八話

 言われた言葉通り数日後、あたしはアジュさんに持ち出されて、大きな二階建ての家にやって来た。ちらっと見えただけだけど、話に聞いてた通り、他の家とは全然違って存在感のある、いかにもお金持ちな家って感じだ。


 あたしを手に握ったまま、アジュさんは玄関の扉をコンコン叩いた。視界が塞がれてよく見えないけど、しばらく待つと指の隙間から扉が開いたのが見えた。


「やあ、待ってたよ」


 明るい声の男性が出て来た。二十代ぐらいの、まだ若そうなぽっちゃりした人だ。


「どうも。話したものは、これよ」


 そう言ってアジュさんはあたしを男性に差し出す。


「おお、これが、話す小箱か……」


 丁寧な手付きであたしを受け取った男性は、キラキラ輝くような目で見下ろしてくる――物好きっぽい目だな。まあ、ここまで興味持ってくれるのはありがたいけど。


「じゃ、あとはお好きに」


「待ってよ。金をまだ払ってないけど」


「いらないわ。私もそれ、タダで貰ったものだし」


「でもなあ……」


「また悪魔関係のものを買わせてもらう時に、安くしてくれればいいから。だから今回はいらない」


「そうか? 何か、悪いね」


「いいものが手に入ったら、また知らせてね」


 それを最後にアジュさんの足音が遠ざかって行く……あたしに対して少しも後ろ髪引かれずに帰って行ったな。悪魔じゃないとこんなにも興味を失うか……。


「……ふふ、さて、今日から君も、僕のコレクションの一員だ」


 両手で大事そうにあたしを包むと、家に入り、真っすぐ階段を上る。手が邪魔で見えづらいけど、これまであたしが転々としてきたどの家よりも綺麗で明るくて豪華だ。廊下にまで絨毯が敷かれてるのなんて初めて見た。王宮みたいだな。見たことないけど。


「ヤニス様、先ほどフルーツケーキが焼き上がりましたので、お召し上がりになりますか?」


 階段を上った先の廊下で、メイド服の女性が話しかけてきた。そうか。お金持ちならメイドぐらい普通に雇ってるか。


「いや、食後でいいよ。今は忙しい。しばらくは僕を呼ばないでくれ。集中したいんだ」


「かしこまりました。……新しい収集品をまた手に入れられたのですか?」


「ああ。しかもタダでね」


「それはそれは……では、他の者にも、お邪魔をしないよう言っておきます」


「頼むよ」


 メイドさんと話すのももどかしいのか、男性――ヤニスさんは足早に廊下の先へ向かう。突き当たりにあった扉を開けて素早く入ると、鍵をかけてからニコニコ顔であたしを見下ろす。


「本当に、話すのかな……楽しみだ」


 そう呟いてゆっくりソファーへ向かう。そこに腰を下ろすと、目の前の机にあたしを置き、前のめりな姿勢で見つめてきた――お、おお、ここまで興味津々に見られると、何だか照れるな。それにしても、見渡せる範囲だけ見ても広い部屋だ。天井も高いし。こんな場所が一人部屋なんて、大分贅沢な環境じゃない? 絨毯はもちろん、座ってるソファーもふかふかそうだ。これがお金持ちの暮らしってことか……。


