第4話 ~ 学生服の訪問者 ~
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そわそわそわ。
ドキドキドキ。
さっきから、全く勉強がはかどらない。
これはきっと……。
ここしばらく、来なかったと思ったら。
背筋に、すーっと一筋、悪寒が走る。
動悸が更に激しくなる。
途端に、暗~い気分が黒雲のように全身を覆う。
あっちにいけ……心の中で強く念じながら三角関係の問題に没頭しようとする。
「sin2θ+cos2θ=1」
「sin2α=2sinαcosα」
しかし、今度のはしつこい。
ちょっと気を抜いたら、すぐに弥生の意識の中に入ってこようとする。
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負けないぞ★
きりりっと眉を寄せ、自分の中心に意識を集中して心を閉ざす。
あっちにいけ……。今は忙しい。
しかし、今度のは本当にしつこい。
自分と違う意識に、集中力を撹乱されて。
動悸は、ますます激しくなる。
それでも……。
「あ、あの~」
頭の奥の方で、微かな声がする。
声のトーンからすると、まだ若い男性だ。
何かを必死で訴えかけようとしている。
仕方がない。これも人助け。
ふう~っと、諦めて体全体の力を抜く。
「どうぞ……ってきて下さい」
すると、自分と異なる意識がすーっと自然に自分の中に入ってくる。
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「何の用ですか」
つとめて冷静な声で、尋ねてみる。(これが大事ね☆)
「あ……お忙しいところ。まことに申し訳ございません」
「あなたは、いったい誰ですか」
ここで、霊にナメられてはいけない。
「あっ、こんにちは。じゃなくて、こんばんは。えっと……僕の名前は橘 一郎です」
やっと自分の存在を分かってもらえる人に会えて少し興奮気味だ。
「それで、先を続けて」
「実は、僕、一週間ほど前の塾の帰りに交差点で車に跳ねられて死んだばかりなんです」
「それで、私に何の用?」
「あの……。とても言い出しにくいことなんですが。死ぬに死ねない、大切な用件があって。でも誰も相手にしてくれなくて。みんな弥生さんの所に行けって……」
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う──ん。困ったものだ。
いちいち引き受けてたらキリがない。
しばらく来なかったと思っていたら。
用件聞くだけ聞いて、冷たくしてやろう。
「それで、大事な用件っていうのは?」
「それが……、実は、僕。片思いだったんですけど、とても好きな子がいたんです。その娘にラブレターを書いたんです。そして告白しようと机の引き出しにしまっていたんですが……。とうとう告白できずに死んでしまいました」
橘 一郎という名の学生は暗がりの中、静かに姿を現した。
短髪でスラッとした長身の、いかにもスポーツの出来そうな感じの良い高校生だった。
黒い学ランに金ボタン姿がなんだか痛々しかった。
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「本当に、お願いします。弥生さんしかいないんですよ。こういう特殊な能力を持った方は」
学生の目は真剣だった。
「それで……一体。どうしたいの?」
「あの……。まことに頼みにくいことなんですが、その女の子にラブレターを渡して、僕が彼女のことを好きだったこと。そして、一週間前に交通事故で死んだことを伝えてもらえませんか」
「それは、難しい話ではないけど……。家は、この辺り?」
「はい、隣町でここから歩いて20分ほどの所に住んでいます。そこのバス停で、毎朝、彼女と顔を合わせるのが楽しみでした」
学生は、そう言って写真を一枚差し出した。
「いつも肌身離さず持ち歩いていたんです。事故に遭った時も」
ふ~む。白枠の写真には色白の、髪の長い
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清楚なセーラー服姿の女子学生の上半身が映っていた。
アイドルタレントによくいるタイプの円らなぱっちりした瞳が印象的だった。
「なかなか可愛い子だけど……」
「女鹿 ひとみさんって言うんです。同じ中学校で、同じクラブの先輩と後輩でした。今は同じバス沿線の女子校に通っているんです。高校一年生で、ちょうど僕の一つ下なんですけど、なかなか好きだと言えずに卒業してしまいました」
