第2話

 福島区でわたしと夫、義両親で飲んでいたとき、わたしは一体何に涙を流していたんだろうか。これまでいろんなことがありすぎて、何で困惑してしまったのか思い出せない。たぶん、わたしがこれまで生きていく上で大切にしていた価値観を、否定されたのだと思う。義父は自分の言いたいことをはっきりとすぐ言うタイプ。対してわたしは頭の中で論理を構築してからしか、うまく発言をすることができない。思ったことを発言するのに時間がかかるのだ。頭の回転がはやい義父と、対等に議論をすることはできなかった。


 それでも、結婚して何年か経つうちに、義父の言うことを少しずつ流せるようになってきた。義父は口うるさいこともあるけれど、裏では夫や妻であるわたしのことを心配してくれていることを知っていた。とにかくわたしたちが路頭に迷わないように、保険や家賃収入など、生きる術を教えてくれる。たまに厚かましいこともあるけれど、心遣いだけは理解できた。


 でも、結婚当初、まだ二十三歳と若かったわたしは、義父の捲し立てるような物言いに深く傷ついてしまうことが多かった。わたしの家族は義家族とはちがって、みんな大人しく、食卓で上がる話題も休みの日に何したいとか、新しくできた施設が面白そうだとか、本当に他愛もない話ばかりだった。だから、いつも溢れんばかりの世の中への怒りや今後のビジネス展開についての意見をぶつけてくる義父の話を聞いているのが、正直息苦しかったのだ。


 中でも、「エリちゃんは親不孝すぎる」と言われたときはさすがに傷ついた。 確か、わたしが実家のある福岡に帰省する回数について話していた時だった。盆と正月、それ以外にも度々帰省をしているわたしだったが、義父にはわたしがあまりに帰省しなさすぎると思ったらしい(たぶん世の中的にはかなり帰省している方だが)。


「そもそも親元を離れて暮らすなんて、親不孝だ」と言いたかったようだ。大抵のことは流そうと心得ていたわたしも、この時ばかりは「むむむ、」と反発心が芽生えた。 わたしは大学時代から一人暮らしをしていて、就職してからも実家で暮らしてはいない。結婚した相手がちょうど大阪の人で、就職先も大阪の会社だった。わたしは大学時代を過ごしていた街を離れ大阪に移り住み、現在に至る。 でも、その気になればいつでも実家のある福岡に帰ることができた。独身だったら帰っていたかもしれない。大阪に特に思い入れがあるわけではないから。それでもここで暮らしているのは夫がいるからだ。夫が大阪を離れられないのは、家業があるからに他ならないのに、義父の言うことは本末転倒のように思えた。


 さすがにこの時は夫が庇ってくれてなんとか腹の虫が収まったものの、義父はまたちょくちょく、小さな棘をさすようなことを言ってきた。もう諦めてさえいる。わたしはずっと、この人のそばで生きていかなくちゃいけないから。ひとつひとつの言葉にいちいち気を張っていたら身が持たない。うん、義父の話は申し訳ないが半分ぐらいしか聞かないようにしよう、と常に自分に言い聞かせた。

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