 するとヤニスさんは、指先であたしをツンツン突いてきた。


「……勝手にしゃべるわけじゃないのかな……」


 そう言えばさっき、あたしのことを話す小箱って言ってたっけ。この人はそこに興味を引かれて譲り受けたのかな。


「もしもーし、こんにちはー」


 ヤニスさんはあたしの声を引き出そうと話しかけてくる。その姿は純粋無垢な子供みたいだ。返事があるのを信じて疑ってない。まあ現に返事はするんだけど。


「えっと、初めまして……」


 あたしが返事をすると、ヤニスさんは一瞬固まり、そして見る見る笑顔を浮かべた。


「……わあ! 本当に話すんだな! こちらこそ初めまして」


「このたびは、あたしを引き取ってくれて、ありがとうございます」


「え、ああ、いや、どういたしまして……随分、人間っぽいことを言うんだな。君は、誰なんだ? この街の住人だった幽霊とかか?」


「それについては、自分でもわかってなくて……何せ記憶がないもんで」


「記憶が? じゃあ名前も、住んでた場所も?」


「はあ……そもそも、人間かどうかも定かじゃなくて……でもアジュさんによれば、少なくとも悪魔じゃないらしいですけど」


「ほお、だから僕の元へ持って来たわけか」


「ところで、そのアジュさんからあたしについて、どんなふうに聞いてます?」


「どんなふう……? ただ、人間の言葉を話す小箱を持ってるけど、いるかと聞かれただけだよ」


「それだけ?」


「それだけだ。……それがどうしたんだ?」


 悪魔が関係ないと、あの人は本当に面倒くさがりになるんだな。次の持ち主のために、もうちょっと説明とかしといてもいいと思うんだけど……。


「あの、実は、この小箱には封印魔法がかけられてるみたいで、あたし、それのせいでここから出られなくて……」


「ああ、そうだったのか」


 聞いたヤニスさんはさほど驚いた様子もなく、笑顔でいる。


「……あんまり、驚いたり怖がったり、しないんですね」


「別に驚きはしないよ。僕はそういうものを多く集めてるから。封印魔法のかかった物ならコレクションにも山ほどあるよ」


「え? 山ほど……?」


「向こうのコレクション棚にもある。……君には、視覚というものはあるのか?」


「あ、あります。動けないんで、今はあなたのほうしか見えてないけど」


「じゃあ見てみるか?」


 そう言うとヤニスさんはあたしをつかみ、百八十度ぐるっと向きを変えてくれた。その先にあったのは、天井近くまである大きさの、幅広なガラスケースだった。その中にはヤニスさんがコレクションと呼ぶ様々な物が綺麗に並べられてた。


「あの一番左端の奥にある、いびつな石の壺は見えるか? あれには封印魔法がかけられてて、伝わってる話によれば、中には古代王国を滅ぼすきっかけを作ったとされる、時の王の寵姫の魂が封じられてるらしい」


「人の、魂が……?」


「魂を封じた物はよくあるものだよ。あの黒い模様が描かれた木箱には歴史的な大罪人の魂が入ってるし、その二つ隣の、鎖が巻かれた筒の中には一つの村の住人全員を殺したっていう伝説の人食い狼の魂が入ってる。あとは――」


 ヤニスさんはあたしの頭上で次々に指差しながら、それを順番に説明していく。その数、十数個……確かに多い。あたしが封じられてることに驚くわけもないな。しかし、この人はこんなものばっかり集めてるの? あたしが前に幸運の小箱って呼ばれてたぐらい胡散臭いものだらけだな。魂なんて見えないもの、本当に封じられてる? 確かめようがないものだから騙されてない? あの真っ黒なティーポット、見た目は不気味だけど、黒く色塗って蓋が開かないようにすれば、それだけでいわく付きの品物に変えられるし。そうやって簡単に作り出したものも混ざってそうだけど……。


「――で、その手前の青い瓶には船乗りを何百人と海へ引きずり込んだセイレーンの魂が入ってる。僕が今持ってるのは、それぐらいだったかな」


 十分以上はしゃべりっぱなしだったけど、ヤニスさんの声に疲れた様子はちっともなかった。人って好きなことだと、一体どれだけ長く話してられるもんなんだろう。確かめる気なんてさらさらないけど。


「でも、これだけ数があっても、僕と会話できるのなんて、君が初めてのことだよ」


「そ、そうなんですか……あたしも、最初はできなかったんだけど、アジュさんのところでなぜか急に声が伝わるようになって……あ、向き、戻してもらっていいですか?」


 頼むとヤニスさんはあたしをつかんで、くるりと向かい合わせに戻してくれた。


「これでいい?」


「大丈夫です。……それで、お願いがあるんですけど」


「何? まさか、小箱から出してほしいとか?」


 笑顔で言い当てたヤニスさんに、あたしはすぐに言った。


「そ、その通りです! あたしを、ここから出してほしいんです! 出れば自由になれるし、もしかしたら記憶も――」


「それはできないよ」


 笑顔のままヤニスさんは断った。


「な、何で……ああ、封印の解き方がわかんないからってことですか? それだったら知り合いに魔術師とかいません? 魔法に詳しい人に頼んで――」


「そうじゃなくて、封印を解くなんてもったいないこと、できないよ」


「……もったいない、って?」


「僕が集めてるものは、いわく付きのものなんだよ? 封印物の封印を解いたら、その価値がなくなってしまうじゃないか。そんな魅力を削ぐような真似、僕の意に反することだ」


「あの、でも、あたし、困ってて……」


「何を困ることがあるんだ? 君はそのままで十分価値のある存在なんだ。封印を解く必要なんてまったくないよ」


 ヤニスさんはニコニコしながら話してる。……あれ? 何か雲行きが怪しいな。この人、思ってたほど優しくない?


