第5話 ◇ 301号室の麗人 ◇
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土曜日の放課後───。
午前中の授業が終わった後、桜吹雪が降りしきる中、スタスタと急ぎ足で学校近くの病院へと向かう。
行く途中で、若芽の出た桜の枝を一本。
ポキッとへし折ってみた。
透にあげよう。
早く病気が直りますように。
白い県立病院の建物に入り、301号室のドアを軽くノックする。
そのドアには「如月 透」という細い字が書き込まれている。
私が、世界中で一番好きな名前───。
「どうぞ」
中から、しっかりした小さな声がする。
ドアをゆっくりと開ける。
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この瞬間、いつも決まって胸がときめく。
「透、来たよ」
白く大きなベットの上で、透がにっこり微笑み返してくれる。
端正な彫りの深い顔立ちで、透けるように色が白く、天使のように美しい顔立ちだ。
頭脳も明晰だが、生まれつき体が弱くて、数ヶ月単位で入退院の繰り返しだ。
弥生のお母さんの妹の息子で、従兄弟にあたる。
亡くなったお母さんが代々の神社の長女で、透のお母さんがその分家を継いでいる。
両方ともお婿さんをもらって家名を継いだので、同じ如月だ。
弥生と透は同学年で、小さい頃から大の仲良しだ。
「弥生、いつもありがとう」
透がベットの上で起きあがって、迎えてくれる。
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「気分はどう?」
「うん……昨日まで熱があったけど。もう大丈夫だよ。心配してくれてありがとう」
「透、ホントに体弱いなあ」
「弥生はいつも元気でうらやましいよ」
透がカーテンを引いて、外の光りを病室に入れながら言う。
「弥生はいつも光り輝く太陽みたいだな。でも、もう病気も慣れたよ。こんなにしょっちゅうしてると」
透はそう言って小さく笑う。
「透、今日は桜が綺麗だよ。これ1本、取ってきたんだ」
透明なガラスのコップを一つ取ってきて窓際に起き、そっと桜の枝を差し込む。
「綺麗でしょ」
「うん……」
透と一緒に、しばらくコップの中の桜の枝を見つめていた。
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「ところで、透。今日は相談事があるんだ」
「また、例の?」
「そう。だけど、今度の件はちょっと困難なんだ」
透は私の霊能力に理解を示し、尊重してくれる今のところ唯一の人間だ。
「どうぞ入って。橘 一郎くん」
そう言って、白いカーテンをさあっと開く。
すると、待ってましたとばかりに、黒い学ラン姿の長身の青年が透の枕元に姿を現す。
透は、霊視はほとんど出来ないが、それはそれは頭の回転が速く、いつも事件解決に役立ってくれる。
「昼間は、光りが強くて、姿を現すのにパワーが相当いるんだ。我慢してね、透」
透は、いつも見える振りをしてくれる。
「ごめんなさい。本当ならもう成仏しないといけない頃なんですが。どうしても、心残り
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なことがあるんです。最後のお願いです。どうか協力していただけないでしょうか」
橘 一郎が深く深く頭を下げる。
「どんな心残り?」
「それが……実は、僕本当に好きで好きでたまらない女の子がいたんです。一目惚れってやつですか?」
透がふっとおかしそうに笑う。
「そんな事で、二人ともここに来たの?」
「そう。簡単に言えば。ラブレターをその娘に渡したいんだって!」
「弥生さん!!」
「ちょっと待って。でも、もちろんそれだけじゃない」
「先を続けて」
「そして、まだ詳しいことはよく分からないんですが、その僕にとってのマドンナがエリートの研究者と付き合っているみたいで。しかもその人が何だか悪い集団に利用されてるみたいなんです」
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「本当に?」
「本当だって、透。公園で取り囲まれて、無理矢理ワゴン車に連れ込まれるを見たんだって」
「そうなんです。このままでは何か彼女の身に悪いことが起こりそうで。心配で、心配で……」
「どうしよう、透」
「こんな事件は初めてだね。でも、とりあえず、その女の子に話を聞かないと。名前とか住所とか分かる?」
「はい……それから、実は言い忘れましたが。僕、拾ったんです。彼女の定期入れを。今日の朝、バス停で彼女がぼんやり立っているのを見ました。普段と違って、何か心配なことがあるようで、気もそぞろと言った彼氏の事が心配だったに違いありません」
「それはどうだか、分からないけれど」
透が弥生の顔を見上げて、冷たく言う。
「透、本当に真剣なんだから。橘くん」
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橘 一郎が、本当に助かりますというふうに、素直な笑顔を見せる。
「透なんかには分からないだろうけど、弥生には、橘 一郎っていう見ず知らずの子の気持、よく分かるよ。
自分が死んだという事実を認めるのも辛いのに、その上、ずっと好きな子がいて告白できずにいて、結局、その好きな気持を打ち明けられずに死んでしまって、どれだけ心残りか」
透が、少し困ったようにベットの上で考え込む。
「そこに、その彼女が何か良からぬことに巻き込まれそうだとしたら……」
「どんな気持だと思う?ってところかな」
「透!!」
透は構わず、開け放たれた窓を眺めながらじっと考え事をしている。
外は絶好の春日和で、遠くで薄紅の桜の花びらがはらはらと散っているのが見える。
