第3話 祖母の教え

葉瑠子は、一度こうと決めたらそれに向かってじっくり努力するタイプの人間だ。保育士の資格も、アルバイトをしながら夜学に通って取得した。社会人になるまでは、母方の祖母のもとにいた。両親は、葉瑠子が7歳のときに離婚、母はその後すぐに新しい相手と再婚したが、葉瑠子とはうまが合わず、葉瑠子はやむなく祖母の家に預けられることとなった。

祖母の迷惑にならないようにと、小学生のときから葉瑠子は家事を懸命に手伝った。料理上手で優しい祖母は、お礼にたくさんの料理を教えてくれた。

自分を捨てて男に走った母を恨んだりすることも時にはあったが、祖母の手料理は、そんな葉瑠子の心をいつも温かく慰めてくれるのだった。

不思議なことに、祖母は、葉瑠子がその日食べたいものを必ず一品作っていた。「食べたい」と口に出さなくても、まるで心を読むかのように用意されている。ハンバーグがどうしても食べたい日には、夕食にハンバーグが出た。何故、自分が食べたいものが祖母に分かるのか、魔法でも使えるのかと、葉瑠子は本気で思った。

「ねえ、ばあちゃん。何でばあちゃんは、はるこの食べたいものが分かるの?」


ある日、祖母にこう訪ねてみたことがあった。


「葉瑠子、それはなあ、葉瑠子のことを毎日観察しているからだよー(笑)。相手の食べたいものが何か知りたいなら、まず相手をよく知ることだ。」


祖母の言葉は今も印象深く心に残っている。

確かに祖母は、毎日いろんなことを葉瑠子に尋ねていた。その日の体温や、朝飲んだ水の味、身長、体重、給食のメニュー、行きたい店など聞きながらさりげなくノートにまとめていた。今思えば、祖母なりに、自分を一人前に育てようと必死に努力していたのかもしれない。


愛嫁弁当作戦を豪語したといえど、まだ攻め方について深く考えてはいない。だが、あのときの祖母の言葉が、良いキーワードとなった。「相手の食の好みをしりたいなら、まず相手を知ること」。


そうだ。自分は、あの姑のことを、もっとちゃんと知るべきなのだ。でも、一体どうやって?

世津子は、人に干渉されるのをもっとも嫌がる人間だ。祖母が自分にしたように、質問攻めにする訳にはいかない。世津子に気付かれずに済む方法を考えねばならなかった。

学生時代、家事を任されていた哲郎なら、世津子の食の傾向について、詳しいのではないかと尋ねてみたが、

「あの頃はお金がなかったから節約料理が多かったんだ。でも、今は母さんお金に困ってないし、昔とは食の傾向も違っていると思うよ。」


と、やんわり諭された。


(そうだ、そういえば確かお義母さんは数年前、食に関するエッセイを書いていたはず。それを読めば、お義母さんの好きなものや苦手なものが把握できるかも。)


我ながらナイスなアイデアだと思った。


「母さんの食に関するエッセイか。確か四年くらい前に一度出してた気がする。」


仕事から帰ってすぐ、ひと風呂浴びた哲郎は、ビール片手にのんびりと口にした。

「本の題名覚えてない?」

「うーん、『偏食万歳』、、だったかも。」

「 、、なかなか手強い題名ね。」


まるで、健康志向者に対して喧嘩を売るようなネーミングだ。

それでも、何らかの手がかりにはなりそうなので、葉瑠子は急いでネットで調べて購入ボタンを押した。


「出来れば、お義母さんの現在の健康状態が分かると助かるんだけどなあ。」


「母さんを診断した医者に聞いてみるよ。家族には、知る権利あるしね。」


哲郎は次の日、会社の帰りに病院へ立ち寄り、世津子の健康状態について、医者から説明を受けた。


「案の定、血圧が170超えてて、血糖値もわりと高い。医者からは、食生活の見直しをと言われたよ。」


「やっぱり。お義母さん、お酒も飲まれるしね。」


葉瑠子の弁当へのイメージはだいぶ固まってきた。ヘルシーだが美味しく、健康食と疑われないような見た目の料理を揃える。また、必ず一品は世津子の好物を添える。

考えるだけでどっと疲れを感じたが、それ以上に胸がワクワクしていた。

「そういや葉瑠ちゃん、参考になるか分からないけど、母さんの本の編集担当者と弁当配達の件で話し合ってさ。これをもらったんだ。」


哲郎が差し出したのは、一枚のチラシだった。

「竹松弁当」

表には、店の名前と、弁当の写真がいくつか飾ってあった。その中の一つに油性ペンで書いたかのような、大きな赤丸がついていた。


「この竹松スペシャルという弁当が、母さんのお気に入りで、いつもそれしか食べないらしい。」

竹松スペシャルの弁当の中身は、豚肉の煮付け、鶏肉の唐揚げ、いなり寿司、きんぴらごぼう、鮭の塩焼き、ポテトサラダ、春巻きなどバラエティーに富んでいる。その中に、美味しそうな厚焼き玉子も。

「これみんな、お義母さんの好きなものかな。」


「少し、食の傾向が見えてきたんじゃない?」


「うん、ありがとう哲ちゃん。この弁当、買って、味の研究してみる。」


仕事を辞めさせた挙げ句、気難しい母親の世話を任せることになり、妻にとんでもなく大きな重荷を背負わせてしまったのではないかと、哲郎は半分後悔していた。しかし、当の本人は、現状を楽しんでいるようにも見えて、それが救いになった。

「でもさ、葉瑠子がどれだけ頑張って弁当作ったとしても、母さんは、お店の弁当を食べてるとしか思わないなんて、なんか残念だよ。」


「そんなことないよ。むしろ、お義母さんが、どんな反応するかワクワクしているんだから。絶対にお義母さんが気に入るような、美味しくてヘルシーな弁当を作るからね。三ヶ月以内には血圧や血糖値の数値も下がっているはずだわ。」















  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る