「収集家のあなたは、このままでいいかもしれないけど、封印されて自由を奪われてるこっちは、早いところ解放されたいんです」


「その中にいると苦しかったりするのか?」


「苦しい、ことはないけど、とにかく何もでき――」


「苦痛じゃないならいいじゃないか。外に出れば辛いことだらけなんだ。封印されたままのほうが身のためだ。わざわざ自分で自分の価値を落とすことはない」


「あの! あたしにあなたの価値感を押し付けないでもらえます? 外から見ればあたしはただの小箱の封印物かもしれないけど、でもこっちは意識もあって生きてるんです。苦しくなくても自由が欲しいんです!」


 そう強めに言うと、ヤニスさんは初めて表情を曇らせた。


「そう言われても……僕は君をコレクションに入れるために貰ったんだ。封印を解いたら手に入れた意味がなくなってしまうじゃないか」


「じゃあコレクションにするのを諦めてください」


「それは無理だ。会話のできる封印物なんて、こんな希少で珍しいもの、手放せるわけないよ。収集家仲間に見せたら、絶対に驚くこと間違いなしの一品だ」


「あたしは人を驚かせるために封印されてるんじゃない! ましてガラスケースに並べられるためでもない! とにかく封印を解いてよ。解いてくれたらちゃんとお礼もするから」


「悪いけど、封印は解かないよ。君はそのままでいいんだ。もっと自信持って」


「ちゃんと聞いてた? 誰が自信云々なんてこと言った? こっちはただ自由になりたいの。自分が何なのか知りたいのよ。あなただって、あたしの正体、知りたくない? 得体の知れないままじゃ怖いでしょ?」


「別に怖くはないよ。恐ろしい言い伝えのものはいくつも持ってるから。逆にそういう、人が避けるものじゃないと収集意欲が湧かないしね。だから君はもう大事なコレクションの一つだよ。僕がそう決めたんだ。諦めてくれ」


 くうぅ……この人、手ごわい。さすがにこれだけの数集めただけはある。興味を持った物への執着心はかなり強そう。収集家、恐るべし……。


「さて、それじゃあ君の場所を決めてあげよう」


 あたしをつかむとヤニスさんはソファーから立ち上がって、さっき見たガラスケースのほうへ歩き出した。……あたしをあの中へ並べる気?


「ねえ待ってよ! 並べる前に、魔術師にあたしの正体探らせたほうがよくない? やばいやつだったらあなたに迷惑かけるかもしれないしさ」


「本当にやばいやつなら、アジュのところで問題を起こしてるはずだ。でもそんな話はなかったし、封印もされてるから、多分大丈夫だよ」


「そ、そんなの、調べるまでわかんないじゃない!」


「そんなに自分自身が怖いのか? 話してる分には危険な存在とは感じないけど……どうしても心配なら、魔術師に封印をもう一度かけ直してもらってもいいけど」


 しまった。藪蛇だった……。


「……手間になりそうだから、やっぱりいいです」


 そう言って口をつぐんでる間に、ヤニスさんはガラスケースの上部をパカッと開けて、並んでる品々をあれこれ並べ替えて、一番手前に小さな空間を作った。


「よし、ここが君の場所だ」


 あたしをケースに入れ、その空間にそっと置かれた。上の蓋を閉めて密封すると、ヤニスさんは少し距離を取ってこっちを眺める。


「……うん、いいねえ。左右の並びと合ってて綺麗だ」


 入れられる時に見えた左右に置かれてたものは、雑な木彫りの馬と、錆びた金属製の小ぶりな鐘だ。その間に小箱のあたし――何がどう合ってるのか、この人の感覚はよくわかんない。


「ねえ、あたし、ずっとここにいなきゃいけないの?」


 ガラス越しに聞くと声は届くようで、ヤニスさんは答えた。


「何か変化がないと嫌か? それなら定期的に場所を変えるよ。そうすれば飽きないだろう」


 いや、景色に飽きるとか、そういう意味で聞いたんじゃないんだけど……。


 ヤニスさんはソファーに戻ると、そこから再びこっちを眺める。


「一つ増えただけでも、全体が新鮮に見えるな……飽きない眺めだ」


 感心したような表情でヤニスさんは呟き、言った通り見飽きないのか、ソファーにふんぞり返った姿勢でにやつきながら、じっと黙ってこっちを見続けてた――あたし、観賞されてる? このままずっと見られ続けるだけ? そんなの冗談じゃない。


「……ねえ、こっちに来て、ちょっと話しません? あたしなんか眺めててもつまんないでしょ?」


「いいや。つまらなくなんてない。心が満たされるよ」


「またまたあ。こんな小箱を見て、どう心が満たされるって――」


「少し静かにしててくれないかな。僕はコレクションの品一つ一つに想いを馳せながら、こうして静かに眺めてる時間こそが有意義で幸せなんだ。それを邪魔しないでもらいたい」


