第12話 拓真、歌舞伎音楽を学ぶ

拓真が中村座の裏方として学びを重ねる中、ある日、勘三郎から新たな指示が下った。


「今日は太夫たゆうと三味線方の稽古に立ち会え。舞台の音の意味を知るには、あいつらの仕事を見るのが一番だ。」


拓真は稽古場に足を運ぶと、そこには一組の太夫と三味線方がいた。太夫は重厚な声を響かせながら物語を語り、三味線方はその語りに合わせて楽器を操っている。太夫の語りがまるで大河のように流れ出し、三味線がその音に生命を吹き込むかのようだった。


太夫は竹本を語っていた。この語りは物語の進行や感情を伝える重要な役割を持つ。拓真はその声を聞いて、ただ音楽として美しいだけでなく、登場人物の心情や状況が明瞭に浮かび上がることに驚いた。


「竹本の語りは、役者のセリフとは違う。しかし、物語の骨組みを作る大事な役割だ。」


横で見守っていた勘三郎が解説する。


三味線方は太夫の語りに応じて、絶妙な間合いで音を入れる。物語が悲しい場面では低音が響き、緊迫する場面では音が速く激しくなる。


「この音が役者の動きを支えてるんだ。観客は音を通じて感情を動かされる。」


太夫が一瞬息を止めると、三味線の音も沈黙する。その静寂に緊張感が漂い、やがて太夫が再び語り始めると、三味線がその声に寄り添うように動き出す。その一連の流れに、拓真は舞台上では見えない音楽の力を感じ取った。


稽古が進む中、役者が登場して実際の場面が再現された。役者が台詞を発するたびに、太夫はその動きや感情を補完するように物語を語り、三味線方は音楽でそれを支える。


例えば、ある役者が敵を討つために刀を振り上げる場面。


「そりゃ、せめぎ合う命の刃――!」


太夫が力強い声で語ると、三味線方は急激に音を高め、緊張感を煽る。刀が振り下ろされる瞬間には、三味線の音が一気に弾け、観客の心を一瞬にして掴む仕掛けが作られていた。


「音楽がないと、この刀の一振りもただの動きに過ぎねえ。音があるから魂が入るんだ。」


勘三郎の言葉に、拓真は頷いた。


その日、さらに興味深い場面があった。舞台装置との連動が必要な場面だ。


「次は『だんまり』の場面だ。」


宗右衛門がそう告げると、暗闇の中で役者が静かに動き出した。だんまりとは、セリフを用いず、身振りや立ち回りのみで物語を進行させる演出である。この場面では特に音楽と動きの調和が求められる。


太夫は観客の心に語りかけるように物語の情景を描き出し、三味線がその背景を音で補完する。舞台上では、役者たちが舞台装置の「せり」や「廻り舞台」と共に動き、緩急のついた音楽がその演出を引き立てていた。


「この場面で大事なのは、太夫と三味線が役者と装置の動きを完全に把握してることだ。」


勘三郎が解説する通り、音楽と装置が調和しなければ、だんまりの場面は観客に伝わらない。


幕間に、太夫が役者に声をかけていた。


「ここの動き、もう少しゆっくりした方がいいかもしれません。三味線の間合いが崩れてしまいます。」


「わかりました。次の稽古で調整してみます。」


そのやり取りを見た拓真は、音楽と役者が互いに支え合い、舞台を作り上げていることを改めて実感した。太夫や三味線方の仕事はただの伴奏ではなく、舞台全体を彩る絵筆のようなものだった。


舞台が再開後、ある場面で、太夫が激しい語りを始めた。悲劇的な運命に立ち向かう登場人物の心情を描写する場面だ。その声には深い悲しみと力強い決意が込められており、拓真は自然と息を飲んだ。


その語りに合わせ、三味線方が一音一音を丁寧に紡ぎ出す。その音が太夫の語りと交わり、舞台全体が一つの生命を持ったように感じられた。


「役者が舞台の『顔』なら、俺たち裏方は『心臓』で、太夫と三味線が『息』だ。」


舞台の袖で道具頭がつぶやいた言葉に、拓真は強く頷いた。音楽だけでなく、舞台全体が生きていることを感じる瞬間だった。


その日の稽古が終わったあと、拓真は勘三郎に報告した。


「音楽がこれほど重要だとは思いませんでした。役者の動きや感情だけでなく、舞台全体を支える力を感じました。」


「そうだ。竹本や三味線がなければ歌舞伎は完成しねえ。覚えておけ、舞台は総力戦だ。」


勘三郎の言葉に、拓真は大きく頷いた。

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