五話

「ペトル、久しぶり」


「ああ、本当に久しぶりだな。家にわざわざ来るなんて……何か急用か?」


「まあ、そうとも言えなくもないけど……」


「とりあえず入れ。中で聞こう」


 ポケット越しに泥棒と男性の会話が聞こえると、家に入る気配と物音がする。雰囲気からして親しそうな相手だ。この人が〝あいつ〟かな。


「急用ってことは、また盗み働きでしくじったか?」


「今回は違うよ」


「じゃあ、俺の作った魔法薬を買いに来たのか?」


「それは、必要になったら買いに来るよ。でも今日は別の用だ」


「買い物でも尻拭いでもなければ、何だ」


「見てもらいたいものがあって……」


 ポケットに入ってきた手があたしを上からつかんで持ち上げた。


「これ……」


 薄暗い部屋の景色。木の柱にかけられたランプの明かりが照らす机の上にあたしは置かれた。


「小さい、箱か?」


「ああ。……ペトルは、これに何か感じないか?」


 ペトルと呼ばれた男性は、聞かれてあたしをじっと見つめてくる――話す声は若いけど、見た目はそうでもないな。四十前後ぐらいに見える。でも泥棒の彼よりは全然清潔感のある人だ。


「……なるほど。お前は昔から霊感体質だったな」


「やっぱり、感じるんだな?」


「何て言うか、エネルギーみたいなものは感じるが、それが霊的なものかまではわからない」


「でも感じるには感じるんだろ? この中に、間違いなく何かがいる……?」


「そう思うが……ちょっと調べさせてくれ」


 そう言うとペトルさんはあたしに右手をかざして、何やら集中し始めた。すると手のひらがほんのり白い光を放ち出す――な、何これ。直視しても大丈夫なものなの? あたしに有害な光じゃないでしょうね。


 しばらく手をかざし続けて、何かわかったのか、ペトルさんはその手を下ろした。


「……これ、封印魔法がかかってるな」


「封印魔法? 何か封じてるのか?」


「多分」


「多分って何だよ。中身わからないのか?」


「このタイプの封印は外からじゃわからないようになってるんだ。つまり、封印を解いてみるまで中身の正体がわからない、ビックリ箱みたいなものだ」


 ……あたしって、そんな状態だったの?


「じゃあすぐに解いて中身を――」


「気になるのはわかるが、こういうのは無闇に解くものじゃない」


「どうして? 別に解いたからって害があるわけじゃないだろ?」


 ペトルさんはいやいやと首を横に振る。


「それがある場合があるんだ。ちょっと考えてみろ。魔法でわざわざ封印したいものって、一体何だ?」


 泥棒は顎に手を当てて考える。……あたしなら、気まぐれで書いた乙女チックなポエムが載ってる日記とかかな。


「若気の至りで書いた、当時の人気舞台俳優へのファンレター、かな」


 ……もしかしてあたし、この泥棒と似た思考回路してる?


「そんなもの燃やせば済むだろ。わざわざ魔法を使うまでもない」


「それじゃあ何なんだ。封印したいものって」


「たとえば、俺ならいわく付きの、触れるだけでも危険な魔導具とか、あるいは、人間に危害を及ぼすような、手に負えない存在とかだ。処分なり退治できるならこんな魔法は使わない。だがそうできなきゃ、封印してひとまず静かにしてもらう……それが一般的な目的だ」


