第7話 卍  悪霊退散  卍

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 日曜の朝。午前 7時。

 近所の鶏の鳴く声で眼が覚めた。

 周りが騒がしくなる前に出発しないと。


 大急ぎでパジャマを脱いで、白とグレーの長袖のシャツの上に黒地に白でPOLOと描かれたトレーナーを急いで着る。

 弥生、こう見えてわりと寒がりだ。

 下はお気に入りの、白のキュロットに黒い靴下。

 昨日の晩、用意した黒のリュックを肩に掛けて。

 いざ、出発!!

 外では、もう橘 一郎が待っていた。

「弥生さん、よろしくお願いします」

「おはよう、橘くん。こちらこそ」


 日曜の朝境内はしーんと静まり返って。


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 門の所で、警備のおじいさんが掃き掃除をしている。

「大丈夫ですよ、さっき見てきましたら。うちの家、もうお店の用意してましたから。家の近くで小さなスーパーみたいな……食料品を主に売っているんですけど。まあ、雑貨屋ですね」

「なんかよく分からないけど。とりあえず、出発しよ」

「はい。朝、9時には、お店開いてますから。着く頃には、大丈夫でしょう」

「先に、お店に寄っていってもいいけど」

「そうしましょうか。うちの親、全然。透視能力ないですけど」

「……」


 こんな時、しょっちゅう。自分の変な能力がイヤになる。

 あーあ。こんな能力早くなくして、普通の女の子になりたいよ──!


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「隣町だったね。それじゃあ。自転車で行こう」

 神社の門の裏に、弥生の青い自転車が置いてある。

「おはようございます」

「おはよう、弥生ちゃん」

 弥生、警備のおじさんにきちんと朝の挨拶をする。この70代前半の痩せた笑顔の優しいおじさんは、大尊寺学園の守衛さんも兼ねていて。休日は神社の清掃をしてくれている。

 弥生が小さい頃から知っていて。

 小さい頃は、従兄弟の透とよく境内の植物の名前を教えてくれたり、凧を上げてくれたり、一緒にシャボン玉を吹いたり、と。

 よく遊んでくれた。


「透くんの調子はどう?」

「昨日、お見舞いに行ったら元気そうだったよ。相変わらず、顔色は冴えないけど」

「綺麗な子なのに、残念だね」


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「うん……早く、元気になって欲しいな。快気の願いを込めて、桜の枝を一枝。透の部屋に飾ってきた」

「早く元気になりますように」

 警備のおじさんが、そっと手を合わせてくれる。

 弥生も、橘 一郎も一緒に手を合わせる。


 ───透、早く。元気になってね───


「弥生ちゃん、これからお出かけ?」

「そう。ちょっと隣町まで」

「いつも元気だね、弥生ちゃん」

「元気だけが取り柄です」

「嘘ばっかり。成績だって優秀なの、よく耳に入ってくるよ」

「本当?なんだか、恥ずかしいな」

「気をつけて、行ってらっしゃい」

「はい」


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 黒いリュックを自転車のカゴに入れて。

 自転車のキーをガシャと差し込んで。


 さあ、出発!!

