わけありな人々:3
「あ、すみませんね。大丈夫ですから……。俺は酔ってなんかいませんよ。大丈夫ですって」
「広岡さん、ほら、しっかりしろ!」
笹木が反対側から広岡の身体を支える。 それで僕たちは二人がかりで、足下の危ない広岡を長椅子まで連れて行ったのだった。
「どうもありがとう……ん? あなたは誰?」
「今夜チェックインした宮里君」
笹木が僕を広岡に紹介すると、彼はいきなり自分の服のポケットから何かを取り出そうとする。 だが、その手は酔っぱらっているせいかぎこちなかった。
「あれ? 確かここに名刺を入れていたはずだけど……。ま、いいか。俺……いえ、私は広岡といいます。T銀行に勤めていまして、どうぞよろしく」
「広岡さん、自己紹介は後でいいから。オーナー、水を頼む」
「なにを言っているんですか。銀行員は最初の挨拶が大事なんですよ」
「だったらそんなに飲むな」
「飲んでません。私はこれでも酒は強いんです。飲んだら乗るなってね。ハッハッハ……うっ!」
「おい、大丈夫か。水を早く」
笹木にせかされて、オーナーが慌ててグラスに水をついで持ってくる。 それを受け取り、笹木は広岡に半ば強引に水を飲ませた。
「ほら、しっかりしろ」
「ありがとう、笹木さん。他人のあなたがこんなに親切にしてくれるというのに、あいつときたら……あいつときたら……うう!」
広岡は水を飲みながら泣き出す。
(今度は泣き上戸か……悪い酒だな)
僕は呆れてそんな彼を見ていた。しばらくして広岡は少し落ち着いたらしい。
「ああ、すみません。初めてあった方にこんな醜態を晒してしまって。宮里さんはご結婚は?」
「独身ですが……」
僕がそう答えると、広岡はいきなり僕の方にグイッと顔を近づけて喚く。
「いいかい、結婚なんてするもんじゃない!」
「あ、あの……」
酒臭い息を顔にかけられてむっとしたが、広岡の剣幕に押し切られて突き放すことができなかった。
「私は女房子供のために身を粉にして働いてきたのに、『あなたと一緒にいると息が詰まる』ってこうなんですよ。そのあげくに慰謝料とか養育費はいらないから、家から出て行けって……あんまりではないですか。そりゃあ家を建てるとき、女房の実家から土地を提供して貰いました。家も、いずれは女房の両親と一緒に住むという約束で三百万ほど出して貰った。だけど、家を建てたのは……この私なんだ。それなのに……なんでこんな目にあわなければいけない。私がなにをしたというんだよ! 畜生……」
(……)
広岡は喚き続ける。
「鬱陶しいから愛想尽かされたんじゃねぇの」
「レオン君!」
「おい、よせよ」
レオンは笹木に止められてもどこ吹く風で、バーのカウンターからウイスキーの瓶を取り出して言う。
「こんな根暗で風采の上がらないオッサンなら誰だってごめんだ」
「……根暗。どうせ……私は根暗でオッサンだよ……」
それを聞いた広岡はまた泣き出し、僕はどうしていいかわからなかった。
「そいつは、一日中グチャグチャと喚いていたんだぜ」
レオンはうんざりした顔でウイスキーの瓶を開けようとする。 するとそれを見たオーナーが慌てて止めた。
「レオン君、君は未成年だろう。酒は駄目だ」
「そう、堅いこと言うなよ。少しぐらいいいだろう」
「二十歳過ぎたら好きなだけ飲めばいい」
オーナーにウイスキー瓶を取り上げられ、レオンはつまらなさそうな顔をしたがしかたなく諦めた。
「ほら、広岡さん。いいかげんで泣きやんで」
「だけどですねぇ……私は家も家族も無くしたんですよ。こんな不幸なことってありますか」
「気持ちはわかるが、いいかげんにしないと身体を壊すだろうが」
「私のことなんか、誰も心配してくれる者はいないんだ……」
「広岡さん……」
笹木の慰めも広岡には効かないようだった。
そのとき、その場の雰囲気を破るように、ホテルの入り口のドアが勢いよく開いて鈴の音がけたたましく鳴った。
「みなさん、こんばんは!」
入ってきたのは三十過ぎぐらいの男で、やけに陽気だ。
男の服装はプラチナのスーツに白いカッターシャツ、そして靴は白で、いかにも水商売風に見えた。茶髪の髪を肩まで伸ばしている。
「風馬さん、今夜は早いではないですか? もう、店は終わったんですか?」
オーナーが聞くと、風馬は楽しそうに笑いながら答えた。
「あんなつまらない店は辞めてきた」
「え?」
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