「邪魔って……あたしの気持ちは無視するの? こんなケースに入れられて動けないんだから、しゃべって伝えるしかないじゃない!」


 するとヤニスさんは鋭い視線で見てきた。


「聞こえなかったのか? うるさくしないでくれ。僕の至福の時間が台無しになるだろう」


「そんなの知らないし。こっちは勝手に持って来られて、変な物と一緒に並べられて、観賞されて、嫌になるぐらい困ってるの。だから封印解いて助けてほしいって言ってるだけ!」


「封印を解くつもりはない。さっきも言っただろう。君は君のままでいいんだ」


「君のままって、それは小箱に入ってろっていうそっちが望んでる形でしょ? あたしはここから自由になりたいの! あなたの都合なんか関係ない」


「君は僕が貰って、僕の所有物になったんだ。それをどうするかは僕の勝手だ」


「だったら、あたしはそれより前からこの小箱にいるから、所有者って言えるわ。所有者のあたしに無断で小箱を渡したり貰ったり……こっちは何の許可もしてないんだから、あなたは正当な所有者じゃないわ!」


 うっ、とヤニスさんは顔をしかめた。


「……い、いや、君は封印物であって、実体のない存在だ。見えないものが所有者だと主張したところで、それは認められない」


「あたしはちゃんと意思があるし、こうしてしゃべってる。小箱の所有者だって主張してるんだから、普通に認められることでしょ」


「身元不明なままで所有者など主張できない。そう言い張りたいなら、まずは君の身元を明らかにすることだ」


「なら魔術師に封印を解かせてよ!」


 ヤニスさんは口角を引き上げて言った。


「君は貴重なコレクションなんだ。それは絶対にできないよ」


 このヤロー……あたしだけじゃ何もできないってわかってて……。


「こんなの横暴だ! あたしに自由を返せ!」


「静かにするんだ。文句があるなら君を封じた者に言うんだね」


「言いたくても記憶がないんだから、代わりにあなたに言うしかないでしょ! 封印解いてよ! 早く! あたしは観賞されながら一生を過ごしたくない!」


「叫ぶな。黙ってくれ。……はあ、まったく、これじゃあゆっくり見ることもできないな」


 あたしがわめき続けてると、辟易したのかヤニスさんは肩をすくめて呆れた表情を浮かべ、背を向けて部屋を出て行った。……しまった。追い出しちゃった。話して説得するつもりが、いつの間にか感情的に怒鳴り過ぎたか。でも話さなきゃ何にも変わんないだろうし……あたしは諦めないぞ。封印を解くって言ってくれるまで話しかけるんだから。コレクションの一員にされるなんて、絶対にごめんだ。


 その後もあたしはヤニスさんが部屋にやって来るたびに、ガラスケース越しに話しかけ続けた。封印を解いてとお願いしても、ヤニスさんは聞く耳を持ってくれず、それでもしつこく言い続けてたら、部屋に来る回数が目に見えて減ってきた。ひどい日は扉を開けて顔をのぞかせたから、あたしがすぐに声をかけると、嫌な顔をして扉を閉められた。至福の時間を過ごすより、あたしに絡まれることのほうがよっぽど嫌になったらしい。だからって黙って静かに並んでるわけにもいかない。あたしはしゃべることしかできないんだし、これ以外に状況を変える方法なんてないんだ。


 嫌がられてからヤニスさんはめっきり部屋に来なくなったけど、あたしは真っ暗な無人の部屋でも、外へ向けてしゃべり続けた。部屋には入って来なくても、廊下を歩いてるヤニスさんには届いてると信じて、朝、昼、晩と声を上げ続けた。人間の身体がないせいか、疲れたり声がかれることはなく、あたしは休まず訴えた。封印を解いて。ここから出して。自由にさせろ……あたしの思いを声に乗せて、見えないヤニスさんへ送り続けた。何日も何日も……。