 なんだかこれから新しい、ワクワクするような事件が弥生を待っているようで。

 全身が期待で、ぶるっと震える。

 なんやかんや言って。こんな窮屈な生活をしていると。外に出て事件を解決するのが楽しくてしょうがない。

 今度みたいなケースは初めてだけど。

 弥生。頑張ろう。


「一郎くん、なんだか可哀想だね、16で死んじゃってさ……しかも、死んでも未練が残るほど好きな人がいて」

「放っといて下さい。弥生さん!!」

 橘 一郎が真剣そのものの顔で叫ぶ。

「僕が、ここ数日、どんな気持で過ごしたか。弥生さんなんかに……」


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 橘 一郎は、もう泣きかけだ。

「……」


 本当に世の中、上手く出来てない。

 弥生、こんな時。

 いつもそう思う。


───憎まれっ子世にはばかる───


 神社の子が言ってはいけない台詞かもしれないけど。

 弥生が住んでいる辺りは、早く死んで欲しいような人が長生きして。好かれている人が早死にする。

 透にしたって、ここ数年ずっと体のどこかが悪くて入退院の繰り返しだ。

 弥生、哀しくなるよ。


 そのうち、橘 一郎の実家が見えてた。

 古びた木造の二階建てで、黒い門に寂しく


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「橘」という表札が掛かっていた。


「行くよ。橘 一郎」

「はいっ。弥生さん」

 弥生、ぐるっと家の周りを回ってみることにした。

 どこか、入りやすいとこないかな……

 最終手段は、屋根だけど。


 弥生、手入れの行き届いていない生け垣の隙間からそっと足を差し込み、橘 一郎の家の庭に忍び込む。

 ごく標準的な日本の住まいを再現したような庭の片隅には、錆び付いた白い手押し車と三輪車、二人乗りの赤いブランコが放り出してあった。


「僕の部屋は、二階の奧なんです」

 橘 一郎が懐かしそうに、焦げ茶から更に黒くなった二階の窓の下の木片を見上げる。


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「一回、あの窓から落ちたことあるんです。大したことは無かったんですが」

「それじゃあ、窓から直接入った方が早いね」

「窓ガラス、割ってくれてもいいですよ。もう誰も使わないから」

「……」


 周りはどう見ても、同じような民家が建ち並んだ所で。

 しかも、こんな日曜日の日中に人の家の窓ガラスを割って、誰も出てこないワケはない。

「ねえ、橘 一郎くんって一人っ子?」

「いいえ。年の離れた姉がいて、もう数年前に結婚して幼稚園入学前の3才の可愛い男の子がいるんです」

「この近所に?」

「はい……でも、あまり姉に迷惑を掛けたくないから」

「う~ん……出来たら、そのお姉さんの手を借りられたら有り難いけど」


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「姉は、熱心なキリスト信者で。死者の世界とか絶対、拒否反応起こしますよ。それに、今……少なくとも僕が死ぬまでは、幸せ一杯でしたから」

「それは、事件に巻き込んだら可哀想だ」


 女鹿 ひとみさんの実家に協力を期待するとするか。お嬢様らしいし。

 決心を決めて、適当な大きさの小石を拾い上げ、えいっと二階の窓ガラスに向けて投げつける。

 窓ガラスは大きな音を立てて割れた。

 反射的に生け垣の茂みの中に身を隠す。


 一秒、二秒、三秒……。


 誰も出てこないのを確かめて、そっと茂みから姿を現す。

「行くよ、橘 一郎」


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 やよいのスポーツ万能は学校中でも有名だ。

 クラス対抗リレーのアンカー。スウェーデンリレーのラストを毎年走る。

 このくらい、お安い御用!

 黒いトレーナーの袖を大きく捲って、数歩後ろに下がり助走をつけると、えいって。

 一階の少し突き出た庇の上に飛び乗った。


 大成功!!

「やよいさん、すごいですねえ」

「まあね」

 指でちょっと鼻の先を擦って。

 ぐるっと体をひねって見回したけど。

 体中どこもケガはなかったみたい。


「よいしょっと」

 割れた窓ガラスを気にしながら、そおっと二階の橘 一郎の部屋に侵入する。

 中は、豆電球がうっすらと点いていて、古い木造の造りの8畳ほどある和式の部屋の奥


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 には黒縁の橘 一郎の少し微笑んだ写真が飾られてあった。

