土曜日のメロンパン

葉方萌生

第1話

 初めて訪れた福島区という上品な街の一角にある居酒屋で、わたしはしくしくと涙を流していた。入口の木の扉の高さは低く、扉をくぐると異世界にでも迷い込んだかのような洗練された店内が視界に飛び込んでくる。目の前に座っている、なにわの商人あきんど・義父は何杯お酒を飲んでもテンションが変わらない。高くなることも、低くなることもない。常に一定の活力で、わたしに説教をほどこす。


「あのなあ、エリちゃん(わたしの仮名)、サラリーマンはどれだけ国にお金を持っていかれとるか知らへんのよ。商売人してたらすぐに分かるわいっ。サラリーマンになったら最後、搾取され続ける人生やで」


 飲みの場でも、職場でも、基本的に義父の主義主張は変わらない。政治、経済、世界情勢など、さまざまな角度からわたしに世の中の基本を教えてくれる。ニュースでは決して報道されないことを、義父は自らの考えを持って他人に語るのが好きなひとだ。 義父は二十代の時に進学塾を始め、今では地元ではかなりの生徒数を集めるほど、名の知れた塾になっている。新卒で大企業に就職し、職を転々としていたわたしは今、義父が社長を務めるその進学塾で働いていた。


 むろん、義父の息子である夫も同じ職場で働いている。ほとんど家族経営である塾だが、義父の授業へのこだわりはひと一倍だった。なんでも、うちの塾では授業中に生徒の笑いが絶えない。先生たちは、分かりやすい授業をするだけでなく、生徒が笑って聞いてくれるように飽きさせない授業づくりに励んでいるのだ。そんな義父のなにわ魂が投影された授業だから、巷ではちょっとした人気を誇っている。


 その塾の体制を一代で築き上げた義父が“すごいひと”であることは言うまでもない。 だがわたしは、初めて義父に会った時から、正直義父のことが苦手だった。まず、顔が怖い。というのは百歩譲って慣れたら大丈夫だとしても、自分の主張が強いのと、独特な力強い喋り方が、些細なことを気にしてしまうわたしの神経に合わなかったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る