 そしてある日、同じように声を上げてたら、部屋の扉が久しぶりに開けられた。


「……あっ、やっと来てくれ――」


 嬉しさと安堵で声をかけたら、ヤニスさんは後ろ手で扉を閉めながら、口元に人差し指を立ててシーっとやった。


「静かに。頼むから静かにしてくれ」


 声は少し怒った感じだけど、こっちを見る表情は眉根を寄せて、どこか困ったような、悩むような様子だった。


「君はいつまで声を出し続ける気なんだ?」


「あなたが話を聞いてくれないからでしょ? ちゃんとあたしと話をしてくれれば――」


「君のせいで、いろいろ誤解されるんだよ」


「……誤解? 何のこと?」


 ヤニスさんは大きな溜息を吐いてから、ドカドカとこっちに近付いて来た。


「君が四六時中、大声を出し続けるから、メイド達が不気味がってるんだよ」


 ああ……ヤニスさんのことしか考えてなかったけど、ここにはメイドさんもいるんだった。その人達からしたら、確かに、無人の部屋から声が聞こえるのは不気味かも。


「コレクションの声だから大丈夫って安心させれば?」


「一応説明はしてるけど、そもそも声が聞こえること自体を怖がってるんだ。最近来た新人なんかは、僕が部屋に誰かを監禁してると思ってたらしいし」


「間違ってないじゃない。あたし、監禁されてるようなもんでしょ?」


「監禁じゃなく、コレクションしてるだけだ! ……誤解はそれだけじゃない。仕事での来客で一階の応接間に招いた時に、上からかすかに君の声が聞こえてきて気まずくなったよ。真面目な話をしてて、いきなり趣味の話をするのもはばかられたから、そのまま聞こえないふりを通して帰ってもらったが、案の定、数日後には職場で僕の変な噂が立ってたよ。あいつはやばいとか、近付かないほうがいいとか……明らかに君の声のせいだ」


「何? あたしが悪いっていうの? だったらそっちだってひどい対応してるじゃない。嫌な顔して無視してさ。こんなところに閉じ込めておいて、自分だけ被害者面?」


「閉じ込めてるんじゃない。コレクションだって言っただろう!」


「こっちはそんなこと望んでないの! 封印を解いてって、何度言ったらやってくれるのよ!」


「封印についてはもう答えは出てる。いくら言われても解くつもりはないよ」


「ああそう! じゃあこれからも一人で、大声で叫ばせてもらうから。あなたがお願いを聞いてくれるまでね!」


「っ……やっぱり諦める気はないか……仕方がない」


 ヤニスさんは、やれやれといったふうに一旦部屋を出て行くと、またすぐに戻って来たけど、その手には折り畳まれた白い布があった。


「……な、何? 何するの?」


 あたしの質問には答えずに、ガラスケースの蓋を開けたヤニスさんは、手を突っ込んであたしを鷲づかみに持ち上げた。


「どこへ、持って行く気? ま、まさか、うるさいからって、捨てるの……?」


「捨てないよ。君は大事なコレクションなんだから」


 そう言いながらヤニスさんは机に白い布を広げて、その上にあたしを乗せた。


「捨てなきゃ、ど、どうする気よ」


「君にはしばらく、静かにしててもらう」


 すると、あたしを包むように白い布がかけられて、視界はあっという間に黒一色になった。……静かにしててもらうって、こういうこと?


「こんなことされたって、あたしは諦めないし、もうあたしが見えなくなるなら、コレクションにしておく必要もないと思うけど?」


「君はおしゃべり過ぎるけど、珍しい品には違いないからね。手放すつもりはないよ。だから君をゆっくり眺められるように、君専用の防音ケースを作ることにする」


「……はあ? 防音?」


「君と話したくなったらケースから出せばいいし、ただ眺めたいならケース越しに見ればいい。それで問題解決だ」


「な、何言ってんのよ! こっちの問題は何も解決して――」


「特注品になるから、まずは作ってくれる業者を探して、出来上がるまで一、二週間……質にこだわったらもっとかかるかもな。となると、完成して運び込まれるまで一ヶ月以上はかかりそうか」


 ヤニスさんは頭の中で勝手に計画してる――あたしを黙らせるために防音ケースを作るなんて……そんなものができたら最後、中に入れられたら、あたしは一生そこから出られなくなる! 観賞されるだけの存在になるなんて、地獄だ。それこそ生き地獄だ。自由への望みなんか消えてなくなっちゃう。……ところで、何か歩いてるような音がさっきからするけど、ヤニスさん、移動してる?