 その前には、菊の花が数輪生けられていて。

 線香の白い燃えかすが、ぱらぱらと散らばっていた。


 橘 一郎は立ち止まったまま、しばらくぼんやりと黒縁の写真を見つめていた。

「僕……本当に死んだんですね」

 橘 一郎の円らだがさほど大きくない瞳から、涙が一筋こぼれ落ちた。

 弥生。写真の前でそっと手を合わせた。


「一郎君、イヤなことは早く忘れないとね」

 弥生、橘 一郎の目をじっと見つめる。

「君の体は、もうこの世には存在しないんだ。早く未練を断ち切って成仏しないと、未だ生きている周りの人に迷惑をかけることになるんだ……辛い話だけど。この世では「死後の世界」の事を考えては生きていけないんだ。


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 というよりは、死後の世界の人と本当は関わりを持ってはいけないんだ」

 橘 一郎は身じろぎひとつせずに弥生の話しに耳を傾けている。

「お盆と正月だけ。霊界からそっと帰ってきて家族を温かく見守るのが正しいんだ」

 橘 一郎は静かに、弥生の言葉を噛みしめるように頷いた。

「事件を解決する前に、一つ言っておきたいんだけど。これが解決したらそうしてくれるかな」

「そうします」

 橘 一郎はきっぱりと答えた。

「まだ1ヶ月以上あるから、ゆっくりと心の支度をしてくれたらいいよ」

 弥生、ゆっくりと橘 一郎の部屋を端から端まで歩いてみる。

 中学時代の「皆勤賞」の賞状と、小学生のリトルリーグの地区のベストナインに選ばれた時の写真が柱の上に飾ってあった。


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「一郎君、野球少年だったんだね」

「はい……この頃が一番幸せだったかもしれないですね」

 橘 一郎が懐かしそうに天井を見上げる。


「一郎君、この写真、ひょっとして女鹿 ひとみさん?」

「どれですか」

 弥生机の上の写真立てをそっと指差す。

 そこにはテニス部時代の、真っ白なテニスウェアを着た日に焼けて爽やかな橘 一郎君とその横に少し離れて、長髪の清楚な白いテニス用のミニスカートを履いた美少女がラケットを後ろに回して少し恥ずかしそうな笑顔を浮かべて一緒に映っていた。

「うわあっ……懐かしいな。これ他の所に隠してたんですけど。誰かが出してきたみたいですね」

 橘 一郎が嬉しそうに目を細めて笑う。

「本当に綺麗な人だね」


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 弥生、じーっと女鹿 ひとみさんの顔を見つめる。

「そうでしょう。学園中のマドンナだったんですよ」

「うらやましいな」

「さてと……見つからないうちにさっさと用事を済ませましょう。この引き出しにあるはずなんですよ例のラブレター」

 橘 一郎が少し照れながら、引き出しを開ける。中には、青い大きめの封筒が入っていた。

「これだね、例のラブレター」

「ちゃんとありました」

 橘 一郎が幸せそうに頬を緩ませる。こんな幸せそうな一郎くん見るの初めてだ。

「絶対に渡して下さいよ。弥生さん」

「まかせなさいっ」

 両手できっちりと青い封筒を預かり、黒いリュックの中に仕舞う。

「確かに預かりました」


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 ほっと胸をなで下ろす。

 これで一息。

「あとは女鹿 ひとみさん……」

 弥生、もう一度、写真立ての中の二人を見る。なんだか時が一瞬止まったような気持になる。

 この頃に戻れたらいいのにね、一郎くん。

 そう。弥生、この切なすぎる片思いを絶対に伝えてあげなくちゃ。

 一郎くん報われないよね。


「この写真、ちょっとお借りしていい?」

「あ……はいっ」

「失敬」

 写真立てからそっと二人のツーショットを抜き出して写真立てを伏せる。

「何に使うんですか」

「ちょっとね」

 写真も急いでリュックのポケットに仕舞う。

「それじゃ、用事も済ませたし……」


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 そう言いかけた時、ギシッギシッという小さな音が部屋の奥から響いてきて。

