四話

「売れそうな物、持って来てくれたのか」


 店のおじさんは特に表情も変えずに机の前にやって来る。この暗いお客さんとは顔見知りなのかな。


「数は少ないけど……」


 ボソボソした声でそう言うと、暗い人は懐から懐中時計と万年筆を取り出し、机に置いた。


「これだけか?」


「ああ。予定じゃもっと盗るつもりだったんだけど、その三日前に同業者がすでに入り込んでたらしくて……」


「出遅れたのか。それでこの二つだけ」


 暗い人は力なく頷く。この人もやっぱり泥棒か……。おじさんは早速置かれた盗品の査定を始めた。でもそれはすぐに終わった。


「……あんまりいいものじゃないな。どっちも街でよく売られてるものだし、安物だ」


「そうか……盗られずに残ってた物だからな。やっぱりいいもんじゃないか」


「買い取ってはやるけど、大分安いぞ」


「構わないよ。その覚悟はしてたから……でいくらになる?」


「二つで百八十ユンクだ」


「二百にもならないか……まあしょうがないな。それでいいよ」


 諦めを見せる暗い人はおじさんから金を受け取って懐にしまう。


「最近、空振りが多くないか?」


 腕を組みながらおじさんが聞いた。これに暗い人は深い溜息を吐いた。


「どうも最近、ツイてないらしくてさ……この間も、仕事の帰り道でこけて額にコブ作ったし、盗りに入ろうとしてた家の住人が当日になって夜逃げするしで、何か不運続きなんだよな。今回の出来もこれだし……」


「情報収集が甘いんじゃないか?」


「それは毎回きっちりやってるつもりだ。やり方は変えてないし、そのための経費も惜しんじゃいない。それなのに結果はこれだ。ツキに見放されたとしか言えない状況だよ」


 被害者側としては、まったくもって喜ばしいことだね。


「スランプってわけじゃなさそうだし、偶然の不運じゃ、手の打ちようもないな……」


「このまま行ったら、警察に捕まるんじゃないかって危ぶんでるぐらいだ。もし俺が現れなくなったら、捕まったか廃業したって思ってくれ」


「おいおい、こんなことでやめるなよ? まだ動ける身体があるんだ」


「身体に問題なくてもなあ……」


 暗い人はまた溜息を吐く。世の中のために泥棒は一人でも減ったほうがいい。これをいいきっかけにしてやめれば、被害者も増えずに済む。おじさん、引き止めることないって。やめたいなら素直にやめさせれば――その時、おじさんの視線が商品棚にいるあたしのほうへ向いた。え、何? 今の声が届いたわけじゃないよね。な、何でこっち見るのよ……。


「……そういや、今のお前におあつらえ向きなものがあったな」


「え? 何だよそれ」


「幸運の小箱って代物だ」


 そう言うとおじさんはこっちへ来てあたしをつかみ取った。


「これに、今のお前に足りないものが詰まってる、かもしれない」


 あたしは机に置かれた。それを上から暗い人が見つめてくる――そうだった。あたしって幸運の存在にされてたんだった。まさにこの人が必要としてるもの……それがあたしなのか。


「呪物なのか? これ」


「そうらしいが、定かじゃない。話じゃ、これを持ってたやつは仕事でかなり稼いでたとか。持ってる人間にご利益を与えるそうだ」


「本当か? 怪しくないか?」


「正直、眉唾物だな」


「そんなもの売るなんて、あんたらしくないな」


「常連の客にしつこく買ってくれって頼まれてな。後に確認したら、確かに幸運の小箱の話はあった。だが話だけで、これ自体の真偽はわからずじまいだった。だからもし興味があって話を信じるってなら、買ってってみたらどうだ?」


 言われた暗い人は、あたしを不審な目で見てくる――そんな目で見ないでよ。あたしだって自分がご利益ある存在なのか疑ってるんだから。


「……ちなみに、いくらだ?」


「十ユンクだ」


「十ユンク? そんな安いのか?」


「買い取った額と同じだ。俺はこれをガラクタだと思ってるからな。常連のために買い取ってやっただけのものだ。だから同じ額でいい」


「厄介払いって感じなのか?」


「うちはガラクタを置けるほど広くないんでな。……買うか?」


 暗い人は微妙な表情を浮かべてる。そこにはちょっとだけあたしへの興味が見える。幸運の小箱なんて胡散臭いものにすがるほど、この人は本当に困ってるんだろう。でも疑う気持ちも強くありそうだ。その狭間で悩むこと一分……暗い人は口を開いた。


