六話

 何か、汚かったり薄暗かったり、最近はずっとそんなところばっかだ――ペトルさんに持って来られた場所は、大きな建物の広い部屋だけど、とにかく薄暗い。燭台のろうそくに火は灯ってるけど、青かったり紫だったり変な色ばっかりで、多分それが原因だと思う。そんな照明の中にいくつも丸いテーブルがあって、椅子に座った人達がヒソヒソと何やら話し込んでる景色があった。この怪しげな雰囲気漂う場所はどこなんだろう。飲み食いしてる様子はないから料理店じゃなさそうだ。それにしても帽子やマント、ローブを着てる人が多い。彼らは旅人か? ってことは宿屋? でも荷物持った人は少ないな。あたしは一体どこに来たんだ……?


 ペトルさんは右手にあたしを持ちながら、広い部屋の中をうろうろしてた。その様子は誰かを捜してるふうに思えた。と、その時、ペトルさんの動きが目標を定めたかのように、一直線に向かい始めた。その先、あたしの視界の奥には、紺色の重そうなローブを着た老人の男性が立ってた。


「ザハリア」


 ペトルさんが声をかけると、老人男性は読んでた本から目を上げてこっちを向いた。


「……ん? おお、ペトル・スタンク、君か」


 穏やかな声で返すと、その顔が微笑む。ザハリアさん……この人が捜してた人らしい。


「身体のほうはどうです?」


「以前の病を気にしてくれているのか? だったら問題ないよ。すっかり治って元気だ。あれ以来、健康にも気を遣うようになったからな」


「それならよかった。最近顔を見てなかったから、寝込んでたりしてたらどうしようかと思ってましたよ」


「そういう年齢ではあるが、体力にはまだ自信はある。先月も、古い魔導書を探しに隣国まで遠出していた」


「相変わらず活動的ですね」


「残された時間は少ないんだ。やりたいことはやっておくべきだ。……ペトル、君のほうはどうなんだ? 魔法薬の店は上手く行っているのか?」


「それが、開店休業状態で……。客が来ない日なんてざらですよ」


 ……ペトルさんのあの家って、店だったんだ。お客さんなんて見たことないから、全然気付かなかった。何ヶ月も誰も来ないって、商売としてまず過ぎるでしょ。


「まあ、開店してまだ間もないのだろう? 地道に売り込んだり、知名度を上げれば、いずれ客も増えてくる。君の魔法薬作りの腕はいいんだ。自信を持つんだぞ」


「ええ。どうにかして頑張ってみますよ」


 この二人はどういう関係なんだろう。魔術師の師弟関係とかかな。


「それで、今日はわしに用か? それとも魔術師ギルドに用か?」


 魔術師ギルド……なるほど。じゃあここにいる人達は皆、魔術師なのか。それで青や紫の明かり……あれ全部魔法なのか。


「ここに来ればあなたがいるかもと思って。……これ、見てもらえます?」


 そう言ってペトルさんはあたしを差し出した。


「……箱だな。どういうものだ?」


 あたしをつかんだザハリアさんは、怪訝な目でこっちを見てくる。


「封印魔法が施されてるのはわかりますか?」


「ふむ……魔力が絡み付いているな。確かにそのようだ。君の魔法か?」


「いや、俺はまったくの無関係ですよ。友人が手に入れたもので、元から封印がかかってたようです」


「ほお。一体何を封印しているんだ?」


「実は、それがわからなくて……ザハリア、あなたならわからないですか?」


 ザハリアさんは両手でつかんだあたしを真剣な目付きで見てくる。


「……この封印魔法では、封印物を透視することは困難だ」


「やっぱりそうですよね……あなたでも無理?」


「正体を知るには解呪するしかない。だが解呪自体は簡単にできるだろう。やるか?」


「そうしたいのはやまやまですが……危険じゃないですか? 正体がわからないっていうのは」


「それはそうだが……では君の用というのは何なんだ?」


「友人に、その箱の処分を頼まれたんですが、どう処分したものかと悩んでて……それであなたに相談しに来たわけです」


「解呪ではなく、処分か……つまり、封印物には興味はないのか」


「ないわけじゃないですよ。知れるものなら知りたいですが、そのために解くのも危険だと思って……封印物は大体そういうものが多いから」


「万が一危険な封印物だったら、雑な処分はできないと……そういうことか?」


「ええ。あなたの意見を聞かせてほしい。思い切って解呪するべきか、それとも中身など無視して処分してしまうか、どうしたらいいでしょう……?」


 ペトルさんの悩みに、ザハリアさんはうーんと唸って考え込む――気楽に考えていいんじゃない? あたしは悪いことなんてしないよ? 自由になりたいだけだから。記憶はないけど、極悪人とか、悪い怪物とかじゃないと思うんだよね。まあ、全部あたしの願望でしかないけど。


「……もう少し話を聞かせてほしい。君の友人は、これをどこで手に入れたと言っていた?」


「具体的な場所は聞いてないが、どこかから買ったようです。呪物らしくて、幸運の小箱と呼ばれ、持つ者にご利益を与えるんだとか」


「実際はどうなんだ?」


「長いこと預かってましたが、そういうことは特に。かと言って悪いことも起きてないですが」


 お客さんが来ないのは悪いことに入ってない? ってことは、開店してからずっと閑古鳥が鳴いてるんだろうか……ペトルさん、商売に向いてないんじゃないの?


