ様は背負っていたリュックを足元に置き、リュックを開いた。

 虹色の靄に包まれた開口部分に手を突っ込み、エミリオ様が取り出したのは鞘に包まれた剣と剣帯。


 剣帯はともかく、剣は絶対に入るサイズではない。

 それがリュックから出てくるのだから、なんとも不思議な光景だった。


「ありがとう。やっぱり剣がないと落ち着かなくて」

 嬉しそうに剣を受け取り、フィルディス様は早速腰に剣帯をつけ始めた。


「それで、リーリエ。どこに行きたいかは決まった?」

 リュックを背負い直し、エミリオ様は軽い口調で尋ねてきた。


「…………」

 口を開こうとして、閉じる。

 本当に私の行きたいところについてきてくれるんですか?――という確認は必要ない。

 私を見つめるエメラルドグリーンの瞳が、そう言っている。


 ――本当に、なんて優しい方たちなのだろう。

 お礼をしたくても、私は何も持っていない。

 所持品は服とハンカチくらいなもので、無一文だ。

 でも、いつか絶対に恩返しすると心に誓った。

 

「はい。イリスフレーナに行きたいです」

「ああ、やっぱり海を越えることになったか」

 エミリオ様は小さく笑った。私の返答は予想通りだったらしい。


「フィルディス様から聞きました。私のために色々と調べてくださり、本当にありがとうございます」

「どういたしまして。じゃあ行こうか。あ、先に言っとくけど今日はもう魔法は使わないから。さすがに疲れたし。魔法で簡単にイリスフレーナまで飛んでいくと思ったら大間違いだよ」

「はい、わかりました」

 くすりと笑い、エミリオ様に続いて歩き出す。

 フィルディス様は私の隣を歩いてくれている。

 腰に剣を下げたその姿は、まるで主に付き従う騎士のよう。


 ――この二人がいれば、何があろうと怖くない。


 見上げた春の空は青く澄み渡り、風は穏やか。

 今日、ここからが、私の新しい人生の第一歩だ。

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