「ふーん……じゃあ封印解いたら危険ってことなのか?」


「その可能性はあるが、何とも言えない。何せ正体が探れないからな……」


 その正体って、あたしのことだよね……? あたし、危険な存在なの? 自分としては違うって思いたいけど、記憶が一つもないんじゃ、それもどうなのか……。


「さっきエネルギーを感じるって言ってたけど、そこから何となく正体わからないのか?」


「無理だ。このエネルギーも、封印魔法の魔力からなのか、中身から発せられてるものなのか、俺じゃ判別できない」


「でも、こんなちっちゃい箱に入るものなんて限られるんじゃないか?」


「箱の大きさはあまり関係ない。封印魔法をかけられれば動物でも人間でも、このぐらいの箱なら入れられてしまう。まあ、強大な存在ならさすがに無理だろうが」


「悪い存在じゃないと思うんだよな、これ」


「理由でもあるのか?」


「実はこれ、呪物らしくてさ。幸運の小箱って呼ばれてて、持ってるとご利益があるんだと。俺最近、全然ツイてなくて、安かったから藁にもすがる思いで買ってみたんだけど、蓋開けようとしたらブルッときて……」


「寒気を感じるなんて、やっぱりいいものじゃない証拠だろ」


「俺の霊感は良い悪い関係なく反応するんだ。だから中に何かいるのは確実っていうだけだ。もしかしたら幸運の女神が閉じ込められてるかもしれない」


 あたしが女神……さすがに自分でも違うような気がする。


「だとしたらますます封印を解くわけにいかないな。幸運を逃がすことになる」


「だから中身を確かめたかったんだけど……女神じゃなく悪霊の可能性もあるんじゃ、簡単に解くことはできないな」


 二人は困った顔であたしを見下ろす――一番困ってるのはあたしだ。幸運か危険かとか、そんなことよりあたしは早く蓋を開けてほしいんだけど……いや、封印を解いてって言ったほうがいいのかな。どうやら封印魔法をかけられてあたしはこの小箱に閉じ込められてるらしいから。ここから出られないと、あたしには一生自由が戻って来ない。もともと自由があったかは知らないけど、こんなに自由を求めてるってことは、あたしはきっと自由の良さを知ってる身のはずだ。身動きできない箱の中で死にたくなんかない。早く封印を解いて、あたしをここから出してよ! ――この声と願いが届かないのが、また辛いところだな。


「どうする? もっとできる魔術師に見せて、解いてもらうか?」


「そんな金ないよ。ペトルだからわざわざ持って来たんだ」


「俺ならタダでやると? 友人とは言え甘え過ぎだろ」


「そっちの貸しにするつもりだった。でも危険もあるんじゃな……また持ち帰っても、気味悪いだけだし……」


 泥棒はこっちを見つめて考え込む――捨てるとかやめてよ? 危険かもしれないんでしょ? そんなもの、そこいらに捨てるほうがもっと危険だから。ね? あたしのことはもっと大事に扱ったほうがいいと思うよ。あたしも自分が何なのかわかってないから、何をきっかけにどんなことするかわかんないから。だから、ゴミにするのだけはやめて。お願い!


 考えてた泥棒はふと視線をペトルさんに向けると言った。


「……しばらく、預かってくれないか?」


「預かって、どうする」


「これが本当に幸運の小箱なら、そのうち幸せな出来事が起こったり、生活もこれまで以上に上向くはずだ」


「お前はそれを期待してこれを買ったんだろ? ならお前が持ってればいいじゃないか」


「俺は一度寒気を感じて、もう無理だ。側には置けない。だからペトルが代わりに試してみてくれよ。本当にそんな力があるのかをさ」


「俺を実験台にするのか? 何ていう友人だ……」


 呆れるペトルさんの肩を泥棒は笑いながら叩く。


「いいじゃないか。本当なら幸運が訪れるぞ」


「嘘だったら、呪われたりしないだろうな」


「封印されてるんだろ? なら悪いことはできないよ。正体がそういうやつならな」


「まあ、あくまで可能性の話だからな、それは……」


 ペトルさんはあたしを指先でいじると、小さく息を吐いてから言った。


「……わかった。しばらく預かろう」


「助かるよ。じゃあ頼む。そのうち様子見にまた来るからさ」


「ああ。忘れずに来るんだぞ」


 わかったと言って泥棒は帰って行った。……しばらくはこの家で過ごすのか。魔術師の家……泥棒の汚い家よりはいいけど、ここも何か暗くていい感じはしないな。


 一人になったペトルさんはあたしを見下ろしながら、何やら考えるような素振りを見せる。


「……どうしたものかな。思い切って封印、解いてみようか」


 すると右手をこっちにかざして、口の中で呪文らしきものを唱え始めた――その気になったか! そのままお願い。あたしを自由の身にして!