「……あたし、真っ暗で何も見えないんだけど、どっかに向かってる?」


「ああ、もう着いたよ」


 さっきまでとヤニスさんの声の聞こえ方が違うように感じる。音が広がってるっていうか、さえぎるものがなくなってるっていうか……。


「家の中でもいいんだけど、布で包んでも君の大声は聞こえちゃうから、それだと困るんだよね。だから悪いけど、防音ケースが来るまで、庭で静かにしててくれ」


「庭? 庭ってどういう――」


 その時、すぐ側からザク、ザク、と土を掘るような音が聞こえてきた――え? もしかして、庭で静かにしててって――


「……あたしを、埋める気?」


「ここなら声は届かないし、土が音をさえぎって騒音にもならない」


「生き埋めにするの? ひど過ぎるでしょ! 大事なコレクションとか言っといて、こんな扱いをするわけ?」


「僕だって本当はこんなことしたくはないよ。でも防音ケースが来るまでの辛抱だから」


「外に埋めて、誰かに盗まれてもいいの?」


「大丈夫だよ。深めの穴に、布で包んでもいるから、君の声は耳を澄まさないとほとんど聞こえないはずだ。誰も気付きはしない」


「一ヶ月以上も真っ暗な地面の下で過ごせって言うの? そんなの耐えられない!」


「こっちだって君の止まらない声に耐えられないんだ。黙ってさえくれれば、僕も埋めたりなんかしないよ。でもそうはしないだろう?」


 そうはしないだろうなあ……って自分でも思ったから、何も返せなかった。


「しばらくの間だけだ。ずっとここにいるわけじゃない。忘れず掘り出してあげるから」


 絶対に忘れず掘り出して! って念を押そうとしたけど、掘り出されたその後はケースに入れられて永遠に出られないんだって思ったら、そう言うのも変な気がして、結局言うべき言葉が見つかんないまま、あたしは穴に埋められた。頭上にバサバサと土をかけられる音がして、一切の光が入り込まない地中に閉じ込められた。周りの音も、もちろんヤニスさんの声も聞こえない、静寂の闇の世界にあたしは置かれた。それでもたまに地面を伝って何かの振動音はしたけど、ただそれだけだ。存在に気付いてもらえるわけもない。


 ……困ったな。この状況もそうだけど、掘り出された後も困る状況は続くんだ。っていうことは、ヤニスさんに掘り出される前に、別の誰かに掘り出してもらったほうがよさそうだけど……地中の声に一体誰が気付いてくれるだろうか。仮に気付いてくれる人がいたとしても、しゃべってるのが小箱だと知ったら、多分気味悪がって持って行こうとは思わないだろうな。あたしだって不気味に感じるし。でもこのまま時間が過ぎるのを待ってたら、行き着くのは防音ケースに入れられたコレクションの一品……封印は解いてもらえない。絶望だ。それを回避するにはやっぱり誰かに気付いてもらって、ここから掘り出してもらうしか方法はなさそうだけど……。


「誰かー、いますかー……」


 闇の中に向かって声をかけてみるけど、このこもった声が地上にどのぐらい聞こえてるのか、わかりようもない。でもわかんなくても、今はこうするしか……絶望を避けるために、わずかな可能性に賭けるしかないんだ――あたしは休まず、できるだけ大きな声を出し続けた。偶然側を通った人の耳に引っ掛かってくれるようにと、心で願いながら叫び続けた。でも数時間経っても、物音一つせず、闇の世界に光が差すこともなく、あたしは早々に心が折れかかってた。こんなことを毎日、一ヶ月以上もするのかと思うと正直嫌気が差した。自分のためだってわかってても、毎日助けてとか、ここにいますとか叫ぶのは気が滅入ってきそうだ。


「……別に、声が聞こえればいいから、言葉じゃなくてもいいのか」


 そんなことをふと思いついた。気が滅入らないように、たとえば歌とか歌ってみてもいいのかも――そう考えて気付く。あたし、何にも歌を知らない。いや、知ってたんだろうけど、記憶がないせいで何にも憶えてないんだろう。はあ……しょうがないな。適当な鼻歌でも歌ってみるか……。


 歌いながら、あたしは妙な感覚を覚えた。歌……前にもこうして誰かと一緒に歌を歌ってた気がする。そしてその歌をあたしは大好きだったような……あれ? 何だろうこれ。何にも思い出せないのに、感覚だけが湧き上がって来る。昔に歌を歌ってたのは……あたし? なのかな……何にも見えない。記憶も闇だらけだ。だけどこの感覚は確実に記憶と関係ある。鼻歌を歌ってれば、そのうち何かしらの記憶がよみがえったりするかも――それからあたしは毎日大きめな鼻歌を歌い続けた。正直すぐ飽きたけど、声を出さなきゃ終わりだ。だから面倒でも、気分が乗らなくても、自作の鼻歌を適当に歌い続けた。


