第10話 ◆ 魂~成仏の瞬間 ◆
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「一郎君、何か心残りない?」
「ないです……ひとみさんのお役に立てて満足です。悔いはありません」
橘 一郎は微笑むと、
「それでは、みなさんお元気で。僕の分も長生きしてください。そして、ひとみさん、僕のことをいつも心のどこかに覚えていて下さい。あなたのことを心の底から好きな馬鹿なやつが居たっていうことを……」
「橘先輩、本当にありがとうございます。ひとみ、目に見えない物も信じられるようになって……人間として本当に成長できたと思うんです。橘先輩が側にいなくなると寂しくなるけど頑張って生きていきます」
ひとみさんの円らな瞳には大粒の涙が眩しいほどに光って虹色に反射していた。
「もう現世に何の未練もありません」
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橘 一郎が弥生の方を真っ直ぐ見て、きっぱりとした口調でそう告げた。
弥生も黙って頷く。
「掲帝掲帝波羅掲帝波羅僧掲帝菩提娑婆訶」
弥生の成仏を願う読経の声を合図に、橘 一郎君は神々しく光り輝いていく。
現世に未練が無くなって総てを悟ったようにしてこの世を去って逝く時の死者の心は、なんて美しいんだろうと弥生はいつも思う。
残された僅か49日の間に総ての欲を断ち切って成仏しなければならない試練は、特に若くして逝った人にとっては相当苦難の筈だ。
その試練を乗り越えて、且つ事件解決へと現世の人の手助けをして成仏する一郎君の心の清々しいこと。
さようなら、一郎君。事件解決の手助けをしてくれてどうもありがとう。
そしてやっと悟ってくれたね。このまま惜しまれて逝く事が一番の幸せだって。
弥生、この瞬間が。
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巫女さんをしてて一番幸せなんだ。
本当に後は安らかに永眠して下さい───。
橘 一郎君の体は光り輝きながら頭上高く舞い上がり仕舞いに見えなくなった。
ひとみさんは今日の出来事は忘れないというようにいつまでもいつまでも空を見上げて一郎君の最期を見守っていた。
「これからは、ずっと橘先輩が天国から私を見守ってくれていると考えることにしたの」
ひとみさんは決心したようにそう弥生に告げた。
弥生も力強く頷き返した。
この世で一番綺麗な心は、人のために自分を犠牲に出来る純な心と、煩悩のない悟りの境地を開いた人の心だ。
弥生、この数週間の彼の変容ぶりを想い、自然と涙が溢れ出た。
人間って儚く脆いけれどその心は何物にも代え難い程、清く美しい。
それを思い知らされた今日一日だった。
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