第15話 # エピローグにかえて #

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「透、またお見舞いに来たよ」

 301号室のドアをいつものように元気よくコンコンっと叩いて。

 ドアをばーっと開いたら、少し元気になった透が扉の前に立ってじっと弥生を見つめていたの。

 その瞳はどこか儚げでメランコリックで、限りない優しい慈しみの表情に満ちていた。

「おかえり、弥生」

 弥生の花束を受け取って、花びらにそっとキスをした。

 とても絵になるね、透───。


「こんどの事件は解決したの?」

「うん……事件というかね。岡野 有希子さんはこの世に未練があったのもあるしね、いい思い出をつくりたかったみたいなの」

「それでどうだったの?」


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 透がブラックのコーヒーを湧かして、珍しくシュガーもミルクもなしで飲んでいる。

 しばらくみないうちに、透───。

 大人になったね。


「ああ……苦い方がいいんだ」

 ちなみに、弥生はビタースィートが好きって、関係ないか。

「岡野 有希子さんはね、あれから、透に会ってから一番好きだったアシスタントディレクターの真咲さんに会いに行ってね。好きだった気持を正直に告白してね。それから、憧れだった坂本 隆一さんに新曲を書き下ろしてもらってね。TVジャックなんかしちゃったんだよ」

「楽しそうだね」

「うん。弥生も芸能界をちょっと垣間見ちゃった気分」

「ふ~ん」


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 さっき点てたブラックのコーヒーを、弥生専用の水色のキティーの白っぽいプラスチックのマグカップに注いでくれた。

「サンキュー」

 ブラックは苦いから、ミルクと砂糖をちょっぴり入れた。

「それでね、やっぱり今までお世話になった人達のことが相当気になってたみたいで、やっぱり専属だったムリプロダクションの社長さんの所にあいさつに行って、最後には両親の所に帰ったよ。恋人の真咲さんと一緒にね」

「ふ~ん。弥生にしては今回ちゃんとやったほうだね」

「もちろん!」

 水色のキティーのマグカップをぐいとつかんで、透がいつも寝ている病室のベットの上に、ぽーんと座ってみた。

 ふかふかで気持ちいい───。


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「胸のつかえも取れたみたいだったよ」

「ちゃんと成仏してくれたんだ」

「うん。最後の家族の団らんを楽しんだ後、近くの教会に行って。真咲さんと結婚式をちゃんと挙げたんだよ。有希子さんのお姉さんが着た純白のウェディングドレスを身に纏って……」

「綺麗だったんだろうね、彼女」

 うん、と頷いて透の顔をじっと穴が開くほど見つめ返してやったの。


 ぷっとコーヒーを、吹き出しかけて。

 透はもともと透けるように白いお肌がさらに青白んじゃったの。

「やっぱり女の子だね」

「岡野 有希子さんもね」

 そう言って、黒い愛用のリュックから現像されたばかりの写真を取り出した。

 うん、ちゃんと写ってる。


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「これ、その時の写真」

 透に、はいっと手渡した。

「岡野 有希子さん綺麗だね」

「なんたってアイドルだもんね」

 透と二人で見つめる、写真の中の岡野 有希子さんと真咲さんは幸せそうにいつまでも微笑んでいた。

「シャッターって永遠をも写すよね」

 うん、って透の綺麗すぎる壊れそうで儚げな横顔を愛しげに見つめてしまったの。

 弥生も今の瞬間に心のシャッターを切ったんだよ。

 透に分かったかな?


「ついでにこの写真も見てよ」

 透の目の前に、ばんっ☆とあの時の写真を突きつけてやったの。

「これ誰?」

 透が目を凝らして、写真をまじまじと見つめる。


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「弥生のお母さんの、貴子さんに似てるね」

 嬉しいな。透───。

 セピア色の写真の風景のように古い記憶の中の憧れのお母さんに、わたし、だんだん似てくるんだね。

 写真の中の弥生は、モデルさんのように、オリエンタル風異色美人にされて泰然と微笑んでいた。

「弥生はどんどん綺麗になっていくね」


 透が窓の外を静かに眺めていた。

 自分ひとりが飛び立てない小鳥のように、孤独をひしっと肌で感じながら。


「大変だね、弥生も。次から次へと依頼人が訪れてさ」

「ある意味、お医者さんより大変かもしれないぞ!? けっこう頭も使うし、解決するのに行動力もいるし。おまけに頭がおかしくならないようにマインドコントロールも、


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 ちゃんとしないといけないんだよ? 分かる? この大変さ」


 その場が暗く沈まないように、わざと明るく振る舞ってみせた。

「ふ~ん」

「透なんかに分からないからさ。この気持ち」

 手元にあった枕を、ぽーんと透に投げつけてやったの。

 透は首をこくんと左に曲げてうまくよけて弥生の心を和ませてくれたの。

「弥生もちょっと休まなくちゃ。いつもより顔色がよくないから」

「心配してくれているんだ」

「もちろん……元気な弥生を見ているのが本当に好き」

「ほんと、嬉しいな。透」

 それなら弥生も人一倍、元気で頑張らないとね。


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 赤いスケジュール帳を見ながら、夏期講習の日程をしばし確かめていたら。


 コンコンとノックの音が聞こえて、看護婦さんが入ってきた。

「透くん、点滴の時間ですよ」

 黄色い点滴のチューブを持った看護婦さんが手際よく、セットして。

「さあ、弥生ちゃんはしばらくのいといて。透くんは横になって」

 はーいと素速くベットから立って、大人しく横になった透に優しく毛布を掛けた。

 時計の針は2時過ぎを指していた。


 点滴の針が、透の白すぎる腕の青い血管にぐさっと突き刺さり、透が苦痛に顔を歪める。

 痛々しくていつもこっちまで悲しくなる。

「透ももうちょっと元気にならないとね」

「ちょっと元気になったからと言って、安心してたらまたぶり返すからね」


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「かっこ悪いな」

「弥生の前だったら、気にしなくていいの」

 小さい頃から、ずっと一緒に遊んでた弥生の前ではありのままの素顔を見せてくれていいんだよ。

 外は夏の陽射しにしては優しい光がさらさらと病院の庭に降り注いでいた。

 緑が眩しい───。

 ギブスが外れたばかりのサッカー好きの坊主頭の中学生が親に付き添われて散策している。その横のベンチの前では、お年寄りが数人、長閑にいつものように談話をしている。

 もう夏休みも半ばに入って、お見舞いの小学生の姿も多く見られる。

「平和な光景だね───」

 透の点滴がすーっと落ちていくのを背中に感じていた。

 もうすぐお盆がやってきて本格的な暑さに突入すると、また依頼人たくさん来て忙しくなる───。


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 その時───。


「やよいさん。やよいさん……」

 空から一筋の光が射してきたよう声がして、空を見やると。

「私の息子を助けて下さい」

 はっきりした声が頭の中に響いた。


 後ろの透を振り返ると、いつになく子供のような寝顔で、すやすやと安らかな息をたてていた。

 ───  おやすみ 透  ───


 起こさないようにそっと301号室のドアを閉めた。

 元気そうな顔をしていたけど、やっぱり疲れていたんだね。ゆっくり休んでいてね、透。


 ドアの閉まる音に、すっきり気分を切り替えて。


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 弥生は高らかに歩き出した───。

 明日に向かって。

 まだ羽ばたける翼があるから。


 また新しい事件が始まる───。



 THE END

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MICO YAYOI 穴八真綿 @busukou-ai

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