「……安いし、買ってみるか」


「苦情は受け付けないぞ」


「世話になってるあんたに文句なんかつけないよ。これはガラクタ処分の手伝いだ」


「フッ、助かるよ」


 暗い人は十ユンクを支払うと、あたしをつかんで上着のポケットの中に押し込んだ――行き先は、また泥棒の家か。はあ……まともな人に出会いたい。


 何も見えないポケットの中で、新たな持ち主になった暗い泥棒の足音を聞きながら、あたしは運ばれて行く。人の声も騒がしい音も聞こえず、辺りは静まり返ってる。あの店にいると時間がよくわかんなかったけど、もしかしたら遅い時間帯なのかもしれない。まあ泥棒だし、夜のほうが活動的なのかな。


 そうして歩くこと三十分ほど、はあ、と溜息を吐く声とともに扉を開く音がした。家に着いたみたい。床板を踏む音がして、ガタッと何かを動かす音、そしてフウっと息を吐き出す音……その直後、あたしはポケットからおもむろに取り出された。


「幸運の小箱、か……」


 机に置いてこっちを暗い顔で見てた泥棒は、椅子から立ち上がってどっかへ行った。残されたあたしは見える範囲の部屋の中を観察した――うーん、物が少なくてすっきりしたところだけど、床には埃が溜まって壁には蜘蛛の巣が張ってて、やっぱり綺麗じゃないな。でも前の二人組よりはましっぽいけど。今日からここで過ごさなきゃいけないのか……あの床みたいに、埃まみれにされないか心配だ。


 しばらくして泥棒は戻って来た。その手には酒瓶とコップがあった。それを注いで泥棒はグビグビ飲みながらあたしのことを眺め始める。


「……ご利益なんて、本当にあるのか?」


 泥棒は独り言を呟く。そりゃ疑うよね。あたしだって怪しいって思うし。


「まあ、たった十ユンクだしな……期待するだけ無駄か」


 酒をあおると、すぐにコップに次を注いで、またグビグビと飲む。こんなものに期待するなら、真面目に働いたほうがいいよ?


 泥棒は酒を飲みつつあたしを眺めてたけど、コップを置くとおもむろに手を伸ばしてきて、あたしをつかんだ。


「そういやこれ、中は何が入ってるんだ……?」


 蓋を確認すると、ガタガタ音を鳴らして開けようとし始めた。……そう言えば店のおじさん、この蓋が開かないこと教えてなかったような――


「……んん? 開かないな……」


 当然開かない蓋を、泥棒は顔を赤くしながらしつこく開けようとするけど、そのうち疲れてあたしを机の上に放り出した――声が届けば、開きませんよって教えてあげるんだけどな。


「くそ……何だこれ……」


 暗い顔が忌々しげにこっちを見つめてくる。蓋が開かないだけで、そんな敵を見るような目しなくたって……。


 すると泥棒はまた立ち上がってどっかへ消えた。酒もあたしもほったらかして、どこ行っちゃったのよ。もしかしてイラついて、ふて寝しちゃった? と思ったら、すぐに戻って来た。


「これでなら開くかな……」


 そう呟いた泥棒が握ってたのは、ところどころ錆びたナイフだった。……ちょっと、それでどうする気よ。開かないからって、まさかぶっ刺さないよね? そんな物騒なことしないよね。


 あたしの心配をよそに、ナイフを握り込んだ泥棒は、その切っ先を蓋の隙間にねじ込み始めた……っぽい。鏡がないから見えないけど、多分ナイフの位置的に、そうしてるんだと思う。ガリガリ金属同士がこすれる嫌な音がする。別にあたしが痛いわけじゃないけど、それでもこんな音を聞かされるのはちょっと嫌だ。