 でもそんなあたしの期待むなしく、ペトルさんはなぜか途中でやめてしまった。


「いや、やっぱり駄目だ。とんでもないものを解き放ったら一大事になる。今はそっとしておくべきだな」


 そう言ってペトルさんはあたしの前から遠ざかって行く――弱虫! 意気地なし! あたしを解き放って何の害があるっていうのよ! 魔術師なら中身を探ってみようっていう気概を見せたらどうなの? そんなだから二流の魔術師止まりなのよ! ……あ、これは単なる印象だけど。でも少なくとも一流魔術師には見えない。そんな人が泥棒とつるんでるとは思えないし。


 机の端に置かれたまま、時間だけが過ぎて行く。あたしはその位置でペトルさんが歩く姿を目で追うけど、向こうはこっちをまるで見ない。ちらっと見ることすらない。ただ自分のするべきことだけをしてる。その様子からはあたしっていう存在を完全に忘れてしまったようにも思えた。まあ確かに、封印を解く気がないんじゃ、あたしには何の用もないだろうけど、一瞬も見ないっていうのは、何だか嫌な孤独を感じるな……。これまでは存在に気付かれなくても、小箱っていうことで興味を持たれてたけど、この人はあたしに微塵も興味ないんだろうな……。何か、寂しいっていうより、不安になってくる。


 そんな不安は途切れることなく、長く続いた。ペトルさんに預けられて、数ヶ月が経ってると思う。長過ぎて途中で日数を数えるのやめちゃったから感覚でしかないけど。あの人は相変わらずあたしの存在を忘れてるようだった。最初に置かれた場所から少しも動かされず、あたしはここにい続けてた。机の端……もしかすると、うっすら埃かぶってるかも。ペトルさんが掃除する姿見てないし。だけどあたしの存在を忘れてるのはペトルさんだけじゃない。持ち主であるあの泥棒もだ。そのうち様子見に来るって言って、もう何ヶ月が過ぎた? 間違いなくあたしのこと忘れてるよね。それとも、初めから引き取りに来るつもりなんてなかったの? 気味が悪いからって厄介払いしただけとか? もしそうだったら……あたし、このまま捨てられる運命まっしぐらじゃない? だってご利益も幸運を与えられないし、それがなきゃ持ってる意味もないし……ひょっとして今って、やばい状況なんじゃ……?


 ドンドンと扉を叩く音であたしは思考から抜け出た。ペトルさんがすぐに玄関へ向かい、姿を消すと、扉を開ける音が聞こえた。


「久しぶり、ペトル」


 小さいながらも聞こえた声に、あたしはハッとした。あの泥棒が来た。そのうちって言ったのが数ヶ月後って、どういう時間感覚を持ってるんだか。


「おお、今日は何の用だ?」


「前に預けただろ? 小さい箱」


「ああ……そう言えば、そんなものもあったな」


 やっぱりペトルさん、忘れてたな。


「俺も最近思い出してさ。見に来た」


 本人も忘れてたって……だから数ヶ月か。


「そうか。とりあえず入れ。中で話をしよう」


 友人を招き入れて、ペトルさんと泥棒があたしの視界に入って来た。


「えーっと、箱はどこだったか……」


 キョロキョロしながらペトルさんはあたしの目の前であたしを探し始める――こっちだってば。忘れるな!


