第14話 美鈴の教え

勝俵蔵から新たな課題を渡されたのは、ある蒸し暑い日のことだった。その内容は、


「登場人物に嘘をつかせ、それが物語全体にどう影響を及ぼすかを描け」


というもの。課題は単純なようでいて奥が深い。嘘をつく理由、嘘が暴かれたときの登場人物の心理、そしてそれが周囲に及ぼす影響……。頭ではわかっていても、それを紙の上に形として描くのは想像以上に難しかった。


宗右衛門の家で居候を続ける拓真は、書き付けを前に何度も書いては消し、ため息をつくばかりだった。家の奥から聞こえる売り声が心地よい反面、焦りをさらに募らせる。すると、ふと襖越しに声がかかった。


「拓真さん、少しお時間をいただけますか?」


顔を上げると、美鈴が立っていた。手には風呂敷包みがあり、何かを決心したような表情をしている。拓真は筆を置き、軽く首をかしげた。


「どうしました、美鈴さん?」


「最近、あまり顔色が良くないので……少し気分転換しませんか?夕涼みに茶屋までお付き合いいただければと思いまして。」


彼女の提案に、拓真は少し驚いた。だが、ありがたい気遣いに思わず笑みがこぼれる。


「ありがとうございます。実は行き詰まっていたところなんです。ぜひご一緒させてください。」


二人は茶屋へと向かった。通りに並ぶ茶屋の軒先には色とりどりの提灯が風に揺れている。茶屋の中では芝居の話題に花を咲かせる客たちの声が飛び交い、独特の活気があった。美鈴は涼やかな葛切りを注文し、二人は隅の席に腰を下ろした。


「最近、随分とお忙しそうですね」と美鈴が切り出す。


「勝先生の課題に取り組んでいらっしゃるんでしょう?」


「ええ」と拓真は苦笑しながら答えた。


「でも、うまくいかなくて。登場人物に嘘をつかせるなんて、想像以上に難しいですね。」


「どのような嘘を描こうとしているんですか?」


「それがまだ決まらないんです。嘘にも理由が必要で、それが物語にどう作用するかを考えなくちゃいけない。中途半端な嘘だと話が締まらなくなるし……。」


美鈴はその言葉を聞きながら、しばし考え込んだ。そしてふっと微笑みながら語り始めた。


「父が言っていたことがあります。商売の場面では、たまに少し大げさな表現をすることがあるって。それが完全な嘘かどうかは分かりませんが、お客様を安心させるためには、時には必要なことだと。でも、そこに誠意がなければ、いずれ信頼を失うとも言っていました。」


「なるほど……」


拓真は興味深そうに頷いた。


「嘘にも誠実さが必要ということでしょうか?」


「ええ。ただし、嘘をついた人がどう向き合うかが大切だと思います。どんな嘘にも責任が伴いますから。」


その言葉に、拓真はハッとした。嘘がもたらすのは悪影響だけではない。それをどう扱うかで、物語の方向性が変わるのだ。商売での経験からくる美鈴の実直な視点は、拓真にとって新鮮だった。


二人は葛切りを食べ終えると、夜道を歩き始めた。木造の軒先から提灯の光が漏れ、夏の夜風が頬を撫でる。


「美鈴さん、先ほどの話、すごく参考になりました。ありがとうございます。」


「いえ、そんな……少しでもお役に立てたなら嬉しいです。」


穏やかな沈黙が二人を包み込んだ。拓真はふと、美鈴の言葉を反芻しながら考えた。嘘をつく理由、嘘を守ろうとする姿勢、嘘が明らかになった後の心の動き。これらすべてが、物語を動かす鍵になるのではないか。


家に戻ると、拓真はさっそく机に向かった。筆を取り、人物の背景や嘘をつく動機を書き出していく。たとえば、家族を守るために嘘をつく親、嫉妬から真実を歪める友人、愛する人のために隠し事をする恋人……。どの嘘にも物語を動かす力がある。


夜が更ける中、拓真の筆は休むことなく走り続けた。美鈴とのひとときが、停滞していた彼の創作に新たな光をもたらしていた。彼女の言葉は、まるで道しるべのように拓真を導いていたのだ。

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