 そうしてどれだけの時間、日数が経ったのかわかんないけど、それは突然聞こえてきた。


「フンフフン、フンフーン……ん?」


 いつも通り鼻歌を歌ってたら、上のほうからゴリゴリと変な音が聞こえた。まさか、ヤニスさんが掘り出そうとしてるの? ってことはもう一ヶ月が過ぎちゃったの? ここじゃ時間の感覚なんてないけど、にしては早いような気もした。でも生き埋めにされてる自分の感覚なんて当てにならない。きっと一ヶ月が経ったんだろう――そう思ってあたしは心の準備を始め、徐々に大きくなる音を大人しく聞いてた。だけどよく聞いてると、妙な感じがあった。ヤニスさんがこの穴を掘ってた時の、ザク、ザクっていうあのリズムじゃなくて、ゴリゴリ、ガツガツっていう、何か慌てるような急いでるような、本当にヤニスさん? って疑いたくなる音だった。掘ってる時とはまるで違う音……別人? もしかして、あたしの鼻歌を聞いた通りすがりの誰かが、気になって掘ってくれてるの……? こ、これは、希望を持っていいのか? 防音ケースという生き地獄を回避できるって期待してもいいのか?


 やがて土を掘る音がすぐ頭上まで迫って来た。もうあたしが見えるんじゃないだろうか。見知らぬ誰かか、それともヤニスさんなのか……ハラハラドキドキしながら、あたしは持ち上げられる瞬間を待った。でも次に聞こえたのは、もっと妙な音だった。


 フガフガ、フンフン――まるで至近距離で鼻息を浴びせられてるかのような、そんな不快な音がする。一体、これって何の音? あたしが謎の物体だからって、ここまで臭いを嗅いで確認する人なんていないだろうし――誰なのか考えてるうちに、真っ暗な視界が動いたような気がして、その直後、布越しにわずかな光を感じたと思ったら一気に視界が開けて、あたしは地面に逆さまに転がされてた。……植木と、その隙間に青空が見える。久しぶりに見る地上の景色だ。でも何で逆さま? あたしを取り落としたの?


「ちょっと、誰か……」


 あたしは姿の見えない誰かを呼んだ。すると視界の右からトタトタと誰かが現れた。それは土に汚れた白い布をくわえて、茶色い身体をウロウロさせながら、耳の垂れた顔をこっちに向けてくる――犬だ。薄汚くて首輪もしてないから、多分野良犬だ。なるほど。あたしを掘り出したのはこの犬だったのか。変な音の正体も、爪で掘ってた音と、本当に鼻息だったってわけか。人間じゃなくて犬……その可能性は全然考えてなかったな。


 だけどここからどうしたもんか。地上に戻れたはいいけど、このまま逆さまに置かれっぱなしじゃ、そのうちヤニスさんに見つかってまた埋め戻されちゃう。その前に助けてくれる人を探さないと……って、今見えてるのはヤニスさん家の庭のほうなんだよね。道は多分あたしの後ろ側にあると思うんだけど、どうしよう。ここで大声上げたらヤニスさんにも聞こえちゃうし、だからって黙ってたら通り過ぎる人を呼び止めらんないし……。


「……ねえ、そこのワンちゃん、どっかで歩いてる人、呼んで来てくれない?」


 目の前で布をかじって遊ぶ野良犬に話しかけると、足を止め、首をかしげてこっちを見た。……言葉の通じない犬に言ったってしょうがないけど、でもどうしたらいいのかわかんないし――


 すると犬はかじってた布を落とすと、急にあたしに興味を持ったのか、こっちに近付いて来て黒い鼻先であたしを小突き始めた。


「や、やめてよ。あたしは遊び相手にはなれないってば」


 そんなこと言っても通じるわけもなく、犬は逆さまのあたしを散々小突き回した挙句、フンフン臭いを嗅ぐと、牙の生えた口を開けてガブっと噛み付いてきた。なっ、何すんのよ犬! あたしに喧嘩売ってんの? 視界があんたの喉の奥しか見えなくなっちゃったんだけど? あんな狭いところ、あたし通らないと思うけど?


 そのうち飽きて離してくれるかと思って黙ってたけど、犬はなかなか離さない。それどころか、何か、歩いてない? 周りの音がさっきよりも増えて、騒がしくなってるんだけど。あちこちから人の声もする。ガヤガヤ、ザワザワ、喧騒に取り囲まれてる……街の大通りにでも来たの? あーもう、犬の口の中しか見えないから何にもわかんないじゃない。いい加減離してくれないかな……。


 その時、ガラガラと大きな音を響かせる何かがこっちへ近付いて来た。これは、荷車とか馬車の音かな――そう思った直後、ガタンと一際大きな音がして、それに驚いたのか、犬は口からあたしを落とした。視界が回転しながら地面に着地し、ようやく周りの様子を見ることができた。人通りが多いな。ここは……多分、商店もある通りの一画だろう。買い物かごを提げた人がたくさんいる。他にも軒先で話し込んでる人や、親子らしき姿の人も。