「もう少し……」


 泥棒は一点を凝視してナイフを動かし続ける。と、次の瞬間、ガツッと大きめな音が鳴ってあたしの視界が揺れた。


「やっと入った……これでこじ開ければ……」


 独り言を言って唇をペロっと舐めた泥棒は尚もナイフをガリガリ動かす。どうやら先端だけ隙間に差し込めたみたいだ。でもあたしはそんなことより、自分の視界に起こったことに少し驚いてた。今まで見えてた景色は薄い霧がかかったようにぼやけてたけど、この泥棒がナイフを差し込んだ直後、その霧がどういうわけか消え去ってしまった。だから部屋に舞ってる微細な埃も、集中した顔を向けてる彼の小じわも、今は綺麗にくっきりよく見えてた。言うなら、これまで汚れたガラス越しだったのが、それが取り払われて肉眼になった感じかな。やっと本当の景色が見えた……たったそれだけでも気分は大分変わるもんだ。


 それにしても何でこんなことが……原因はやっぱりナイフを差し込んだことだよね。ナイフを差し込む……隙間にねじ込む……蓋を、開けようとする……? もしかして、そういうことなの? ナイフで蓋との隙間を広げたことで、あたしの視界が良くなったとか? そうだとすれば、このまま蓋をこじ開ければ、あたしの状況はもっと良くなる? たとえば自由に動けるようになるとか――すごいことに気付いちゃったかもしれない。そうか。この固い蓋は開けてもらわなきゃいけないんだ! そうすれば、この訳わかんない状況を知る手掛かりなんかもつかめたり……となったら、この人を応援しなきゃ。何が何でも蓋を開けてもらわないと!


 泥棒はガリガリナイフを動かしながら開かない蓋と格闘してる。こっちを見つめる集中した顔が、今は頼もしく見える。その調子よ。固くたっていつか必ず開くはずだから、根気よく、諦めずに、そのナイフでこじ開けて! お願い! こっちはあたしの身が懸かってるかもしれないのよ! 絶対に開けて――


 その時、泥棒が手を止めたと思うと、急にのけぞってあたしの前から離れた。その表情は何かに怯えたように強張って、握るナイフは小刻みに震えてた。……な、何? 蜘蛛とかゴキブリでも出たの? でも視線はこっち見てるな……え? あたしの上に虫いる?


「……これ、やばいのか……?」


 あたしを見ながら泥棒は呟く。やばいって何が? 虫ぐらいでそんなに震えないでよ。靴で叩き潰せば済むことじゃ――


「絶対、何か入ってるな。この感じ……間違いない」


 椅子から下りた泥棒は、こっちに警戒の眼差しを向けながらジリジリ後ずさりする。……どういうこと? 入ってるって、この小箱の中ってこと? まあ、何か入ってる可能性はあるけど、それを確かめるために開けようとしてたんでしょ? なら早く開けてよ。何であたしから離れちゃうのよ。


「いいやつか、悪いやつか……うかつに手は出せないな」


 あたしとの距離を取った泥棒は、どこか面倒そうな表情を浮かべて溜息を吐いた。一体何なの? さっさと手出してよ。こっちは蓋を開けてもらいたいんだから。


「駄目だ。気味悪い……明日、あいつのところに持ってってみるか」


 そう言うと泥棒は机の酒瓶とコップを持ってどこかへ行ってしまった。あたしは戻って来るのを待ったけど、離れたところで動く物音はするものの、結局泥棒は姿を見せることはなかった。ほったらかされたあたしは、豹変した泥棒の態度に首をかしげるばかりだった。気味悪いって言うから、やっぱり虫かと思ったけど、あいつのところに持ってくって、どういうことだろう。珍しい虫だった……って感じでもなかったな。その前に何か入ってるとも言ってたし……うーん、何を見て言ってたんだろう。さっぱりわかんない。


 長いこと考えても結論が出ないまま数時間が経った頃、あたしの視界にようやく泥棒が現れたと思うと、無造作にあたしをつかんでそのままポケットの中へ突っ込まれた。そして扉を開けて歩いて行く足音が聞こえる――またどっかへ運ばれるみたい。多分〝あいつ〟のところだろう。どんな人か知らないけど、蓋、開けてくれればいいな。

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