第15話 自分の浅さを知る
勝俵蔵は、いつものように仕事場へと現れた。彼の顔はどこか疲れを見せつつも、目には鋭い光が宿っている。拓真が書き上げた原稿の束は、小さな机の上に置かれていた。その姿を見た勝俵蔵は、口の端を少し持ち上げる。
俵蔵が拓真の原稿を手に取ると、その目つきが変わった。鋭い目で原稿を一枚一枚めくっていく。拓真は畳に正座したまま、心臓の鼓動が耳に響くほど緊張していた。
「ほう、坊主。随分と気合いが入ってるじゃねぇか。」
俵蔵はそう言って、ひとまず原稿を閉じた。
「ありがとうございます……けれど、まだ未熟だと思います。ご指導いただければと……」
「まぁ、そうだろうな。」
俵蔵は淡々とした声で返す。
「だがまず、お前に一つ聞いておきてえ。これ、どんな気持ちで書いた?」
拓真は一瞬、言葉に詰まったが、覚悟を決めて答えた。
「人間が嘘をつくとき、その裏にある葛藤や理由を描きたかったんです。それが、課題のテーマだと思いまして。」
「嘘の裏の葛藤か。」
俵蔵は顎をなでながら、少し笑った。
「まぁ、意図は悪くねえな。ただしな、坊主。嘘を描くってことは、そいつの人生そのものを描くってことだ。お前の原稿に出てくる登場人物、こいつらがなぜ嘘をついてるのか、ちゃんと掘り下げたか?」
「ええと……」
拓真は顔をしかめる。
「一応、書いたつもりですが……」
「つもりじゃダメだ!」
俵蔵が原稿を叩きつける音が響いた。
「お前の話の中じゃ、登場人物がただの役割でしかねえ。嘘をついた理由も、守りたい相手も、全部薄っぺらい。人間の本当の感情が足りねえんだよ!」
拓真はその一言に胸を刺される思いがした。俵蔵の声は荒々しいが、その奥にはどこか切実な響きがあった。原稿に目を落とすと、自分の書いた文章が、急に色あせて見える。
「なぁ、坊主。」
俵蔵は声を落とした。
「嘘をつくってのは、ただの手段じゃねえ。そいつの生き方そのものなんだ。嘘をついて守りたいもんがあるなら、それをどうしても手放せない理由をもっと書け。それが家族なのか、恋人なのか、それとも名誉なのか……そこが足りねえ。」
拓真は言葉もなくうなだれる。勝俵蔵がさらに言葉を続けた。
「あと、嘘がバレる場面の描写もな。お前、嘘をつくときの人間の息遣いを感じたことがあるか?」
「……いえ、感じたことはありません。」
「だからダメなんだよ。」
勝俵蔵は息をつき、顔を少し和らげた。
「坊主、人間ってのは嘘をつくとき、体が反応するもんだ。たとえば、目が泳ぐとか、声が震えるとか、汗をかくとか。お前が書いてるのは、ただの頭の中で作った嘘つきだ。生きてねえんだよ。」
「……はい。すみません。」
拓真は深々と頭を下げた。
しかし俵蔵は、ふっと笑った。
「まぁ、そうは言ってもな。全くダメってわけじゃねぇ。話の筋立て自体は面白いし、嘘が物語を動かしていく構造も悪くねぇ。ただ、これを人前に出すには、もう一段階深く掘らなきゃならねえ。」
「もっと人間の感情に寄り添います……」
拓真は力強く頷いた。
俵蔵は立ち上がり、手を振って言った。
「今日のところはこれくらいにしとけ。明日、もう一度書き直して持ってこい。嘘をつく人間の真実を見つけるのが、お前の役目だ。」
その言葉を背に、俵蔵は去っていった。拓真は座敷に一人残り、再び原稿を見つめる。自分の筆が捉えきれていない人間の本質。それを掴むためには、もっと深く考え、もっと生きた言葉を書かなければならないと決意した。
拓真は灯りを灯し直し、再び筆を取った。俵蔵の言葉が脳裏に焼き付き、彼の課題に真っ向から向き合う夜が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます