第11話 拓真、舞台構造を学ぶ
ある曇り空の朝、拓真は中村座の舞台裏に呼ばれた。普段は稽古場にいることが多い彼だったが、その日は「大掛かりな仕込み」の手伝いをするよう道具頭に命じられた。
舞台裏に入ると、目に飛び込んできたのは驚くほど精巧な木製の仕掛けだった。大小様々な滑車、太い麻縄、丁寧に組み上げられた木枠。それらが舞台の床下や天井に至るまで複雑に張り巡らされている。
「こっちは『せり』の仕込みだ。」
道具頭が指差したのは、舞台の床に埋め込まれた大きな四角い枠だった。「せり」とは、役者や道具が舞台の床から上下する仕掛けのこと。歌舞伎の世界で特に重要な舞台装置の一つである。
「この滑車を引いてみろ。ゆっくりだぞ、急ぐな。」
促されるまま拓真が縄を握り、滑車を動かすと、重い木枠がゆっくりと上昇した。木の擦れる音が響き、少し汗ばむ手元で装置の重さが感じられる。
「これ、全部手で動かしてるんですか?」
「当たり前だ。観客には見えねえが、俺たちの力がなけりゃ舞台は動かねえ。」
道具頭は誇らしげに笑った。その言葉を聞きながら、拓真は装置の緻密さに圧倒されていた。このからくり一つ一つが、舞台を支える骨組みとなっている。
装置の仕組みを教わるだけでなく、拓真はその動きのタイミングについても学んだ。
「役者がせりの上に乗るだろう?そのときだ。せりが揺れたり、速度が変わったりしたら、役者の動きも台無しになる。だから、俺たち裏方が呼吸を合わせるんだ。」
その後、実際にリハーサルが始まった。役者が舞台に立ち、せりの仕掛けが動き出す。指示が飛ぶたびに滑車を回し、縄を引く。役者の動きに合わせて、タイミングを計る。
「もう少し速く!」
道具頭の指示で拓真は滑車をさらに回した。すると、せりが滑らかに上がり、役者が現れる瞬間が生まれた。観客の目には一瞬の魔法のように見えるが、その背後には裏方の技と集中があった。
さらに、拓真は「早替わり」に使われる仕掛けも目の当たりにした。早替わりとは、役者が瞬時に衣装や場面を変える演出のこと。そのためには、舞台の転換を一瞬で行う技術が求められる。
「こっちの装置を見てみろ。」
道具頭が示したのは、舞台の下に設置された大きな回転盤だった。この装置は舞台を丸ごと回転させるもので、幕を閉じずに場面を切り替えることができる。
「この回転盤、手で動かしてるんですか?」
「そうだ。ただし、滑らかに回すのがコツだ。ガタつくと観客に気付かれちまうからな。」
実際にその場面を体験することになった拓真。滑車を操作しながら舞台を回転させると、装置の下にある重りが巧妙にバランスを取りながら動くのを感じた。観客の視線の先では役者が物語を続けるが、その裏側では拓真たちが必死に装置を動かしていた。
装置の動きが完璧でも、それが舞台の演出と調和しなければ意味がない。特に、装置を動かす音と役者の動きをどう一致させるかが重要だった。
「せりを動かす音が舞台に響くと、観客に現実を感じさせちまう。だから、音を鳴らす笛や太鼓と連携して動かすんだ。」
楽師たちの練習場に案内されると、音楽と装置が連動する様子を見せてもらった。装置が動くタイミングで、三味線や太鼓が合図を送る。それは、ただの舞台装置ではなく、一つの演技であるかのようだった。
数日の作業を経て、拓真は裏方の仕事がいかに重要かを体感した。表で演じる役者たちが「顔」であるならば、裏方はその「心臓」だ。舞台は、表と裏の両輪が揃ってこそ成り立つものだと悟る。
「お前さん、だいぶ動きが板についてきたな。」
道具頭の言葉に、拓真は少しだけ自信を持った。だが同時に、裏方の仕事が奥深く、まだまだ学ぶことがあると感じてもいた。
その夜、拓真は勘三郎に報告した。
「今日、舞台装置を学びました。役者の動きや音楽と調和しながら仕掛けを動かすのは、本当に大変な仕事です。でも、その一瞬が舞台全体を支えていると分かりました。」
勘三郎は静かに頷いた。
「それが分かったなら、裏方の気持ちを忘れずに芝居を書け。それが歌舞伎を知るってことだ。」
拓真はその言葉を胸に刻み、再び学びの日々を迎えるのだった。舞台装置の裏側で見た技術の結晶は、彼にとって忘れられない経験となった。
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