学生は、眩しそうな瞳をする。こうやって見ると幽霊ながら、なかなか愛嬌のある顔だ。
「卒業式の時、一つ下の彼女が送辞を読みました。優等生だったんです。僕なんか手が届かないほどの。彼女が高校生になって、毎朝バス停で顔を見られるだけでも幸せでした」
そう言って、学生は照れくさそうに笑う。
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「なんだか、こんな事相談するの。恥ずかしくなってきました」
「つまり、ラブレターをこの女鹿 ひとみさんっていう人に渡したらいいのかな」
「もし、よろしければ。そうして頂きたいんですが……」
言葉を切って、学生は少し瞳を翳らせた。
何か相当悩み事があるようだ。
「どうしたの?」
「……」
橘 一郎は急に黙り込む。
どう切り出そうか迷っているようだ。
「コーヒーでも飲む?」
こういう相談は、これでもう十数件になる。
無料奉仕のボランティアみたいなものだな。
さっさと片付けてしまう。可哀想だけれど。
「いや、結構です。そんなに気を遣ってもらわなくても」
「まあまあ、遠慮せずに」
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さっさと教科書を片付けて、揃いのコーヒーカップを並べて。
煎れたてのブラックコーヒーを並々とカップに注ぐ。
「さあ召し上がれ」
「あの……。幽霊なんで、コーヒー飲めないんです」
「みんなそう言う。でも、まあ気にせずに」
頭の中を整理しなくちゃ。
こういう時は、熱いコーヒーを一杯啜るのが一番。
「なんか、相当悩み事あるみたいだけど。この際、全部ちゃんと言っといたほうがいいよ」
私もそんなにヒマじゃないし。
橘 一郎は、困ったように畳に視線を落とした後、ゆっくりと話し出した。
「実は……なんとなく、予感なんですが。彼女、何か良くない事件に巻き込まれている
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みたいで」
幽霊学生は、感極まって、どうか頼みます。
と、畳に腕を付いた。
「彼女が、心配で心配で、成仏できないんです。どうか、彼女を助けてあげて下さい」
突然のことで、思わず呆気にとられて。
コーヒーカップを持ったまま、唖然としてしまった。
「その、良くない事件に巻き込まれているって言うのは……本当に?」
なんか厄介なことになってしまった。
「はい……彼女の付き合っている彼氏という人が悪い組織の人に利用されているみたいなんです。まだ、はっきりしたことは分からないですが。一刻も早く彼女に知らせてあげたいんです」
「……」
こんなケースは初めてだ。
ちょっと一筋縄ではいかないような……そんなイヤな予感。
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「それって、確かな情報?」
「はい……実は、この間、ちょうど一週間前の、金曜日の夕方のことなんです。僕が事故に遭う直前に、セーラー服姿の彼女が、年上のまだ二十代後半といったところでしょうか、若い白衣姿の青年と歩いている所を偶然目撃したんです。かなり親しそうでした。近くの公園で、1時間ほど会話した後、別れたのですが、その後、若い白衣の青年がゾロッとガラの悪い集団に取り囲まれて、大型のワゴン車の中に連れ去られたんです」
橘 一郎は真剣そのものの顔で、話を進める。
「かなり抵抗しているようでしたが、周りの目を気にしてか大人しくワゴン車に乗り込みました」
「……」
「そのすぐ後、急いで家に帰って彼女に知らせようとした時、通りかかった乗用車に跳ねられてしまい……それっきりで」
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「……」
「頼みます。このままでは、彼女の身に良くないことが起こりそうで」
青年は、泣き出しそうな顔をする。
「ちょっと待ってね。相談したい人がいるから、その後でいい?」
青年は静かに頷いた。
青年は窓からすっと消えるように出て行ってくれた。
カーテンを閉めて、ほっと息を吐いた。
又、事件の始まりだ。
とりあえず今日のところはぐっすり眠ることにした。
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