「何も変わらず、そこにあるだけか……。呪物というのはおそらくデマだろうな。そう呼ばれる物は、押し並べて強いエネルギーを発しているが、これにはそこまでのものは感じられない」


「ザハリア、あなたはこれの正体が何だと見てます?」


 聞かれたザハリアさんは顎を撫でながら考える。


「ふーむ……感じるエネルギーと、封印された箱の大きさから予想するに、それほど魔力のない存在ではなかろうかと思う」


「生命体でしょうか? それとも物体?」


「わからんな……だが、魔力を感じないからと安心して解呪して、ひどい目に遭ったという話もある」


「何です? それ」


「昔の魔術師の話だ。太古の王国の遺物探しをしていた魔術師が、封印魔法の施されたチェストを見つけてな。大した魔力を感じなかったから、すぐに解呪して開いてしまった。その途端、中から巨大な悪魔が飛び出し、その魔術師を狂わせて殺したという。つまり、知能を持つ悪魔などは、自分の魔力やエネルギーを他者に誤認させる術を持っている場合があるってことだ」


「へえ、感じた魔力を鵜呑みにするなっていう教訓ですね」


「まあな。さすがにこの小さな箱に巨大な悪魔は封じられていないだろうが、知能の劣る小悪魔ぐらいなら可能性はあるだろう」


 ……悪魔って、あたしが? 魔力を隠すとか偽るとか、そんな器用なことできないから。そもそも自分に魔力があるのかも知らないし。危険だと思うのはまだ早いって。


「詳しい入手経路がわかればよかったんだが、君はそこまで探る気はあるか?」


「いえ、俺はただ処分できればいいので。正体は気にはなりますが、どうしても知りたいほどじゃありませんから」


「そうか。では、中身を無視して処分してしまうのがいいだろう」


 ……は? ま、待って! それだけは待って――


「どういう方法なら安全ですか?」


「封印物が邪悪な存在である可能性も考慮すれば、周囲の安全を確保した上で高温の聖火で燃やし尽くすのが最善だろうな。それなら金属製の箱も溶かすことができる」


「なるほど。いい方法ですね」


 何がなるほどよ! あたしは何も悪いことしてないでしょ! 邪悪でもない! いつあんた達に迷惑かけたっていうのさ! 燃やされたら取り返しつかないんだから、その前に中身確認する努力してよ! 今、明らかに間違った選択してるって気付いてないでしょ! 人殺しよ? 命奪おうとしてるんだよ? 誰か! この人達、倫理に反することしようとしてます!


 ザハリアさんはあたしをペトルさんに返しながら言う。


「一人でできそうか?」


「ええ。簡単な方法だから多分。けれど、場所はどこがいいでしょうか。安全を確保するなら、なるべく広いほうがよさそうですが……」


「ならばわしが用意してやろう。街の外れに一箇所、心当たりがある」


「それは助かります。この後の予定は?」


「大丈夫だ。今から行っても構わない」


 ザハリアさんは笑顔で承諾した――もう文句も言わないし、わがままも言わない。だからこれだけ聞いて。一旦立ち止まって考え直そう? 本当にこれが正しい行いなのかって。もっといい方法があるんじゃない? 中身の存在に対して労わる気持ちを見せたっていいんだよ? ……この無能魔術師が! あたしを燃やしたら絶対に許さないから! 死んだ後にあんた達に取り憑いて、寝てる間にその首、ギチギチに締め上げてやる! 覚悟してなさ――


「あの、ちょっといい?」


 突然女性の声がして、あたしは溢れ出る罵詈雑言を一旦止めた。ふと見れば、視界の左端に長い黒髪で細身の女性が立ってた。髪色と同じ黒尽くめの格好からして、この人も魔術師っぽいな。


「……ん? 何かな?」


 ザハリアさんが聞くと、女性は伏し目がちに口を開く。


「通り過ぎようとしたら、たまたま聞こえたんだけど……それ、中に悪魔が入ってるの?」


 あたしを指差しながら女性が聞く。


「いやいや、悪魔の可能性もあると言っていただけで、封印物はわからないんだ」


「封印、解かないの?」


「経緯の判明しているものならいいが、これは不明でな。だから安易に解呪するのは危険が伴う」


「解かないままにするの?」


「ああ。このまま処分する」


「……もったいない」


 呟き声と共に、女性はザハリアさんを上目遣いに見た。


「いらないなら、私にくれない?」


 少し驚いたザハリアさんの顔がペトルさんのほうを向いて、また女性に戻る。


「……これが、欲しいのか?」


「そう。だって封印解いたら悪魔かもしれないじゃない」


「君は、封印物が悪魔であることを望んでいるのか?」


「悪い?」


「いや……しかし、危険なものを望むとは、どういう……」


「私、悪魔の研究、調査を趣味にしてるの。その界隈じゃ成果も上げてるのよ? ちなみに仕事は悪魔退治」


 女性は闇のような真っ黒な瞳で薄気味悪い笑みを浮かべた――この人、綺麗ではあるんだけど、どの表情も得体の知れない不気味さを感じるのはあたしだけ……?


 戸惑う様子のザハリアさんはペトルさんに聞く。


「……箱は君が持って来たものだ。どうする? 彼女にやるか?」


「ま、まあ、どうせ処分するものだし、欲しいのなら構わないですが……」


「くれるの? ありがと」


 薄笑いの女性はペトルさんに手を出して催促する。


「悪魔じゃないかもしれないが、期待外れのものだったとしても、返して来たりはしないでくれよ」


 そう言いながらペトルさんはあたしを女性の手に渡した。


「わかってるわ。……鬼が出るか蛇が出るか。ふふっ……楽しみ」


 あたしを顔に近付けた女性は、三日月のように口を歪ませて笑った――あんまり、近付きたくない人だな。あたし、この人苦手かもしれない……。でも封印を解く根性はあるみたいだから、不気味だけど、彼女に望みを託してみるしかなさそう……にしても、処分を回避したとは言え、もうちょっとまともな人と出会いたかったな。でもわがままは言うまい。これで自由が取り戻せるなら、あたしはいくらだって我慢する……!

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