第7話 ファンレター
「最近、先生なんか調子良くなりましたね。」
原稿を受け取りに来た、編集担当の北村敦が出会い頭に大声をあげた。
「うるさい北村。調子なんか始めから悪くないよ。」
相手が若手なのをいいことに、世津子はいつもぞんざいに扱う。
「いやいや、肌艶もピカピカ、目力も鋭いし、なにより原稿執筆のスピード感が増してきた。」
それでもなお自分を持ち上げようとする北村を無視して、今朝哲郎が持って来た買い物袋の中身を確認する。
「これが例の哲郎さんが毎朝届けてくれる弁当ですか?」
「そうよ。もうやがて1週間になるけど、びっくりするくらい味に外れがないの。」
美味しいと言う言葉を率直に口にしないところが世津子らしいと、北村は思った。
「お店の名前、こはる弁当でしたっけ?」
「ええ。もっとびっくりすることがあるんだけど、聞きたい?」
世津子はどこか愉しげに見えた。北村はドキドキしながら頷いた。
「この弁当には、必ずその日私が食べたいと思うものが必ず一品は入っているのよ。」
「ええ?まさか。偶然じゃないんですか?」
「始めは私もそう思ったわよ。でも、昨日だって、ふとカキのクリーム煮が食べたいと思ったら、弁当の中にそれが入っていたの。」
普段から大げさに話を盛るようなことはしないだけに、世津子の話し方には真実味があった。北村は少し考えてから、
「じゃあ、因みに今日は何が食べたいんですか?先生がそう仰るなら、今日の弁当にもそれが入ってるってことでしょう?」
と、試すように口にした。
「弁当占いね。良いわよ。最近私もそうやって食べる前に遊んでるの。」
いつもなら、「私を疑うのか」と食ってかかりそうなものだが、今日は本当に機嫌が良いらしい。
「でも、今日のはさすがに無理かな。なんせ、私が食べたいのはバターチキンカレーだもの。」
「バターチキンカレー?単品じゃないですか。哲郎さんは栄養面に気をつけたいと言っていたから、さすがに単品はないでしょう。」
と言いながら、いざ袋から弁当を取り出したそのとき、
「ちょっと待って。なんか、カレーっぽい匂いがする。」
「実は僕も今そんな匂いを感じました。」
まさか。
弁当の蓋を開けると、そこには黄色いジェラートのようなかぼちゃサラダ、キャベツとコーンのコールスロー、えのきやエリンギ、しめじに舞茸ときのこ尽くしのバターソテー、玉ねぎと大豆のスパイシー炒め、きゅうりのピクルスなどがところ狭しと並んでいる。だが、全ての量がいつもより少なめだった。
「いや、カレーは入っていない。変ね、なんだかおかずの品数も量もいつもと違う気がする。いや、まだ中に何か、、」
買い物袋をまさぐると、スープの器と何かの紙包みが出てきた。
「嘘でしょう。」
器の蓋を外した途端、世津子は鳥肌が立った。
「バターチキンカレー、ですね。」
北村が呆然と口にする。
紙袋の中身は、いびつな形をしたナンが二枚。バターチキンカレーには欠かせないパンだ。
「哲郎さんの勘は大したものですね。」
「ここまでくると、超常現象よ。新聞のコラムにでも載せようかしら。」
「あ、いいですねそれ!是非載せてください。先生の本の売れ行き、うなぎ登りになりますよ、きっと。」
北村はすっかりその気になっている。
今回のメニューはカレーを中心に作っているため、おかずの品数や量で栄養やカロリーの微調整を図っているようだ。
世津子はバターチキンカレーを温める用意をしながら、考えこんだ。
(本当に。どうして私の考えていることが分かるんだろう。哲郎とは弁当の中身についてあまり話したりしない。ましてや、今日私が何を食べたいかなんて、哲郎が知るはずはない。)
哲郎の持ってくる買い物袋を、もう一度手に取る。なんのへんてつもないビニール袋だ。と、中にあと一つ何か入っている。
(なんだろう?封筒?)
それは、食材のイラストがプリントされた可愛いらしい封筒だった。
「橘世津子先生」と宛名がついている。裏面には「こはる弁当」と記されていた。
(手紙?)
開封すると、封筒と同じ柄の便箋が二枚入っている。
「橘世津子先生 はじめまして。いつも当店をご利用くださりありがとうございます。毎日弁当を買いに来て下さる先生の息子さん、橘様から先生のことをお聞きし、一言お礼致したく筆を取りました。実は、偶然にも私は最近先生の御本を拝読する機会に恵まれ、今ではすっかり先生の小説のファンになりました。新聞に現在連載中のお話、"蓮の眠り"、僧侶と白拍子の悲恋がなんとも切なく、続きがとても気になります。とはいえ、毎日お仕事なさっていらっしゃる先生のお体がまず大切です。当店の弁当は美味しいヘルシーをモットーにしています。これからも、先生のお仕事生活に寄り添った弁当をお届け出来ればと思います。今後とも、よろしくお願い申し上げます。こはる弁当店長より」
思いがけぬ相手からのファンレターだった。まさか、御用達の店の店長が自分の小説を読んでくれていたとは。
「先生!もしかすると、弁当を選んでいるのは、哲郎さんじゃなくて、その店長さんなんじゃ?」
北村にしては鋭いことを言う、と世津子は思った。
「もしそうなら、是非お会いしてみたいわ。日頃のお礼も言いたいし。」
文面から察するに、店長は女性ではないかと世津子は推測した。すると、作家にありがちな誇大妄想がもやもやと首をもたげてきた。
(その弁当屋の店長、本当はうちの息子とできているんじゃないかしら。私の本を読んだなんて言ってるけど本当は息子の気が引きたかったのでは。)
「先生、また変なこと考えてるでしょう?」
「別に。ただ、この手紙の主の魂胆が見え見えだと思っただけよ。息子に気があるなら、最初から私に取り入らず息子に直接気持ちを伝えりゃいいものを。」
「はあ?またまた、やめてくださいよ、そう裏を読むのは。もっと素直に喜ぶべきです。完全に職業病ですよ、それ。」
北村はうんざりするように言った。
「どうせ私は、職業病よ。その病のおかげで飯が食えてるのは何処の誰かってのよ。」
「相変わらず口が悪いな、先生も。全く。分かりましたよ。そのこはる弁当という弁当屋さんのこと、僕が調べてきます。」
「よし、任せたわよ、北村。」
始めから自分が出るよりも、先に偵察を放って調べておくのが良いと思った。しかし、もしこはる弁当店店長と息子との間に深い関係があったら。こんなに美味しい料理を作れる女がいるならば、男心も簡単に靡くだろう。そうなると、嫁の葉瑠子の立場は・・・。結婚して以来息子夫婦は、未曾有の危機となるのではないかと想像し、世津子は少しばかり動揺するのだった。
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