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透の本来は大きな澄んだ瞳が少し陰って、心持ち細くなった時は、集中している証拠だ。
弥生、そっと席を立ち緑の缶から高級緑茶の葉を取り出しお湯を注ぐ。
橘 一郎は不安そうに透の横顔を見つめている。
「弥生、今月、時間ある?」
「まあ、実力試験もすんだし。放課後と土日だったらなんとか」
「そうだね……時間を有効に使わないとね。49日以内に成仏させてあげないと成仏出来るチャンスがどんどん減っていくし」
「こっちとしても、ずっと付きまとわれたら迷惑だしね」
「弥生さんに、透さん!!」
「それが、けっこう49日以内に成仏出来ない人多いんだよ」
「そうそう、特に事故で死んだ人なんか。自分が死んだことが認められなくて、ずっとそ
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の場に留まっちゃって地縛霊になる人、割と多いよ」
「パワーがあるうちに成仏しないと。この世に未練が残っていたら、どんどんパワーが弱くなって成仏できなくなっちゃう。今は、弥生にははっきり見えて声も聞こえるけど、そのうちに弥生にも見えなくなっちゃうんだぞ。そうしたら助けようもないんだから」
「49日以内……」
「そう。とりあえず、こっちも全面的に協力するけど、49日以内に事件にケリがつかなかった場合は成仏することを約束してよ」
「そうですね……その時までには、気持の整理をちゃんとしとこうと思います」
「それじゃ、決まり。この事件、引き受けましょう」
「弥生のお人好し」
「本当に、ありがとうございます。捨てる神あれば拾う神ありとは、まさにこの事」
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橘 一郎は今にも泣き出さんばかりの感激よう。
「それじゃあ。事件解決に向けての弥生の、スケジュールの調整と計画は俺に任せといて。体は動かせないし、どうせ暇だし」
「OK」
弥生、透が計画を立ててくれる間、病室をぐるっと回って東側の壁の本棚に並べてある少し黄ばんで古くなった本の背表紙を眺める。
上の一段は、何度も読み返されたエラリー・クイーン、アガサ・クリスティーといった推理小説でぎっしりだ。
小さい頃、本好きの透がよく弥生に本を貸してくれたなあ……なんて思い返しながら。
「そして誰もいなくなった」「ABC殺人事件」を、ぱらぱらっと読み返していると──。
「弥生、出来たよ」
透の弾んだ声がして、続いてピリピリッと大きめのメモ帳を破る音がする。
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「どれどれ」
慌ててベットの側に駆け寄って、透がかざしているメモをひったくる。
「なになに……」
メモ帳には硬めの鉛筆で書かれた少し小さめの几帳面そうな字で、はっきりと予定が書かれてあった。
第一の指令:女鹿 ひとみさんに近づく事。
落とした定期入れを返す際に、
同じ中学のクラブの先輩の、
橘 一郎が一週間前に交通事故で、
死んだことを伝える。
その時にラブレターを手渡す。
「その為には、まず橘 一郎くんの部屋に忍び込んで手紙を取ってこないと。今日、明日のうちがいいと思うよ」
「どうしよう。橘 一郎くん」
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「うちの家、自営業なんで。日曜の昼は家に誰もいないと思います。その時を見計らって」
「よしよし」
「それじゃあ、決まり。明日、手紙を取ってきて月曜の放課後、バス停で女鹿 ひとみさんを待ち伏せる。家には直接行かない方がいいと思うんだ。きっとお嬢様だろうし、その白衣の研究職らしい青年と付き合ってることも親は知らないだろうし……僕の推理だけど」
「それは言えてるね」
「多分、知らないと思いますよ。僕も、この間、初めて見ましたもの」
「その先、続けて読んで、弥生」
第二の指令:橘 一郎くんが女鹿 ひとみ
さんが一週間前に白衣の青年 と公園で、
デートをしている のを見た直後、
その青年が集団に取り囲まれ、
白いワゴン車で連れ去られたのを目撃した事を伝え、
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さりげなくその相手の青年の職歴、
住所、電話番号、何か心当たりはないか等、
出来るだけ詳しく聞き出す事。
「まずは、そんなところかな」
「僕も、事件解決に幽霊ながら全面協力しますので、どうぞよろしくお願いします」
「もちろん。こっちも早いこと終わらせたいし」
「弥生さん……」
橘 一郎は感激して泣き出した。
「弥生さんと透さんぐらいです。こんな僕の味方になってくれる人」
「そんな、オーバーな」
透がベットサイトの小さなテーブルから読みかけの推理小説を取って読み始める。
「それじゃ、弥生。頑張ってね」
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透が軽く左目をウィンクする。
透の上瞼は、上品な曲線を描いていて。
そっと閉じられると長い睫毛が目の下に小さな影をつくる。
こんな時、本当に透って綺麗だなって。
いつも思うの。
「透も元気でね。また報告にくるよ」
「待ってます」
透の澄んだ薄い茶色の瞳が、知的に光る。
弥生、この瞳がたまらないんだなぁ。
なんでも透の言うこと聞いてあげたくなる。
透、世界で一番好きだよ。
多分、気付いてないんだろうけど。
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