恩返し

クロノヒョウ

第1話





 小学生の頃に両親が離婚して俺は父親に引き取られた。詳しい離婚の原因はわからないがもともと仕事が忙しかった父親。二人の生活になってもそれは変わらずで、俺はほとんど家に一人でいるしかなかった。父親に会いたいからとがんばって夜遅くまで起きて待っていたこともある。それでもいつの間にか寝てしまっていて父親の顔も見れないという日がしばらく続いた。当然だろう、そうしていくうちに俺は一人で家にいるのがつらくなった。毎日夕飯を一人で食べるのが寂しくてたまらなかった。きっともっと父親にかまってほしかったのだと思う。

 俺はある日、家出をした。

 学校から帰るといつものように父親が食費としてリビングのテーブルに置いてくれている千円札が目に入った。その日はなぜかそれを見て寂しいという感情が溢れ出したのだと思う。俺はランドセルを置いてから、その千円札を握りしめるとすぐさま家の外へ飛び出していた。

 どれくらい走ったり歩いたりを繰り返しただろうか。気がつくと知らない町に迷い込んでしまっていた。歩き続けて疲れはてていた俺は、そこで見つけた小さな公園のベンチに座った。

 誰もいない静かな公園だった。日も暮れて辺りは暗くなり、こころぼそくなった俺はとうとう泣き出していた。

「おい……おい、どうした?」

 その時、知らない男の人が声をかけてきてくれたのだ。

「迷子か? お母さんは?」

 男の人はそう言いながら、俺に目線を合わせるようにしゃがみこんでくれた。俺は泣きながらただ首を横に振っていた。

「まさか家出じゃないだろうな」

 そう聞かれても何も答えられなかった。

「何があったんだ? 話せるか?」

 男の人は俺の隣に腰掛けた。その大きな体から優しいぬくもりを感じたのを覚えている。だからなのか、気づいたら俺は泣きながらその人に夢中で話していた。親が離婚したこと、父親が仕事で家にいないこと。家に一人でいるのが寂しいこと。かまってほしくて家出をしたこと。そうやって俺は胸のうちを吐き出していた。

「そうかそうか。そりゃあ寂しかったな」

 男の人は大きくて優しい手で俺の頭を撫でてくれた。

「でもな、かまってほしいのはわかるが家出はダメだぞ。お父さんが心配するし悲しむだろう? お父さんが泣いてもいいのか?」

 俺は首を横に振った。

「お前がいなくなったらお父さんも寂しいはずだ。今はつらいかもしれないが、もう少し我慢してやってくれないか? お父さんだってきっと、お前のために寂しいのを我慢して働いてるんだと思うぞ」

「そう、かな」

「ああ、そうだ。それに、寂しかったら寂しいってお父さんにちゃんと言ってみるんだ。どうだ? 言えるか?」

 俺は黙ってうなずいた。

「よし! えらいぞぉ!」

 それから男の人は俺を近くの交番まで連れていってくれた。お巡りさんによると、俺がいたのは自宅の近くだったらしい。ずいぶん遠くに来たと思っていたが、まだ小さかった俺の足では、すぐ隣の町までしか来ていなかったのだ。だったらついでにと、男の人が俺を家まで送ってくれた。

「おじさん、ありがとう」

 別れ際、俺は家の前でお礼を言った。

「ははっ、俺はまだ二十七歳だぞ。おじさんはないだろおじさんは。はははっ」

「ごめんなさい。えっと、名前」

「俺か? 俺は、そうだなぁ、妖精だ!」

「妖精?」

「そうだ、妖精さんだぞ。妖精さんに会ったんだから、きっと幸せになるぞ!」

「え……」

「じゃあな、ちゃんとお父さんと話すんだぞ!」

 妖精さんはそう言うと、笑って手を振りながら帰っていってしまったのだ。

 その後すぐに帰ってきてくれた父親に俺は寂しかったことやかまってほしいことをちゃんと伝えた。父親は涙を浮かべながら聞いてくれて、週の半分は一緒にご飯も食べられるようになった。おかげでそれからは寂しくても我慢できたし、お互いに何でも話せるようになったのだ。



 不思議なことにそれからしばらく妖精さんのことなど忘れていたのだが、中学生、高校生になると年々、俺はあの妖精さんのことが気になるようになっていった。大人になるにつれその思いはさらに大きくなった。なんとかして妖精さんに会いたい。妖精さんにあの時のお礼を伝えたい。その一心であの小さな公園に行ったりあの交番にも行ってみたが、妖精さんのことは何もわからなかった。思いきって探偵事務所にも依頼してみたが結果は同じだった。もう何年も前のことになるし名前も知らない、顔もよく覚えていないのだからどうしようもなかった。

 そうやっている間に、俺はあの時の妖精さんと同じ年齢になっていた。二十年近く経ってしまってはもうお礼を言うのは諦めないといけないのか。これまで俺が父親と仲良く暮らしてこられたのも妖精さんのおかげなのに。そう思いながら仕事帰りに近所の公園を通りかかった時だった。小さな子どもがたった一人でベンチに座っている姿が目に入った。もう辺りは暗くなっていた。

 俺はすぐに近寄って男の子に声をかけた。

「おーい、こんな遅くに、一人か?」

 男の子は泣いていた。

「ん? どうした?」

 俺はすぐに座り込んで男の子の話を聞いた。どうやら迷子になってこの公園にたどりついたようだった。なんとかなだめて泣き止ませてから一緒に交番に行こうと歩き出した時だった。

「ありがとう、おじさん」

「おじさん? 俺はまだ二十七歳だぞ」

「えっと、じゃあおじさんの名前なんて言うの?」

 その時ふと、あの日のあの妖精さんの姿が俺の脳裏にはっきりとよみがえってきた。

 そして俺はなんだか嬉しくなって、男の子に向かって笑顔でこう言った。

「俺? 俺は、そうだな、妖精さんだぞ!」

「妖精、さん?」

「ああそうだ。妖精さんに会ったんだから、きっと幸せになれるぞ! はっはっは!」

 そう言った瞬間、俺の心が一気に軽くなった気がした。

 きっともう、あの妖精さんに会ってお礼を言うことはできないだろう。でもあの妖精さんのようにこうやって、誰かの何かの助けをすることはいつでもどこででもできる。もしかするとこれが妖精さんへのお礼になっているのかもしれない。それはなにも子どもに対してだけではない。どこかで誰かが困っていたら手をさしのべてみよう。自分にできることがあれば手伝おう、助け合おう。

 きっとそれが、俺にできる妖精さんへの一番の恩返しになるはずだから。



           完





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

恩返し クロノヒョウ @kurono-hyo

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画