「……これじゃないか?」


 目ざとい泥棒は机を見ただけですぐにあたしを見つけてつかみ上げた。


「そんな近くにあったか」


「で、どうだった? 幸運の小箱の力は」


「いいや、感じることはなかったよ」


「いいこと、ツイてることも起きなかった?」


「特になかったと思う。毎日変わらない暮らしだ」


「臨時収入があったとか、すごい魔導書手に入れたとかは?」


 ペトルさんは面倒そうに首を横に振る。


「ないない。あれば真っ先に言ってる」


「じゃあ幸運の小箱って、やっぱり嘘だったか……」


 泥棒は頭をかくと、しかめた顔で手のひらに乗るあたしを見つめてきた。こんな怪しいもの信じるなんて、そっちも少しは責任あるからね。


「答えは出たみたいだな。持って帰るか?」


 聞かれた泥棒は、うーんと唸って考えると、見下ろすあたしをおもむろにペトルさんに差し出した。


「いや、悪いけど持って帰れないよ。そっちで処分してくれないか?」


 ……ちょ、ちょっと、今、処分って言った?


「は? 処分って言われても……」


「幸運もご利益も嘘なら、持って帰る意味もないから」


「そりゃこっちも同じだ。そんなこと任されても困る」


「そこを頼むよ。俺には封印解くのも、処分の仕方もわからないし、何より側に置いておくだけで寒気を感じて気味が悪いんだ」


「そうかもしれないが、だからって頼まれてもな……俺もこういう物の処分の仕方なんて知らない」


 渋るペトルさんに泥棒は懇願する。


「お願いだよ! これも借りにしていいからさ。引き取ってくれ。頼む!」


 真っすぐ見つめてあたしを差し出す泥棒に、ペトルさんはいかにも迷惑そうな目を返す。……やばい。あたし、厄介者になってる。


「……これは、大きい借りだぞ」


「わかってる。必ず返すよ」


 呆れたような、諦めたような溜息を吐くと、ペトルさんは仕方なさそうにあたしを引き取った。


「恩に着るよ!」


「本当にそう思うなら、いくつか魔法薬、買って行け」


「ああ、買うから、そんな顔するなって。今日はまとまった金があるから、いつもより多めに買うよ」


 その言葉通り、泥棒は何に使うか知らないけど、ペトルさんが作った魔法薬を四つ買って金を払った。


「……それじゃあ、そのうちまた来るよ」


「借りを返すまで、逃げるんじゃないぞ」


 逃げないよと笑いながら泥棒は家を出て行った。あたしとペトルさんが残されて、途端に静寂が広がる――もしあたしに心臓があれば、小箱を伝ってペトルさんにやかましい鼓動が響いたんじゃないだろうか。そのぐらい、今のあたしは危機感を覚えてる。視線のずっと先にゴミ箱が見えるのは幻だと思いたい。いきなり捨てたりしないよね? 危ないものが封印されてるかもしれないのを、ゴミ箱にポイっなんてしないよね? 百歩譲って捨てるにしても、中身が何なのか、探るなり封印を解くなりしてから捨ててくれ。それがあたしに対するマナーってもんでしょ? ペトルさん、あなたはそういうことをわかってる人だって信じてるから。ゴミであっても正しく扱ってくれるって、心から信じてるから!


 あたしを机に置いたペトルさんは、腕を組んでじっと見つめてくる。その顔は考えてるようだ。


「……厄介だな……」


 ポツリと呟く。気持ちがとうとう言葉に出た。それはあたし自身もわかってます。それでもどうか、どうか、見捨てないで……。


「封印魔法がかけられてるものを、処分するってな……中身がわからないのに、うかつに壊すわけにも……」


 その通り。壊す前に中身を確かめよう。そうすれば安心して封印も解ける。


 ペトルさんは長いこと考え込むと、再び呟いた。


「……俺には荷が重いかもしれない。来週にでも持ってってみるか……」


 そう言うとあたしの前から立ち去った――持って行く? 今度はどこへ持って行かれるのよ。今の口振りからして、少なくともゴミ捨て場じゃなさそうだったけど。来週か……それまでこの不安は拭えそうにない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る