第2話 嫁の秘策
実家から家に帰る車中、葉瑠子はずっと黙ったままだった。流石にあれだけ冷たく突っぱねられたら、傷つくだろうと、哲郎は母の代わりに胸を痛めた。
「葉瑠ちゃん、ごめんな。俺の判断ミスだった。母さん年のせいか、昔より更に頑固になっていて、、」
「哲っちゃん、判断ミスなんかじゃないよ。お義母さん、確かに少し痩せて、顔色も悪かった。」
「えっ!?」
あの罵声を浴びせるために母が振り返った僅かな瞬間を、葉瑠子は見逃さなかったのだ。息子の自分さえ気付かなかったことに気付いた葉瑠子の優しさに、哲郎は感動せずにいられなかった。
「葉瑠ちゃんはやっぱり、人の世話をする仕事に向いてるんだよ。母さんの世話は、葉瑠ちゃんにしか出来ないと思う。」
「でも、あの通り、お義母さんは私たちが家に来るのを嫌がっているし。どうしたら、お義母さんの体の健康を維持できるんだろう。」
「葉瑠ちゃん」
普通の嫁なら、あんな姑ともう顔も合わせたくないと思う筈だ。なのに、葉瑠子は純粋に夫の母親の心配をし続けている。哲郎はありがたい気持ちが湧いて思わず胸が熱くなった。
「父さんが生きていたら、また少しは違ったのかな。」
「哲ちゃんのお父さん、随分早くに亡くなられたんだよね。」
父の源一郎が亡くなったのは、哲郎が中学生の時だった。その時はまだ母の世津子は文壇デビューを果たしておらず、タイピストとして働いていた。父亡き後、息子の進路選択の枠を少しでも広げてやろうと、世津子は夜も深夜まで、街の飲み屋で働くようになった。そんな経験が役に立ったのか、哲郎の大学進学と同時に、世津子の小説家としての道も開いた。以降、数々の文学賞を総なめにし、作家、橘世津子の名は世に広く知られるようになった。
作家というのは、大概変わり者である。母と二人で暮らしていた日々を思い起こせば、色んな出来事があった。世津子は家事を嫌った。父のいた頃は、無理をしてなんとか家事全般こなしてはいたが、父が亡くなると、炊事洗濯の一切を哲郎に押し付けるようになった。そのおかげか、哲郎は、大学に通う間、1人でもまともに生活出来るようになった。そんな母だったが、唯一得意な料理があった。それは、厚焼き玉子だった。砂糖は入れずに隠し味として、マヨネーズを少し混ぜて焼いていた、と哲郎は記憶している。
「母さんの手料理、といえばそれくらいしか思い付かないんだよな。」
「マヨネーズを使うなんて、斬新だね。どんな味がした?」
「味というより、食感が特別だった気がする。ふわふわしていて旨いんだよ。」
「いいね。お義母さん、今も台所に立つことはあるのかな。」
「どうだろう。多分、編集担当者に出来合いの弁当なんか買わせて済ましてるんじゃないかな。」
「それじゃ、不健康だよ。塩分や脂質が過多になる。」
なんとか、食事面だけでも世話をすることが出来ないだろうか。
葉瑠子は必死に考えを張り巡らした。
(お義母さん、厚焼き玉子くらいは作って食べているといいんだけど。厚焼き玉子・・・確か、弁当に入っていると嬉しいランキングの上位に君臨しているやつだよね。)
「弁当」というワードが、そのときふと、葉瑠子の心に引っ掛かった。
「ねえ、哲っちゃん、お義母さんに毎日、お弁当作って届けるのはどうかな。」
「弁当? 母さん、あの様子じゃ、簡単には受け取らない気がするけど。」
「私が作ったことにしなきゃいいんだよ。つまり、作るのは私、運ぶのは哲ちゃん。」
「そんなの、怪しまれるに決まってるよ。」
「さっき、哲っちゃん、お義母さんは出来合いの弁当を編集者さんに買わせてるって言ってたじゃない?要するに、お店の弁当と思わせればいいんだよ。」
葉瑠子の考えはこうだった。
まず、弁当箱はお店と同じ使い捨て容器に撤すること。弁当の中身はビタミンミネラルなど栄養バランスのしっかり取れた品々にすること。基本的に、弁当は一日一食分作ること。場合によっては二食もあり。弁当配達は、哲郎が会社に行く途中に行うこと。弁当を購入する編集担当者に、これからは、こちらが弁当を準備しますと、事前にお断りを入れること。
「ばれるかどうかは、哲ちゃんの演技次第だよ。頑張ってね。」
「ぼ、僕嘘つくの苦手なんだよなあ。」
「お義母さんに長生きして欲しいんじゃなかったの?」
「そりゃ、勿論。あんな母親だけどさ、たくさん世話かけんだよな。」
葉瑠子が姑のために必死になるのは、本当は、哲郎の悲しむ顔を見たくないからだ。哲郎が大切にしているものは、葉瑠子にとってもまた大事なのである。
「この策でいこう。名付けて、愛嫁弁当配達作戦!」
「よし、乗った!!どこまでも君についてくよ。」
かくして、葉瑠子の弁当作り奮闘の日々は始まったのである。
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