「ああ、ちくしょう。また落ちやがった。そこのでけぇ石、何とかしてくんねえかな」


 視界の外、すぐ左側から男性の苛立った声がすると、その人と思われる足が見えて、地面に落ちた何かを拾うのが見えた。さっきの音は、車輪が石に当たった音だったのかな。


「ん? 何だ犬っころ、てめえに食わせるもんなんてねえぞ。あっち行け。シッシッ」


 男性に追い払われたのか、犬はあたしの視界を一度横切ると、そのままどこかへ行ってしまった。


「はあ、まったく、面倒な手間だぜ」


 愚痴った男性の声は、ガラガラ音と共に遠ざかって行く。荷車が消えて、辺りにはまた喧騒が響く――あれ? もしかしてあたし、取り残された? 人気のあるところまで運ばれたはいいけど、道端って……ゴミに間違えられそうだな。


「……あの、誰か。この声が聞こえる人!」


 大勢が行き交う道の隅で、あたしはとりあえず声を上げた。怖がられても、気味悪がられても、まずは気付いてもらわなきゃ何も進まないんだ。できるだけ声を張り続けたけど、喧騒に紛れるのか、意外に誰も気付いてくれない。聞こえてるっぽい人はもちろんいたけど、まさか転がってる小箱の声とは思わないのか、きょろきょろ首を動かすだけで、そのまま通り過ぎて行く。だからそこのお嬢さんとか、かっこいいお兄さんとか、ちょっと足を止めてくれそうな言葉もかけてみたけど、やっぱり素通りして行く……見た目が小箱じゃなあ。物体じゃなあ……しゃべるものとしての認識がないのは、圧倒的に不利だよね……。だけど声を上げなきゃあたしはただの道端のゴミになり果てる。暗い穴から奇跡的に出られたっていうのに、そんな終わり方は嫌だ。必ず気付いてもらって、あたしを手に取ってもらう……封印とか助けを求めるのは後回しだ。とにかく声を出せ。じゃないと希望がなくなる!


「あたしはここです! 誰か、ここに――」


 何百回と声を出し続けてたその時だった。突然視界がふわりと浮き上がって、あたしは誰かに取り上げられた――来た! やっと気付いてくれた人が!


「……今、しゃべってたよね? こんにちは……」


 幼い、可愛らしい声だ。前に見た三人家族の娘さんを思い出すな。


「蓋、開かない……中に誰かいるの?」


 少女はあたしを上下左右に回しながら声の正体を捜そうとする。そうして見えた顔は、声の印象通りの、五、六歳ぐらいのまだ幼い、細面の少女だった。


「気付いてくれてありがとう! ずっと待ってたの!」


 あたしが話しかけると、少女は一瞬驚いた目をしたけど、すぐに微笑みを浮かべた。


「わあ……箱の中にいるの?」


「自分でもわかんないんだけどね。ここから出られなくて」


「閉じ込められちゃったの? 可哀想……」


「出るには魔術師の力が要るみたいで……そんな知り合い、いないよね?」


「マジュツシって……?」


 小さい子じゃ、まだわかんないか。


「じゃあさ、大人の人に……お母さんとかお父さんに聞いてみてくれないかな?」


 これに少女は少し眉をひそめた。


「えぇ……うん、いいけど……」


「よかった! それじゃ家に連れて――」


「あなたって、妖精さんなの?」


「……はい?」


「こんなちっちゃい箱の中に入れるのって、妖精さんでしょ?」


「あ、うーん、どうなんだろうね。自分でもわかってなくて……」


「え、違うの?」


 少女の純真無垢な瞳が、悲しそうにこっちを見つめてくる――だ、駄目だ。この娘を泣かせちゃいけない。期待を裏切るような真似はできない……。


「えっと、そう、妖精だったわ、あたし。忘れてた」


「やっぱりそうなんだ! 妖精さんと話すの、初めて!」


 花が咲いたように少女はパッと笑顔になった。がっかりさせずに済んだか。


「じゃあ箱から出られるように助けてあげるね」


「あなた一人じゃ多分無理だと思うから、とりあえずお家に連れてってくれる?」


「わかった。でも、お家では静かにしててね」


 何で静かに? って聞き返す前に、少女はあたしを胸に抱えて走り出してた。まあ、騒ぐつもりもないし、聞くこともないかと、そのまま黙って少女に運ばれることにした。

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