第4話 拓真、江戸の商家に居候

伊藤屋は江戸の町でも評判の高い商家であり、堂々とした木造の建物が、しっとりとした佇まいで立っていた。店の正面には「伊藤屋」の看板が掲げられ、商売をするために必要な品々が、店内に整然と並べられている。外の喧騒と比べ、店内はひんやりとした静けさに包まれており、奉公人たちの足音が、時折響くだけだった。


店の奥には家族のための空間があり、その一角に奥座敷が設けられている。座敷には、床の間があり、掛け軸が掛けられている。床の間の隅には、手入れの行き届いた花が生けられており、穏やかな空気が漂っていた。座敷の広さはゆったりとしており、畳の上に腰を下ろすと、どこか落ち着いた気持ちになる。木の温もりが感じられる空間で、江戸の商家にありがちな堅苦しさとは違い、むしろ家庭的で温かな雰囲気が漂っていた。


宗右衛門は拓真を座敷に案内し、「ここで休むといい。飯は後で持ってこさせる。体が回復したら、お前さんが何者なのかゆっくり話してもらいましょう」と言って、静かに部屋を出て行った。


しばらくして、宗右衛門の娘・美鈴が湯呑みを手にして部屋に入ってきた。彼女の動きは静かで優雅であり、まるで何もかもが計算されたような、おしとやかな印象を与えた。彼女は拓真に軽く会釈をすると、湯呑みをそっと差し出した。


「お怪我はないですか?」


美鈴の声は穏やかで、心配の色がにじんでいた。


拓真は軽く頭を下げ、


「ありがとうございます、大丈夫です。助かりました。」と答える。


美鈴は微笑みながら頷き、湯呑みをテーブルに置いた。彼女の手のひらが一瞬、湯呑みに触れるたび、そのしなやかな動きが拓真の目に映った。


「失礼いたします。」


美鈴は静かに言い、部屋を出て行った。彼女の姿が遠ざかると、拓真はしばらくその余韻に浸りながら、湯呑みの中身に口をつけた。


静かな空間に包まれ、拓真はようやく一息つくことができた。伊藤屋の家は、商人の家としてはもちろんのこと、家族が住まう場所としても、どこか温かみがあり、心を落ち着ける居場所であると感じた。


30分ぐらいたっただろうか、宗右衛門の娘である美鈴が湯呑を下げに座敷に現れた。


美鈴の姿は、どこかしら静謐で、気品に満ちていた。彼女の顔立ちは、やや細面でありながら、どこか柔らかな輪郭を持ち、その目元には深いまなざしが宿っている。細長い瞳は、どこか遠くを見つめているようであり、まるで何かを思索しているかのような落ち着きが漂っていた。その瞳の色は、濃い黒色で、瞳の奥にある柔らかな光が、彼女の心の内に秘めた優しさを感じさせた。


髪は黒く、艶やかな束がきっちりと結われ、首元には美しい櫛をあしらっている。髪の流れは、流れる水のようにしなやかで、動くたびに微かに揺れるその様子に、拓真は時折心を奪われることがあった。


「落ち着かれましたか?」


拓真は湯呑みを手に取って、しばらく美鈴に手渡しながら、彼女の目を見つめながら言った。


「美鈴さんのお家は、すごく立派ですね。商家として、きっと繁盛しているのでしょう。」


美鈴は静かにうなずき、少し照れたように答えた。


「はい、父が力を尽くして支えてきたおかげです。でも、私も父の手伝いをすることが多いので、あまり目立つことはありません。」


「でも、そうした日々が美鈴さんをさらに美しくされているのかもしれませんね。」


拓真は思わず言葉が口をついて出た。美鈴は少し驚きながらも、穏やかな笑顔を見せた。


「そんな風に言われると、少し恥ずかしいですね。でも、ありがとうございます。」


彼女は手を小さく動かして髪を整え、少し顔を赤らめた。


拓真はその瞬間、ただ彼女のそばにいることが心地よいと感じた。そして、ふと彼女に向かって質問を投げかけた。


「美鈴さん、家での仕事は大変だと思いますが、休みの日はどんな風に過ごすことが多いですか?」


美鈴は少し考えてから、柔らかな声で答えた。


「休みの日は、父と一緒に近くの庭を手入れしたり、時には家の中で本を読んだりします。あまり外出することは少ないのですが、静かな時間を大切にしているんです。」


拓真はその言葉に、また彼女の内面に触れたような気がして、少し心が温かくなった。


「本を読むんですね。何かお好きな本はありますか?」


「はい、いくつかありますが、特に物語が好きです。心が落ち着くので。」


拓真はその答えに共感しながら、興味を持った。


「それは素敵ですね。私は、昔から物語を考えることが好きで、自分でも、物語を作っているのですが。」


美鈴は少し驚いた顔をして、拓真を見つめた。


「物語を作っているんですか?」


拓真は頷きながら、少し照れたように言った。


「はい、まだ未熟ですけれど、物語に関わる仕事がしたくて…」


「素晴らしいことではないですか。きっと素敵な物語を作り上げるのでしょうね。」


美鈴の言葉には、温かさがあふれていた。

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