第11話 ¶  ムリプロへの挨拶  ¶

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「社長さんに最後に会っておいていい?」

 ABSテレビ局のエレベーターを降りながら、岡野 有希子さんが無邪気な笑顔で真咲さんに聞いている。

「それは、ちゃんと会っておかないとね」

 素速く乗りこんだ車のシートベルトを締めながら、見やすい small map を片手に都内を走る。


「まだ、カーナビ装備してないんだ。まだまだ貧乏だろ?」

「ADなんてほんとに金ないんだぜ? なんて言ってよく笑わせてくれたよね。真咲さん。覚えてる?」

「あの当時の口癖だったな。いまも変わってないよ」

 そう言いながら、少し誇らしそうに狭い車内をぐるっと見回して。最後に助手席にちょ


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こんと座った有希子さんに横目でウインクしながら。

「でも、あの頃の夢がひとつ叶ったよ。この車を買った。自分の居場所をひとつ見つけたよ」

「自分の制作の番組をつくる夢もきっと叶えてね」

「うん。成功したらまっ先に有希子ちゃんのお墓に報告に行くからね」

「よかったね、真咲さん。ほんとうに、わたし真咲さんを好きでよかった」

 なんだかあてられっぱなしの車の中だったけど。弥生はだんだん本当の笑顔を取り戻していっている有希子さんの横顔を見ているうちに、これでよかったんだな。と自然に思えて、こっちまで嬉しくなっちゃったんだ。

 それで……今も病室で寝ている透のことを思い出して、透もはやく元気になって一緒に青山当たりのお洒落な街中でも腕を組んで歩けたらいいな……なんてホントに願ったんだ。


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「ムリプロダクション」の看板が高く聳え立った白い建物の前に到着した。

 見慣れたはずのこの建物が、今日はどこか遠くてよそよそしく感じるの……岡野 有希子さんがぽつんと弥生の耳に囁いた。

「死んじゃったんだもんね……わたし。死んじゃった人はもう要らないんだもんね」

 涙を浮かべながら、行き場のない憤りをぶつけるように有希子さんが初めて怒った。

「でも、いまわたし……安心できて信用できる人達が周りにいてくれるから、こういう生きていた頃は言えなかった本音が言えるの……ホントに」

「よかったね、有希子さん」

「うん……大分胸がすっきりした」

 白くて細い手で瞼を押さえる有希子さんの頬にすーっと涙がひとしずく落ちて、心が少しずつ浄化されていくのが手に取るように分かった。


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「社長に会う決心はついた?」

「はい」

 はっきりと答える有希子さんの姿に、弥生と真咲さんはふふふっと笑ったんだ。


 社長室まで広いエレベーターで直行して。

 弥生と真咲さんが、優しく後押しをした。

「行って来るね」

 有希子さんが、用意してもらった慣れないピンクのヒールの靴をはいて、堂々と前向きに部屋に入って行った。


「どうぞ」

 衝立越しに、聞き慣れた有希子さんにとってなつかしすぎる社長の声がした。

 白すぎるカーテンがさらさらと揺れていて。

「岡野 有希子」

 歴代のアイドル達が飾られたムリプロの社長室で、地の底から響くような独特の声がそう告げた。


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「はい……わたしです」

 壁時計がカチカチと不気味に音を立てる音が部屋中に響きわたって。

 つばを飲み込むような、音が衝立の向こうからした。

「社長に最後に会いに来ました」


「どうぞ」

 声は再びそう告げた。

 ピンクのヒールに、紅いベージュの混ざったちょっと大人の口紅をつけた有希子さんがコツコツと音を立てて社長の前に姿を現した。

「大人になったな……有希子」

 薄い茶色の背広を着た社長が、射るような眼差しで有希子さんを見た。

「なんでいまさら?」

 立ち上がってブラインドを押し広げながら静かに問いかける社長。

「ほんとうにあいさつにきました」

「……」


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 じっと黙って窓の外を見つめている社長。

 外はレインボーブリッジの赤い光りが遠くに光っていた。


「お前のことは愛情を持って、大物のひとりに育ててやろうと思っていた」

「ありがとうございました。身に余る光栄だったんですけど……」

「飼い猫にひっかかれたような気分だ」

 吐き捨てるように言う社長に。

「でも、わたしだって人間ですから」

「バカな女だ、お前は」

「社長はそう思うかもしれませんね、でもわたしも芸能人であるより先に、ひとりの人間であって、ひとりの女で。ちゃんと恋もしたかったし、もっと自分をちゃんと見つめ直す時間が欲しかったんです」

 社長と有希子さんの目がパッチリ合った。

「どうせ、わたしなんか死んだらもうお払い箱なんでしょう!?」


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 もう有希子さんの勢いは止まらなかった。

「働かせるだけ働かせて、自分好みの女に仕立て上げて可愛い猫でも飼いならしている気分だったんでしょう?」

「可愛いお前の幸せを願わないことはなかった。ちゃんとムリプロ専属のアイドルとしての使命を勤めて、ちゃんと恋愛もして、普通に結婚して子供も生んで、幸せなひとりの女性としての将来を送って欲しかった」

「本当ですか?」

「本当に」

 気づけば、ムリプロの幹部クラスの重役が、ひとり残らず勢揃いしていた。

「有希子ちゃんはムリしてたんだよね。最後の方の笑顔、痛々しかったよ」

「今度生まれ変わったら、もっと自由な人生を生きてね」

 有希子さんの胸には花束が抱えきれないほど渡されて。

 涙で濡れながら、精一杯微笑んでいた。

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