 思わずキャーって叫び声を上げちゃった。

「一郎くん、あの物音……」

「確かにしました」

 二人顔を見合わせて。

 そろりそろりと部屋の奥の襖の方に忍び足で進む。

 物音は依然続いていて、しかもどんどん近づいてくる。

「開けますよ、弥生さん」

 橘 一郎が勇気を振り絞るように押さえた声で囁く。

 弥生、無言で頷く。

「えいっ」

 襖はギシリと鈍い音を立てて開いた。

 切り取られたように四角く暗い空間の向こうには、古びて埃がうっすらと積もった木造の細い階段がずっと限りなく下の方まで続いている。


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 そして、そこには誰もいない……。


 うわっ……気持ち悪い。

 弥生、身を屈めた姿勢で、しばらく息を潜めていた。

 そして、立ち上がろうとした途端───。

 いきなりガ タ ンという木の階段が軋む凄まじい音が弥生の足元からして。

 同時に黒い物陰が、にゅっと階段の途中から斜め前に向かって幾重にも怪物のように突き出してきた。

 どれも暗い灰色がかった霧のように、ゆらゆらと前後に揺れている。そして、その奧には赤黒い二つの光が不気味に光っていて目のように見える。

 そして───壁を見ると。

 壁一面、びっしりと白濁色の人の顔で埋め尽くされていて。

 ごそごそと壁全体を動き回っている。


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「ぎゃーっ」


「悪霊だ!!」

 弥生、咄嗟に指で卍を組んで、渾身を込めて、やあっと前方に突き出す。

「悪霊退散───」

 紫色の閃光が弥生の指先からサーッと迸る。

 そして、その瞬間。

 閃光から逃れようとした悪霊が無我夢中で、次から次へと弥生の体に憑いてこようとする。


「一郎君、離れてて!!」

 一刻も猶予は許されない。

 少しでも気を許すと悪霊に魂を持って行かれる。生きるか死ぬかの闘い───。

「褐!」

 全身を自分の中央に集中させて───そう、ちょうど卵の殻をどんどん膨らませていくようなイメージで曼陀羅を思い描く。


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 その間にも、ベタベタと悪霊が弥生の体に憑いてきて───集中力の張りつめた糸が、今にも切れそうだ。

 もう限界だ───。


 でも、小さい頃から独自の修行で鍛え抜かれた───この歳にしては強靱な肉体と精神力。

 幼くして最愛の母に死なれて、人一倍の苦労をしてきた弥生に「敗北」という言葉は辞書にない!


「ええいっ。妖怪退散」

 その言霊と弥生の念力が通じたのか妖怪はすーっという音を立てて窓から我先に出ていった。

「はあっ」

 一息ついた時、階段の下にうずくまっている小さな人影が目に入った。

「誰?」


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 小さな影はいきなりすくっと立ち上がってこっちを見た。

 まだ幼稚園に入る前くらいの男の子が怯えきった目で弥生を見ている。

「もう大丈夫だからね」

 弥生、男の子を抱き上げてあやしてあげる。

 下に2人も妹がいるからもう慣れている。

「これが姉の子の伸也です。姉さん伸也をほっぽらかしてお店に行って……」

「この階段は妖気がいっぱいだ。しばらく使わない方がいい」

 弥生、伸也君をお姉さんの所に無事送り届けてから帰ることにした。


「お母さん」

 一郎君のお姉さんの顔を見て、伸也君は泣き顔で飛びついていった。無理もないあんな怖い思いをしたんだから。

「このお姉ちゃんが助けてくれたの」


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 泣きじゃくりながら伸也君は弥生の方を指差す。

「だから言ったじゃない。一人で外に出たら危ないって」

 お姉さんは泣きじゃくる伸也君をあやすのに必死だ。

「違うの違うの……」

 何だかもどかしそうにしながら泣いている伸也君を無事お姉さんの所に預けて今日の所は大人しく帰ることにした。


「本当に今日はどうもありがとうございました」

「いいよ、ラブレターは手に入ったし。後は事件を解決するだけ」

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